1 / 5
第1話 こどものルール
「もし明日、僕が死んだらどうする?」
瀬戸に、そう問われた。彼の瞳は、眼鏡の奥で色気に濡れている。
「救急車呼んで、家族に連絡入れて、葬式出て、墓参りする」
「そういうことじゃなくて」
指にかけたスクールバッグ。歩くたびに、かったるそうに俺の背中で揺れている。
「悲しいとか、逆に強く生きるとか、そういうのは思わないの?」
「ないね。人は死ぬ、自然の摂理」
「ドライだな」
瀬戸は、呆れたように溜め息をついた。
だって、そうじゃないか。人は必ず死ぬ。その結末には抗えない。 父が死んだ時もそうだった。怖かったのは確かだ。しかしそれと同時に、死というものを理解できる、そんな年頃だった。
特別な会話もなくだらだらと歩いていると、いつの間にか目の前にあった、俺の家。
「寄ってく?」
瀬戸は、僅かに赤らんだ硬い表情で頷いた。
シングルマザーの母は、夜遅くまで働きに出ている。帰ってくるまでは、遊び放題。今日くらい俺の気持ちを察してくれるんじゃないかと、瀬戸に期待している自分がいた。
床には小さなブラウン管。無造作に置かれた旧式のゲーム機からは、コードがいくつも伸びている。
俺たちは放課後時々、こんな風にゲームをして過ごす。負けたとか勝ったとか、そういうどうでもいいやり取りが、この上なく楽しい。
「負けたー!」
悔しそうに歪めた瀬戸の表情が、とても綺麗だと思った。しかしその瞬間、眼鏡の奥の瞳が普段の真面目な光を取り戻す。
「もう一戦交えたいところだけど、もうそろそろお暇するよ。おばさんいないっていっても、長居し過ぎは悪いし」
帰り支度をしようと立ち上がる瀬戸を、俺はベッドに座らせる。
「前田?」
恐る恐る俺を見る瀬戸。俺の手で、眼鏡を外してやる。
「俺たち、こういう関係でいいんだよな?」
俺は、瀬戸の唇にキスをした。初めてのキス。怖がらせないように、そっと、軽く。「ん……前田……?」
何が起こったのかわかっていないような顔で、俺を見つめてくる。香るような色気だけが、留まることを知らないように溢れ、俺を惑わせてくる。
「もっとしてもいい?」
頬に、耳に、首に。俺は触れるだけのキスを落としていく。緊張のあまりか、ぼうっと俺の行為を受けるだけの瀬戸が心配になり、再び見つめ、頬に触れる。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫?」
頭が働いていないのだろうか。聞き返すような物言いに、思わず笑みが零れる。
「瀬戸は、俺の恋人か?」
「……恋人、だよ」
「じゃあ、こういうのはしてもいい?」
シャツを肌蹴させようと、ボタンに手をかける。
「っ、何して……!?」
慌てて腕を取る瀬戸が、さっきゲームに負けたとき以上の声量を出す。
「これ以上のこと、子供がしちゃいけない!」
「これ以上?」
問い直して、はたと気付く。
「なあ、これ以上のことってなーに?」
俺は、わざとにやけてそう問いかけた。
「それは、その……全部脱いだり、その、もっと、あれしたり、だよ」
「何をするの?」
「……ああもう、それ以上言わせるなよ」
あまりの初々しさに、俺はケラケラと声を上げる。
「お前ほんと、かわいすぎ」
ぎゅうっと抱きしめた。
抱きしめたまま、しばらく二人で横になっていた。
まるで宝物を扱うかの様に優しく、しかし決して手の内から逃すまいと、きつく。
「これ以上しちゃいけない、それがお前が決めたルール?」
「まあ、そうだな」
真面目な瀬戸らしいルールだった。
「俺のルールは……今日できることをする、かな」
「今日できること?」
帰り道での会話を思い出す。
「ごめん、さっきちょっと嘘ついたんだ」
瀬戸が俺を見つめ、次の言葉を待っている。
「お前が死んだら、たぶん俺は悲しい。でも俺は今日、今日しかできない方法でお前を愛した。だから、明日お前がいなくなっても、後悔はしないと思う。悲しいは悲しいけど」
「つまり……?」
「今日やるべきことはやり残さない。それが俺のルール」
ふと思い出す。
「そういや、何で急に『僕が死んだら』とか言い始めたんだ?」
「映画を、観たから」
「映画? 何の?」
瀬戸の口から出てきたのは、俺たちが生まれる前に公開された、かの有名な映画のタイトルだった。豪華客船の、あの物語。特別映画好きというわけでもない俺だって、何度か観たことがあった。
「前田が死んだら、僕どうなるんだろうって。君はどう思うんだろうって……」
「……あのな、俺たちあんな劇的な出会いも恋もしてないだろ?」
さすがに明日消えるとかないわ、と呆れ顔でそっぽ向く。
いや、ありえるかもしれない。父が死んで消えた様に、俺も瀬戸も、いつか急に消えていなくなるのかもしれない。
「でも、そうだな……今日はここまでだけど、続きは大人になったら、絶対しよう」
「大人に、なったら……」
再び、瀬戸の顔がかあっと赤くなる。俺は意味がわからずうろたえる。
「え、大人になってもだめなの?」
「いや、そうじゃなくて……大人になっても、傍にいてくれるんだって」
「遊びで付き合ってるとでも思ってたの!?」
「いや、そんなことも思ってないけど!」
二人して、気恥しさを隠せないまま、笑ってしまった。
ほどなくして、瀬戸は俺の家を後にした。
「ただいま」
日も落ちてしばらく経った頃に、母が帰ってきた。一緒に飯を食って、俺は俺で適当に宿題を済ませて布団に入った。
今日、俺の恋人――瀬戸と寝転んだ場所。なんだか、恥ずかしさが蘇る。
静かに、瀬戸の事を思い返した。突然の別れを憂う心配性な面、映画を引き合いに出してくる感受性の豊かさ。瀬戸のいろんな面を知ることができた。まだまだ知らないことばかりだ。
欲塗れの俺が理性を保つのに必死だったこと、そして寝る前にいろんな意味でやばかったことは、また別の話。
いつか大人になれる日を夢見て、今日のところはおやすみなさい。
ともだちにシェアしよう!