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第1話 こどものルール

「もし明日、僕が死んだらどうする?」  瀬戸に、そう問われた。彼の瞳は、眼鏡の奥で色気に濡れている。 「救急車呼んで、家族に連絡入れて、葬式出て、墓参りする」 「そういうことじゃなくて」  指にかけたスクールバッグ。歩くたびに、かったるそうに俺の背中で揺れている。 「悲しいとか、逆に強く生きるとか、そういうのは思わないの?」 「ないね。人は死ぬ、自然の摂理」 「ドライだな」  瀬戸は、呆れたように溜め息をついた。  だって、そうじゃないか。人は必ず死ぬ。その結末には抗えない。 父が死んだ時もそうだった。怖かったのは確かだ。しかしそれと同時に、死というものを理解できる、そんな年頃だった。  特別な会話もなくだらだらと歩いていると、いつの間にか目の前にあった、俺の家。 「寄ってく?」  瀬戸は、僅かに赤らんだ硬い表情で頷いた。  シングルマザーの母は、夜遅くまで働きに出ている。帰ってくるまでは、遊び放題。今日くらい俺の気持ちを察してくれるんじゃないかと、瀬戸に期待している自分がいた。  床には小さなブラウン管。無造作に置かれた旧式のゲーム機からは、コードがいくつも伸びている。  俺たちは放課後時々、こんな風にゲームをして過ごす。負けたとか勝ったとか、そういうどうでもいいやり取りが、この上なく楽しい。 「負けたー!」  悔しそうに歪めた瀬戸の表情が、とても綺麗だと思った。しかしその瞬間、眼鏡の奥の瞳が普段の真面目な光を取り戻す。 「もう一戦交えたいところだけど、もうそろそろお暇するよ。おばさんいないっていっても、長居し過ぎは悪いし」  帰り支度をしようと立ち上がる瀬戸を、俺はベッドに座らせる。 「前田?」  恐る恐る俺を見る瀬戸。俺の手で、眼鏡を外してやる。 「俺たち、こういう関係でいいんだよな?」  俺は、瀬戸の唇にキスをした。初めてのキス。怖がらせないように、そっと、軽く。「ん……前田……?」  何が起こったのかわかっていないような顔で、俺を見つめてくる。香るような色気だけが、留まることを知らないように溢れ、俺を惑わせてくる。 「もっとしてもいい?」  頬に、耳に、首に。俺は触れるだけのキスを落としていく。緊張のあまりか、ぼうっと俺の行為を受けるだけの瀬戸が心配になり、再び見つめ、頬に触れる。 「……大丈夫か?」 「……大丈夫?」  頭が働いていないのだろうか。聞き返すような物言いに、思わず笑みが零れる。 「瀬戸は、俺の恋人か?」 「……恋人、だよ」 「じゃあ、こういうのはしてもいい?」  シャツを肌蹴させようと、ボタンに手をかける。 「っ、何して……!?」  慌てて腕を取る瀬戸が、さっきゲームに負けたとき以上の声量を出す。 「これ以上のこと、子供がしちゃいけない!」 「これ以上?」  問い直して、はたと気付く。 「なあ、これ以上のことってなーに?」  俺は、わざとにやけてそう問いかけた。 「それは、その……全部脱いだり、その、もっと、あれしたり、だよ」 「何をするの?」 「……ああもう、それ以上言わせるなよ」  あまりの初々しさに、俺はケラケラと声を上げる。 「お前ほんと、かわいすぎ」  ぎゅうっと抱きしめた。  抱きしめたまま、しばらく二人で横になっていた。  まるで宝物を扱うかの様に優しく、しかし決して手の内から逃すまいと、きつく。 「これ以上しちゃいけない、それがお前が決めたルール?」 「まあ、そうだな」  真面目な瀬戸らしいルールだった。 「俺のルールは……今日できることをする、かな」 「今日できること?」  帰り道での会話を思い出す。 「ごめん、さっきちょっと嘘ついたんだ」  瀬戸が俺を見つめ、次の言葉を待っている。 「お前が死んだら、たぶん俺は悲しい。でも俺は今日、今日しかできない方法でお前を愛した。だから、明日お前がいなくなっても、後悔はしないと思う。悲しいは悲しいけど」 「つまり……?」 「今日やるべきことはやり残さない。それが俺のルール」  ふと思い出す。 「そういや、何で急に『僕が死んだら』とか言い始めたんだ?」 「映画を、観たから」 「映画? 何の?」  瀬戸の口から出てきたのは、俺たちが生まれる前に公開された、かの有名な映画のタイトルだった。豪華客船の、あの物語。特別映画好きというわけでもない俺だって、何度か観たことがあった。 「前田が死んだら、僕どうなるんだろうって。君はどう思うんだろうって……」 「……あのな、俺たちあんな劇的な出会いも恋もしてないだろ?」  さすがに明日消えるとかないわ、と呆れ顔でそっぽ向く。  いや、ありえるかもしれない。父が死んで消えた様に、俺も瀬戸も、いつか急に消えていなくなるのかもしれない。 「でも、そうだな……今日はここまでだけど、続きは大人になったら、絶対しよう」 「大人に、なったら……」  再び、瀬戸の顔がかあっと赤くなる。俺は意味がわからずうろたえる。 「え、大人になってもだめなの?」 「いや、そうじゃなくて……大人になっても、傍にいてくれるんだって」 「遊びで付き合ってるとでも思ってたの!?」 「いや、そんなことも思ってないけど!」  二人して、気恥しさを隠せないまま、笑ってしまった。  ほどなくして、瀬戸は俺の家を後にした。 「ただいま」  日も落ちてしばらく経った頃に、母が帰ってきた。一緒に飯を食って、俺は俺で適当に宿題を済ませて布団に入った。  今日、俺の恋人――瀬戸と寝転んだ場所。なんだか、恥ずかしさが蘇る。  静かに、瀬戸の事を思い返した。突然の別れを憂う心配性な面、映画を引き合いに出してくる感受性の豊かさ。瀬戸のいろんな面を知ることができた。まだまだ知らないことばかりだ。  欲塗れの俺が理性を保つのに必死だったこと、そして寝る前にいろんな意味でやばかったことは、また別の話。  いつか大人になれる日を夢見て、今日のところはおやすみなさい。

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