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ゆっくりと悩めるごとく
その日、高坂昌信はやたらと静かに、庭に面した縁側へと座り込んで空を眺めていた。
ただただぼんやりと、なにを想ってその澄んだ青を見上げているのか。
平時は政務に、『主』にと忙しい彼だが、時にはそうしていたいこともあるのだろう。
夫人や姫付きの侍女らもそんな横顔を美しいと遠巻きに眺めながらも、実際その考えを知ろうとはしなかったし、お茶でもお持ちしますかと声をかけたところで、傾国――と称される――その微笑みに拒絶されてしまうのだ。
半刻ほどが過ぎゆき、陽光がやや傾き始めた頃、がしゃがしゃと金属やらが擦り合う足音が通りかかった。
戦の最中でもないというのに、常に赤い具足を身に着けていたがる男・山県昌景だ。
今日に限っては槍まで担いで、まるで躑躅ヶ崎館の警護でもしているのか、まさに警護でもしているのやら。
今すぐにでも戦場へ飛び出していける状態だ。
「よう、昌信、ずいぶんぼーっとして」
「なんだ、昌景ですか」
彼ら二人は家中にて四天王と称されるうちでも年齢が近く、共に近習時代から切磋琢磨した気安い仲である。
「あ。お前、まさかまた!」
「……また?」
昌景は人差し指を遠慮なく突き付けると、やがて声を張った。
「お屋形様に浮気されたんだろー!」
能天気にがははと笑う昌景に、昌信は甘露もとろけるような猫撫で声を返す。
「そのお話、詳しくお聞かせ願えますか?」
「え……いや、そうじゃなくてさ。お前がぼんやりしてるから、また、かと思って」
――また、と外野からも思い疑われる関係とは少しさびしくもあり、ありがたくもあるが、一先ず昌景は思っただけを口走ったに過ぎないのだろう。
「まあ、その件に関しては後ほどたっぷりご本人へおうかがいするとします」
やり場のない溜め息をこぼす昌信の隣りに、座りづらそうにしながらも昌景が腰を下ろす。
「昌景、昨夜のお屋形様のお言葉を覚えていますか?」
「昨夜……さっ、昨夜ってそんなお前とお屋形様の睦言なんて興味な――」
鼻の頭に残った傷跡まで真っ赤にする具足男の頭を、誤解を受けた昌信は軽く叩いたものの、兜を殴った手の平にも衝撃が走った。
「そっ、そういうことではありません!」
痛みと少しの恥じらいがこもった声に、珍しく動揺が見られた。
「こほん。昨夜、皆で酒を飲みながら語らったでしょう?」
「あ、ああ……そっちか、うんうん、語らった語らった」
咳払いをして仕切り直した昌信。叩かれた兜をゆらゆらと揺らしながら昌景も空気を正すように頷く。
「その時のことなのですが……」
そうして切り出そうとした時、金属音を立てて昌景は腰を起こした。
「ちょっと待て。その話、長くなるか?」
「……まあ、それなりに」
「分かった。少し待っててくれ」
慌ただしく去って行ったかと思えば、そう経たないうちに、兜や槍、縁側へ座るに適さない部位を取り払い、湯呑みを手にした同期が戻った。
「せっかく新しく揃えた具足だからな。戦の前に汚したくないし……」
家中随一の赤色具足収集家は、こだわりを語りながら湯呑みを手渡してにいと笑った。
「今日、冷えるからな。白湯持ってきたぜ」
「ありがとうございます。こういった心遣いには、惚れそうになるんですけどね」
「遠慮しとく」
「ええ、わたくしもお屋形様以外に考えられませんし」
口先でじゃれ合いながら、互いに好きな頃あいで白湯を飲み、一息をつく。
「で? 昨日のどのありがたいお話だ?」
「ええ……侍を子供から召使った際に、成人してからどのようになるか、素質の見分け方のお話をされたでしょう」
「あー。武道の雑談を聞いてる反応で分かる、ってやつか」
彼らの主君はそういった話を皆でするのが好きだった。
偶然にも昨夜は、武道の雑談を聞いている子供四人四色の反応から、成人後にどのような侍に育つのか、という内容であった。
具体的な武士の名の例も挙げられ、まさに頷けるものだった。
「……わたくしには、子供の頃から召し使われる、という機会がありませんでした」
その通り、豪農の出であり、不幸が転じて今日の高坂昌信が存在する訳だが……。
「考えてしまうんです。わたくしが武家の生まれで、はじめからお屋形様のおそばにお仕えしていたら、と」
そこから順当に、武士としての資質を見出されていたら。
ぽつり、と零れるような言葉は、彼に対する数々の妬みや僻み、そういったものに対しての浅はかな抵抗なのだろうか。
「そんな、つまらぬ空想をしてしまいまして」
「お前……本当に、あれだな。変なとこで鈍感というか」
昌景に言われたくはありませんが。とやや拗ねたように反論しつつも、彼の開口を待つあたり、大人しく話を聞く気はあるようだ。
「だってお前は、十六って年で、手習いすらままならない身の上だってのに見出されたんだろ?」
「ええ、ですから」
「だからこそ、『今』のお前を誇らしい同期だって思うし、お屋形様もすごい目をお持ちだって実感するぜ」
瞬きを二、三回繰り返した昌信は、しばし黙したのちに、ようやく言葉を繋いだ。
「……あなたも、たまにはいいことを言いますね。具足のことばかりを考えているのかと思えば」
「お前なあ……」
「昌景、ありがとう」
余計なことを言い放ちつつも、素直な感謝が向けられる。
特別な感情は生まれないが、やはり傾国の美男の自然な微笑みには色々な意味で肩が竦むものだ。
「お、おう……」
頬を掻いて白湯を一飲みすると、それは顔の熱さに負けてしまったかのようにぬるかった。
横を見遣れば、すっかり晴れ渡った瞳をした昌信が、もう一度だけ静かに笑った。
ある冬の始まりの、穏やかな午後のことだった。
了
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