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第8話:悪い男

「企業スパイ……」 「さすが、察しが良くてオジサン助かっちゃうなぁ」  柏木が、今まで以上に胡散臭くニコリと笑う。その笑顔に溜め息で返して、コンタはなるほどなとひとりごちた。  要は、プレイと称して『スパイ』の真似事をさせてみたのだ。その素質があるのか否か、確かめたくて。だから、柏木が『合格』と判断した時点でプレイを終わらせた。  それに、プレイ中、やけに医者じみているなと違和感を感じていたのだ。柏木もこっちの仕事で様々な職業にいるのだろう。医者のコスプレを妙に着こなしていたのもそういう訳だったのかと腑に落ちた。  単語としては知っていたが、しかしまさか、生業にしている人間が本当に居るとは。 「じゃあ、佐々原翔太って……」  何者なのかと問うより早く、柏木が答える。 「俺が作った架空の人。やっぱ看護師って萌えるよねぇ」  お医者さんプレイは性癖だったのかと思ったと同時、佐々原翔太が架空の人物であることを知り、安心してしまう自分が腹立たしい。 「知らない『誰か』になることが出来て、尚且つ相手に『自分』を残さない。あれだけの設定内容を短時間でインプットする頭の良さもあるし、おまけにイロまで使えるなんてもってこいだよ。どう? やるよね?」 「やるよねって何だよ」  当然かのような柏木の言い草に返答が喧嘩腰になったが、そんなことは意に介さず柏木が続ける。 「だってコンちゃん、俺のこと好きでしょ?」 「なっ……」  開いた口が塞がらないとはこのことだ。  この男は、それを知っていて。 ――こいつは、本当に、性格が―― 「わっる……!」 「報酬はめちゃくちゃ弾むよ。それから……そうだな。仕事が上手くいったら、をあげよう」  物言いたげに睨みつけていると、柏木がコンタの唇を親指で撫で、そのままキスができる程まで顔を寄せて意地の悪い笑顔を浮かべた。 「受けてくれないなら、店を辞めてもらうしかないかなぁ。俺としては、、あげたいんだけど」  本当に、なんて悪い男だ。 「……わかった。わかった! やるよ!」 「イイコだね、コンちゃん」  右の口角を上げてニッと笑んだ顔にエロさが滲み、やっぱり好きだなと思ってしまう。馬鹿にすんなと怒鳴ってぶん殴って辞めてやるのが正解なのだろうが。  惚れた弱みは、金の弱みよりも厄介らしい。    大体、初めから怪しいとは思っていたのだ。広告を打とうとしない、倉庫だと言うのに店長しか入れない、他にも挙げればこの店のおかしなところは山ほど……と、そこまで考えた所で唐突に店の名前が頭を過った。  スパイスルークラブ。  スパイするークラブ。 「スパイ、する……クラ、ブ……?」 「あ、気付いた?」  白衣のポケットからタバコを取り出し、柏木が笑う。 「ダジャレかよ!」 「ダジャレだよねェ」 「しょうもねぇ!」と怒りの声を上げるコンタを横目に、柏木はへらりと笑ってタバコに火をつけた。 「オモテもウラもしっかり働いてもらうから、よろしくね。コンちゃん」  紫煙に霞む糸目の奥が妖しく光ったような気がして、コンタはこの悪党に惚れたことを心底後悔したのだった。 【ナリキリボーイ 終】

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