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割と早い再会
達巳と言う存在に振り回され、気が付けば数ヶ月が経ち四月になっていた。
結城の大学生活も三年目になり、そろそろ就職活動も本腰を入れなければならない、そんな時期に開かれたのは所属しているゼミの新歓コンパ。結城が男にしか興味のない事を周囲は知らないものだから、平気で「可愛い女の子も来るからさ」と宣う。ただ、さすがにこれから顔見知りになる新入生くらいは、結城も素直に歓迎したい。それに可愛い女の子には興味なかったが、可愛い男の子になら出会えるかもしれないではないか。
達巳を抱いてから、結城のストライクゾーンはすっかり広がっていた。二丁目に行ってナンパするのも、出張を頼むボーイの好みもバラバラだ。声しか知らない社員などは、毎回『今日はどんな子を?』と聞くようになった程である。
「はー……」
深い溜め息を吐いて居酒屋の壁に寄りかかり、煙草に火を点ける。そんな結城に、同じゼミで割と親しくしている槙(まき)と言う青年が話し掛けてきた。
「あのさぁ、これから楽しいコンパだっつーのに、そう言う顔やめてくんない?」
「俺は、基本的にこう言う飲み会は苦手なの。分かってるだろ」
「にしても、それじゃあ女の子達も引いちゃうぞ? 怖い顔しちゃってさー」
どうぞどうぞ引いてください。……とは言えず、結城は黙って紫煙を天井に向かって細く吐き出した。槙が肩を竦めると、入口の方が騒々しくなるのが分かった。どうやら、二年生達が新入生を連れて来たらしい。結城は煙草を灰皿に押し付けて火を消し、取り敢えず人を出迎える体勢を整える。槙のように可愛い女の子は期待しないが、ひとまずコミュニケーションを疎かにする訳にはいかない。
少しして、結城と槙ら数名の上級生が待つ座敷に、心持ち緊張気味の女子達が十名程顔を見せた。興味のない結城でも、まぁいいんじゃないの、と思う程度には粒ぞろいだ。槙もその他のゼミ生も、僅かに昂揚したのが雰囲気で分かる。
そして同時に、結城に目を止める女子が多い事にも気が付くから嫌になる。自分ではそう思わないのだが、槙に言わせると結城は「合コンには絶対に連れて行きたくない」らしい。そう言われる程度には惹かれる外見をしている、と言う事だ。
(達巳も、俺の事カッコイイって言ってたな……)
女子達に適当に手を振りながら達巳を思い出していると、女子達より多くの男子がやはり緊張した面持ちで座敷に入ってくる。何人か、お、と目を惹かれる者もいて、ようやく結城のテンションも上がってきた。とは言え、さすがに公然と男を口説く訳にもいかないので、落とせそうな〝獲物〟を吟味し始める。
すると最後の最後に、前髪でほとんど目元が見えない華奢な男子が入ってきて……結城は、あれ、と思った。何処かで見た事がある。しかし、こんな特徴的な男を忘れるだろうか、と考えながら、ふとその厚めの唇に目を奪われた。
……あり得ない。大体、達巳は自分を二十五歳、と言い切っていたではないか。こんな新歓コンパに混ざり込む訳がない。それに、もしそうだとして、こんなに堂々と結城の前に姿を現す理由も分からない。
だが。
気が付いた時には、結城はテーブルを乗り越えてその男子の前髪を乱暴に掻き上げていた。男子……達巳は、硬直している。まさか、そんな行動に出られるとは思っておらず驚きの余り動けないのだろう。それだけ、前髪での変装に自信があったのか。
「あ、あの、結城……?」
凍り付いていた場を正常に戻そうとしたのか、槙が呼び掛けてくる。しかし、結城は構わず達巳の手首を掴むと、槙に「始めててくれ」とだけ言って座敷を抜け出した。大人しく引っ張られている達巳の緊張が、指先に伝わってくる。緊張しているのは自分の方だ。この嬉しさを知られまい、と敢えて眉間に皺を寄せる。
結城は割と広い男子トイレに達巳を連れ込むと、誰もいない事を確認して彼を個室に押し込み鍵を掛けた。便座の蓋に座らせた達巳は深く俯いていて、長い前髪も手伝い表情を伺う事はできない。しばし無言で睨み付けていると、ぐす、と鼻をすする音が聞こえた。
「う……うぇ……」
「お前なぁ……! ふざけんな、訳の分からねぇ事しやがって! つか、泣くな!」
「だ、だって……結城さんが、目の前にいて……嬉しくて……」
「嬉し泣きしてる場合だと思ってんのか? 何なんだよ、説明しろよ!」
トイレ中に響く程に声を荒らげると、達巳が初めて顔を上げて結城の顔を直視した。前髪が邪魔だが、自分を見る目に涙が浮かんでいる事は辛うじて分かる。泣く程、何が嬉しいと言うのか。そもそも、達巳は何故ここにいるのか。尋ねると、達巳は戸惑いながらも素直に白状した。自分は、結城が在籍する大学の新入生だ、と……。
「いや……お前、この間は二十五歳って……」
「嘘です」
「……つか……待て。待て待て。新入生ってのは本当なのか? 浪人でもなく?」
「はい。現役合格です」
「じゃあ何か? お前、あの時……!」
「……十七歳、でした」
くらっと目眩がし、結城は後ろのドアにどんっと寄りかかった。十七歳。知らなかったとは言え、結果的に金は手元に残ったとは言え、買おうとした以上は完全に淫行である。
目眩から立ち直る事ができずに顔を覆っていると、達巳が申し訳なさそうに言った。
「あの……何か、問題ですか……?」
「大ありだろ! 俺を犯罪者にでもするつもりだったのかよ!?」
「だって、お金はもらってません。僕は、あくまで普通に結城さんとしただけです」
「いや、そうかもしれねぇけど……」
「むしろ、僕……もらう予定だったお金の、倍は使ったんですから」
「それ! それも何なんだ? 一体、あの日は何だったんだ?」
混乱する結城より、よほど冷静さを保っている達巳が前髪をピンで止めてから話し始めた。数ヶ月前の事は、結局何だったのかを。
達巳は、彼曰く「結城さんのストーカー」らしい。犯罪まがいの事は一切していないものの、ずっと昔から結城を知っており密かに慕っていた。あの夜、達巳が憧れた人はいましたけど、と言った相手は結城の事だったのだ。
「……ずっと昔って、いつから……?」
「結城さんが中学生の時ですから、僕はまだ小学生でした」
そんな前から、と独り言ちる結城に、お礼を言いたくて、と達巳が言う。
「僕達、地元一緒なんですよ。僕、当時いじめられてたんですけど……ある時公園でいじめられてたら、結城さんがいじめっ子を蹴散らしてくれたんです」
「………………覚えてない」
「でしょうね」
笑う達巳は、あの夜と変わらず可愛らしい。
しかし、本当に自分はいじめられていた達巳を助けたのだろうか。もしくは、中学生の時なんて失恋の連続だった。ただひたすらむしゃくしゃしていて、八つ当たりで小学生をいじめていたのは自分の方だったのではないだろうか。そんな事に思い当たるものの、達巳の美化された思い出をぶち壊すのは忍びない。結城は、黙って続きを促した。
「その時は、お礼も言えなくて。結城さん、すごく怖かったから」
どうやら、自分の思い出の方が正解みたいだ。もちろん、黙っておく。
達巳はそれ以降、小学生特有の好奇心と行動力を武器に結城の自宅を突き止め、度々お礼を言いたい、と思いつつ結城を眺めて帰る、と言う事を繰り返した。それは中学校に進学しても続き、お礼を言う勇気がない自分を不甲斐なく思い涙した夜も多い。
ところが、中学二年生の時に結城は大学進学と言う名目もあり自宅を離れ一人暮らしを始めた。これには焦りました、と達巳が笑う。
「そこで、結城さんのお母様に事情を洗いざらい話して、今のご自宅を教えていただきました。すみません、勝手な事して……」
「……いや、お前……積極的にも程があるだろ……」
それで何故、お礼を言う勇気が出なかったのか。大体、自分の事を「積極的ではなかった」と言ったのは達巳自身だ。自己分析がまるでなっていない。自覚がない、と言う意味では確かに達巳は〝ストーカー〟かもしれなかった。
「それで、やっぱりお礼を言うタイミングを窺っている時に、幸運にも結城さんもゲイだと言う事を知りました。それと、何度か……その……出張ホストを利用している事も」
結城は、誰にも自分の性癖を漏らした事がない。親へのカミングアウトもまだしていないし、男が恋愛対象だから親友と呼べるような存在もいない。もちろん槙のような、同じゼミと言う縁でしか結ばれていない相手にも言う理由がなかった。
だが、達巳はそれを知っていた。自分が隠しているつもりでも、こうして本気で追いかけ回されたら嗅ぎ付けられてしまう。気を付けなければ、と内心こっそり思った。
「あの日は、たまたまだったんです。結城さんが呼んだ人を見付けたのは」
「たまたま……」
「結城さんが部屋に入っていくのを見届けて、帰ろうとしてたんです。でも、何かすごく悲しくなっちゃって……そんなの、何度も見てるのに。だけど、あの日はすごくすごく泣きたくなって、ロビーに座ってボーッとしてたんです」
「部屋まで付いて来てたのかっ?」
「はい」
それが何か、と言う顔をしている無自覚な達巳に恐れを抱きつつも、とにかく全てを知りたい欲が勝る。結城は、それで、と相槌を打つ。
ロビーのソファーに座り込んでいると、隣に誰かが来た事に気が付いた。見れば、長身で筋肉隆々の男性が、肩を竦めてらしくもなく深い溜め息を吐いている。どうしたのだろう、と気になりチラチラ見ていた時だ。彼が持つメモ用紙に部屋番号と〝結城〟の文字を見付けてしまった。それで、思わず話し掛けたのが先日結城の所に派遣される予定だった〝浩介くん〟だったのである。
「浩介くん、出張ホストを始めた事をすごく後悔してたんです。研修は受けたけど、緊張でどうにかなりそうだって。やっぱり辞めたいって言い出して……僕、一か八かで……」
「あー……分かった。それ以降の事は、よーく分かってる」
しかし、十七歳の身空でよく二十万円も支払えたものだ。そこを問い質すと、達巳は呆気なく「お年玉が貯まってたから」と子供みたいに答えた。まるでゲームを買うかのような感覚で浩介を買収し、結城の元にやって来た訳だ。
それにしても、達巳の行動力と根性には恐れ入る。結城を追い掛け回していたのなら、その好みも知っていたはずだ。本当に一か八かの勝負に二十万円を賭け、達巳は見事勝利をもぎ取ったのである。それはもはや、執念と言ってもいい。
「……お前、マジでストーカーなんだな」
「だから、そう言ったじゃないですか。それに、さっきも……黙っていなくなったから、怒って無視すると思ったんです。僕、遠くから見てるだけで良かったのに……」
また涙声になる達巳に、結城は深々と溜め息を吐き出した。
「とにかく、謎が解けて良かったわ……」
「引かないんですか?」
「全力で引いてる」
「ですよね……」
即答する結城に、しゅんっと肩を落とす達巳。そんな彼に、がしがしと後頭部を掻き毟る。落ち込んでいる達巳の顔を上げさせ、あのさ、と続ける。
「取り敢えず、責任取ってもらいてぇんだけど」
「せ、責任? あ、け、警察行けって言うなら、僕行きますけど……」
「そんな事言ってねぇだろ」
「じゃあ……」
首を傾げる達巳に、結城は苦々しく顔を歪めた。
「お前を抱いてから、好みが変わっちまった」
「……はぁ……」
「お前みたいな子犬も範疇に入って、毎回毎回、注文の度にめんどくせぇんだよ」
「あ、あの、ごめんなさい。意味がよく分からないんですけど……」
困惑するのも無理はない。肝心な事は何一つ伝えていない。だが、それを伝える事がこんなに難しい事だとは思ってもいなかった。今まで失恋ばかりを繰り返して、出張ホストを相手にしているだけの二十年だったのだ、と現実を突き付けられる。
不思議そうな達巳の頬に触れた指が、少し震え始めた。それに気が付いたのか、達巳はそこに頬を擦り付けるように身を寄せてくる。
「結城さん……」
「……お前を、もう一度……抱きたい……んだけど……」
絞り出すような声でそれだけを伝えると、自分の顔がカァッと赤くなるのが分かった。頬が熱い。達巳に触れた指も、震えたままだ。ナンパはできても、こんな風に想いを伝えた事は終ぞなく、自分がこんなに情けない人間だと言う事も、今初めて知った。
「……いいんですか? 僕、ストーカーみたいな事してたのに」
「仕方ねぇだろ……それが本音なんだから」
「体だけでも、嬉しいです。そんな風に言ってもらえて」
その言葉に、少しカチンッとした。
「体だけなんて言ってねぇだろ!」
「じゃあ、僕の事……好きなんですか?」
真っ直ぐな瞳と言葉に、今度は即答できなかった。自分でも、そこはよく分からなかったからだ。抱きたい、と言う感情が「好き」に繋がるかと言われると少し悩む。
すると、達巳が突然、腰の辺りに抱き付いてきた。
「いいです。分からなくて、いいです。ただ……僕を、拾ってくれるだけで」
「拾う?」
「捨てられた子犬を拾う程度の気持ちで、今はいいんです。それじゃ……ダメですか?」
見上げてくる達巳は、確かに捨てられた子犬のように目を潤ませていた。そんな彼の表情に、自然と吸い寄せられる。そっと唇を重ね、問い返した。
「お前は、それでいいのか?」
「……はい。結城さんは、僕の恩人だし初めての人だから。特別なんです」
あの夜、本当にすごく気持ちよかったんです。
そう囁く達巳の潤んだ瞳に、恍惚とした色が混じり込む。もう一度キスを交わすと、自然と舌が絡み合う。少しして離れると、達巳はあの夜のようにうっとりとしていた。
「お前、そんな顔で戻るつもりかよ」
「……コンパ、戻らなきゃいけませんか?」
熱っぽい声で抜け出す事を提案されては、結城に拒む理由などない。どうせ、元より期待などしていなかった飲み会だ。先程からジーンズの尻ポケットでスマホが震えているのは、槙辺りが連絡を寄越しているからだろう。それを無視し、結城は達巳の手を取った。
「僕、ずっと付いて行きますからね?」
その言葉と笑顔に、結城も何も感じない訳ではない。大変なものを拾ってしまった、と言う自覚はある。しかし結城はふっと笑い返すと、
「望むところだ」
そう応え、二人で個室を出た。
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