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第15話

 次に真崎と会える日ばかり数えているうちに、あっという間に一ヶ月が過ぎた。気づけばクリスマスも目前に迫り、涼一のバイト先でも従業員がサンタの帽子を被って賑やかな飾り付けがされた店内を忙しなく動いている。  街中はどこもかしこもクリスマスカラーに溢れ、枯れた秋の色に包まれていたあの日に比べると、随分賑やかになった。だがそれ以上に変わったのは真崎だ。真崎は今、凉江の会社で営業マンとして働いている。  毎日決まった時間に起き、髭を剃り、スーツを着て仕事に行く生活だ。家もワンルームのアパートを借り、毎日きちんと風呂に入っている。あの公園からもテントが一つ消え、真崎というホームレスはこの世から消えた。 正樹の住むアパートは、涼一のバイト先と家の中間地点にある。昔からある古い住宅街に建つ、築四十年の古アパートだ。  涼一の家からは歩いて十五分ほど。そのため、涼一は毎日合鍵を使って部屋に上がり、食事の準備や掃除だけして帰る。仕事を始めたばかりの正樹は忙しく、毎日夜の九時を過ぎないと帰ってこないのだ。  だから、正樹とのんびり過ごせるのは土日だけ。涼一は毎週土曜の夜から日曜にかけて正樹の家に泊まっている。  今日は土曜日。待ちきれずに朝の八時から正樹の部屋に押しかけ、正樹が朝食を摂っている間に洗濯や掃除を済ませて、一通り片付くと、正樹と並んでダブルベッドに腰掛けた。  この一週間の出来事は、毎日寝る前の電話やメールのやり取りでお互い全て把握している。だからまずは取り留めない話をして、会えない間にできた少しぎこちない雰囲気を崩すことから始める。完全にいつもの調子に戻ると、涼一は正樹に訊ねた。 「正樹さんは後悔とかしてないんですか?」 「いきなりなんだよ。つーかなんのことだ?」 「僕の家に泊まったとき、正樹さん、お母さんにホームレスを止めるって急に言い出したじゃないですか。でも前の晩までは今の生活を変えられないみたいに言ってたし、どうして急に意見を変えたのか、僕ずっと不思議で」  恐らく正樹の中では、かつて結婚した女性を幸せにできなかったことと、ホームレスとして生きることは繋がっている。そして正樹は、自分から過去にしがみついている。だからどれだけ涼一に求められても、普通の生活に戻ることだけは拒んでいたのだ。  しかしあの後すぐに正樹は性病の検査を受けに行き、全ての項目で陰性という結果が出るよりも前から凉江と連絡を取り合うようになり、いつの間にか凉江の会社で面接まで受けていた。  アパートも勝手に決め、涼一の知らぬ間に正樹はホームレスを卒業していた。涼一がそれを知ったのは、「ベッドを買うから一緒に選んでくれよ」と、毎晩のようにしている電話で言われてからだ。いつどんなきっかけがあってその心境にたどり着いたのかも、まだ教えてもらってはいなかった。  正樹はしばらく黙った後で言った。 「忘れた」  そして涼一の肩を抱き、甘えるように寄りかかってきた。正樹の大きく筋肉質な体は、とても重かった。 「……今の生活、少しは慣れてきましたか?」 「まぁな、でも、夜一人で飯食ってると、結構キツい」 「寂しいってことですか?」 「寂しいっつーか、明日はお前のメシ食えんのかなーとかいろいろ考えると不安になる。まぁ、電話で話せば、お前が俺にベタ惚れなのが嫌になるくらい伝わってくるからいいんだけどさ」 「大学を卒業したら正樹さんと一緒に暮らしていいってお母さん言ってたから……」  涼一は正樹の大きな手を、両手で包み込むように握った。正樹には、「もう入学した気になってんのかよ」と笑われてしまった。 「でも、そうだな。お前なら大検も入試も問題ないだろうな」 「勉強だけが取り柄ですから」 「そんな言い方すんな。お前は真面目で努力家だから勉強ができんだよ。料理だって最近すげー美味いし、それに……」  言葉は最後まで続かなかったが、体の上を這い回る正樹の視線から、正樹が何を言おうとしているのかは分かった。 「しますか?」 「どうすっかなー」  わざとらしい態度だ。「意地悪」と睨むと、正樹はニヤリと笑った。太ももを二度叩くと、正樹はもう笑わなくなった。  天井近くの古びたエアコンからは温風が送られてくる。しかし隙間風の多い部屋では、暖房を点けてから二十分程度では、まだ少し肌寒さが残っていた。  正樹に見られながら、上下とも服を脱ぐ。ベッドの真ん中に体育座りの格好で座り、そのまま脚を広げ、割れ目の奥にある穴を指で広げて見せた。 「……もうできるから」 「みたいだな」  正樹はズボンと下着を一緒に下げながらベッドに上がってきた。  涼一が広げる場所に指を入れ、「なんで濡れてんだよ」と熱っぽい息を吐く。まだ膝のあたりに引っかかっていた衣服を、脚で蹴るようにしてベッドの外に放り出した。 「正樹さんがこの前買ってくれたので準備しました」 「ローションとバイブな。パンツもグショグショで気持ち悪かったろ。次からは持ってきて俺の前でケツ穴広げろよ」 「……うん」  想像しただけで恥ずかしくなってくるが、正樹がその方がいいというなら、次からはそうしようと思った。  正樹は涼一の体を押し倒し、涼一の中に入ってきた。 「あー……やっぱ凄ぇ……」  浅黒く彫りの深い顔が、気持ちよさそうに歪む。涼一は正樹の頬を撫で、上着を引っ張った。 「正樹さんも、脱いで……」 「ああ」  正樹も上着を脱いだ。  正樹の体は、胸や腹のあたりだけ少し白い。 胸板は厚く、肩幅は広く、腹筋も割れている。わきには黒々とした毛が生え、へその下から陰毛まで毛が繋がっている。見紛うことのない男の体だ。  涼一は正樹の胸に触れた。肩や腹や陰毛にも触れた。正樹は涼一の手を掴んで押さえつけ、深いところで腰を激しく動かした。 「やっ……! あ、あっ……やだっ、まっ……ぁっ!」  体の奥から、意思だけではどうにもならないものが引きずり出される。 「ぁひっ……!!」  咄嗟に唇を噛みしめた。  涼一の体がビクビクと跳ねる。体の内側は激しく収縮し、正樹の肉を締め付けていた。 「ん、ふっ……、んぅっ、ん、ふっ……」 「ちょっと掘ってやっただけで馬鹿になってんじゃねえよ。チンポ好きの淫乱が」  乳首を引っ張られた。腰のところにゾクゾク来て、涼一の中は更に激しく正樹を締め付ける。自分でも分かった。  涼一は脚で正樹にしがみつく。それを振り切るように、正樹は腰を叩きつける動きを再開した。 「ほら。もっと……イけよ!」  パンパンと肌がぶつかり合う。中を擦られる刺激も、耳から入ってくるその音も、どちらも激しく涼一を責め立てる。 「あっ……、ひっ! あっ、あっ……!」 「声でけぇよ。お前ん家と違って壁薄いんだから、黙らねえとまた口塞ぐぞ」 「やだ……! くち、も……まさきさん……ほしい……!」 「あ?」  突然正樹が不機嫌な声を出した。 「一本じゃチンポ足りねえってか? ふざけんなよ」 「ちがっ……!! 息……! まさきさんの、息……。口に……して。唾、も……」 「……変態かよ」  しかし、正樹の機嫌は一瞬で直った。  涼一の中で正樹の肉が嵩を増す。正樹は腰の動きを小さなものに変え、嬉しそうな顔で涼一の鼻を鼻先で押しつぶした。 「まさきさん……」   口を限界まで広げてねだる。そこに向かって、正樹は深く息を吐いた。  熱く湿った空気が口の中いっぱいに広がる。 肺という触れることのない臓器を通って吐き出される息。血液中で正樹を生かすために必要な栄養を採り終えて排出された残りかす。  しっかりと口を閉じ、正樹の息を口の中で転がす。もっともっと、犯せる場所は全て正樹に犯してもらいたい。 「ん……んふっ、ん……」  涼一の体がビクビク震え、正樹を強く締め付ける。  正樹は舌を伸ばし、閉じた涼一の唇を端から端まで舐めた。涼一もすぐに口を開き、正樹の舌を舐めた。誘われるように熱い舌が入ってきて、涼一の口をすみからすみまで舐める。舐めながら、正樹は唇で涼一の唇をさらに大きくこじ開けた。そこから少しずつ生暖かいものが流し込まれた。 「あ、ん……。ん、う……」  正樹の唾液だ。口の中に溜め、舌に絡めてから喉に送り込む。 「くそっ……。この変態が……」  正樹は一度唇を拭い、涼一の蕩けた顔を見ながら口をもごもごと動かした。そしてもう一度、今度は何が送り込まれているの見せつけるように、少し高いところから唾液を吐き出した。 「あっ――」  限界まで口を開く。ピチャッと唾液の塊が口の中に落ちてきた。  後から、白くて粘性のある細い糸が引く。正樹が顔を僅かに引くと、糸はプツリと切れた。涼一は口を閉じ、正樹の唾液を噛みしめる。  正樹の言うとおりだ。変態なんだと思う。正樹に出会うまでは考えることすらなかったような酷いことばかり、今では自分からどんどん正樹に求めてしまう。  けれども、涼一は変態でいられることを嬉しいと感じていた。  涼一の変態な部分は、正樹にそう変えられたわけではなく、たぶん正樹と出会う前から涼一の中に潜んでいたものだ。ただ気づかっただけ。普通でいるために不要なものだっただけだ。  男に抱かれたいということも含め、涼一は涼一にとっての普通ではない。けれども、正樹には全部さらけ出せる。受け入れてもらえると信じられる。そのことが嬉しかった。 「唾吐かれて何笑ってんだよ、変態が」  三度目だ。涼一は顔がますます緩むのを感じながら正樹の頬を撫で、「大好き」と言った。正樹はバツの悪い顔をした後、自分が達することしか考えていないように、乱暴に奥を叩きつけてきた。 「ひっ、う、ん……!」  口を手で塞ぎ、どうしても漏れてしまう声を抑えた。 「こんな……ケツ穴のくせしやがって、ノコノコ青テントなんかに通ってっから、俺みたいな汚いホームレスのおっさんにハメられまくることになるんだよ。少しは反省しろ」  ペシッと尻を叩かれた。それに反応して涼一の中がヒクつくと、正樹は同じ場所を何度も叩いてきた。叩かれすぎて、涼一の白い肌は赤くなった。 「正樹さん……、すき……!」 「だからお前は、なんでそういうことを――くそっ! ちょっとタンマ……!」  正樹は慌てて涼一からペニスを抜いた。  眉間に皺を寄せて涼一を見下ろしてくる。短い前髪が汗で額に貼り付いていた。 「リョウ。俺のこと、そんなに好きか?」 「……はい」 「だったら……」  何かを言いかけ、途中で「やっぱいい」と涼一から目を逸らす。やはり眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔だった。その意味がなんとなく分かるような気がして、涼一は正樹の額にそっと触れた。 「正樹さん……」  汗で貼り付いた前髪を剥がし、撫でる。 「僕、証明問題……得意、だから……」 「は? 証明問題って……数学のアレか? あの面倒臭ぇ文章のやつ」  たぶんそうなのだろうと思いながら頷く。  前提条件と共に解は用意されていて、そこに至るまでの道筋を見つけて示す。ゲームのようで涼一は好きだった。  それはあくまでも数学における証明問題の話だが、細かいことはどうでもいい。ただの言葉遊びだ。 「だから、僕が正樹さんを好きなの……錯覚じゃないこと、証明するから。僕の一生の、全部で」 「…………」  正樹は目を見開いた。少しの間そのまま涼一を見下ろし、しばらくして、揶揄するような笑みを作る。 「……まだ人生始まったばっかみたいなガキが一丁前なこと言うな」 「うん……。でも好き……」  好き。大好き。愛してる。かつて正樹が毎日欠かさず妻に伝えていたという言葉だ。  その言葉を、涼一はまだ正樹の口から一度も聞いたことはない。今日もまた、正樹は涼一の好きに対して何も言おうとはしなかった。  どちらからともなく、涼一と正樹は体を離してベッドに寝転がった。最初は肌寒かったはずなのに、今は汗をかいている。  ベタベタする手だけを繋ぎ、枕元の窓から空を眺めた。  淡い灰色の空。曇り空。涼一がこの窓から空を眺めるとき、いつも曇りか雨のどちらかだった。 「もうずっと、曇りですね」 「お前さ」  正樹は体を転がし、涼一の方を向いた。 「俺がただのケツ穴好きの変態だと思ってるだろ」  そんなことは思っていないが、こういう言い方のときは、同意したほうがいいときだ。  こくっと頷くと、正樹は整った歯を見せて笑った。 「女のあそこが駄目になったんだよ。AV見ても、あそこにチンコが入ってんの見ると、どうしても萎える」 「風俗のお店には行くのに?」 「本番まではしねえよ。アナルだけは一度だけOKな嬢探して試したけどな。――ちゃんとゴムは付けてたぞ」  女性器に反応しなくなるまでは、アナルセックスに興味なんてなかったと正樹は言った。普通のセックスが無理になったと気づいたとき、様々な種類のアダルトビデオを見ていく中で、肛門だけを使ったシーンに反応すると気がついたそうだ。 「いつかまたできるようになりますよ」  そう言うと、正樹は「必要ねぇなぁ」と鼻で笑って、涼一を抱き寄せた。  会社での正樹の様子は、凉江経由でこっそり聞いている。女性中心の社内で、正樹は随分と人気があるらしい。  この見た目で独身なのだから当然だ。けれども正樹は早々に特別な相手がいることを宣言し、その相手に少しでも誤解されるようなことはしたくないからと、女性と二人きりの食事や会社行事以外での飲み会、プライベートな連絡は一切断っているそうだ。  自意識過剰とか潔癖すぎると言われかねない態度だが、正樹は相手の懐に入り込むような人懐っこさと気さくさで、既に何年も共に働いてきた仲間のように、周囲にうまく溶け込んでいる。  勿論仕事ぶりも非常に真面目で勉強熱心。自分より一回り年下の女性が相手でも、分からないことがあれば分かるようになるまで質問し、一切偉ぶることもない。そういう意味でも、正樹は女性達から人気があるようだ。  涼一には想像できないようなその姿こそが、きっと、本来の正樹なのだろう。そうでもなければ、かつて正樹の携帯に入っていたような、上司夫妻とその娘との幸せな家族写真はできなかったはずだ。  今、正樹の携帯には涼一の写真しか入っていない。正樹は自分から過去の写真を消し、その代わり、初めての子供を持った親みたいに、何かある度に涼一の写真を撮った。撮ったばかりの写真を確認するときの正樹の眼差しは、いつだって怖いくらいに優しい。  だから涼一は、正樹からの言葉が無いことも、二人の関係に明確な名前がないことも不安には思わない。それをしないのは、たぶん正樹の弱さだからだ。  普通に働き、普通に女性を愛することができていたはずの正樹は、一つ一つがほんの少しずれていれば回避できていたはずの不幸によって、立ち直れないほどの深い傷を負った。その傷と過去への負い目が、少しぶっきらぼうな、涼一のよく知る真崎を作り出した。  涼一は弱い正樹を愛した。そこから、全ての正樹を好きになった。  正樹の肩に頭を預ける。そうして二人で、いつまでも小さな窓を眺めていた。  そこから見える景色は小さく、正樹が涼一に見せたいと言っていたどこまでも広い南国のような空からはほど遠い。不自由で、重苦しい景色しか見えない。  けれども、一度は歩むことを止め、全てを投げ出した二人が再び歩き出すためのスタート地点としては、きっと相応しい。  これから先は二人だ。  相手のためなら、一度止めた足を再び動かせるほどの相手と二人。  だからそれがどれだけ険しい道だろうと、いつまでだって、どこまでだって歩いて行ける。この世界に溢れる普通がどれだけそれを否定しようとも、涼一だけはそう信じている。

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