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「……ル、おーい、ハル?」
「えっ?あ、何?」
「なんか難しい顔してたけど大丈夫?」
昼間、喫茶店での件もそうだけど最近悩んでいるとき顔に出過ぎじゃないか。家ならまだしも、学校とか人がたくさんいる所では出さないように気をつけないと。心を覗かれるのはあんまり好きじゃない。
「……大丈夫。なんでもないよ」
「そう?ならいいけど。そっちはもう片付け終わった?」
「ああうん、終わった」
「手伝ってくれてありがとね。じゃあ俺、次はお風呂掃除するから」
カナは持ってきた掃除道具を抱えて書斎を出て行った。ゆっくりと閉まっていくドアを見て、急にカナに見放されたような気がして慌てて後を追う。大きな音を立てたドアに驚いて振り返ったカナと目が合う。
「わ、びっくりした……そんなに慌ててどうしたの」
「いや……」
「本当に大丈夫?何かあるなら話くらい聞くよ?」
自覚したばかりで自分でも心の整理がついてないのに、聞いてもらう勇気なんか出るはずがなかった。
そもそもどう言えばいいんだろう。そのまま素直に『男が好きなんだけど』って言うべきか?
……いやいや、冷静沈着なカナでもそんなこと急に言われたら混乱するよな。とりあえずは話を聞いてくれるだろうけど普段からセフレのことで煙たがられてるし、同性が好きだなんて気持ち悪いって引かれてしまったら……。俺を一番知っている人、自分の片割れに否定でもされたらそれこそアイデンティティの崩壊とか、そのレベルだ。いろんな意味で繊細な問題だから、やっぱりそう簡単に相談できる内容じゃない、よな……。
無言で突っ立っていると、カナは「気が向いたらリビングの掃除しといて」と言い残して行ってしまった。
……モヤモヤを抱えたまま部屋に戻っても延々と悩み続けるだけだろう。すぐには解決策が見つかるような問題じゃないのは明らかだ。
次から次へと新しい悩みが出てきて気が滅入ってしまう。何か作業をしていた方が気が紛れるだろうと、カナに言われた通りにリビングの掃除をやることにした。
性別とか接し方とか今までセフレだし別にいいやって気にしてなかったことも、好きな人となるとあの時こうすれば良かったって途端に後悔の種になる。
それにもし付き合えたとしても、今までの彼女と同じように人前で堂々と恋人だと振る舞える自信がない。友達とかに大っぴらに言う気もないけど、きっと周りの目を気にして隠そうとしてしまうだろう。それじゃあセフレの時と変わらない気がする。向けられる棘から夏希を守り切れる強さもない。人目を忍ぶ恋ってお互いにとって幸せなんだろうか。
……自分が自分じゃなくなるくらい悩むなら、好きだなんて気づかない方が幸せだったのかもなぁ。恋愛ってもっとわくわくして楽しいものだと思ってたけど、俺のは違ったみたいだ。
掃除機をかけながらぼーっといろんなことを考えていると視線を感じて、顔を上げたらカナがいた。
「……風呂掃除は?」
「もう終わったよ。随分と熱心に掃除機かけてるみたいだけど……」
時計を見るとリビングの掃除を始めてからもう三十分も経っていた。考えごとにリソースを割きすぎていて掃除が全然進んでない。これはカナに呆れられてもおかしくないな。
「……何を悩んでるのか知らないけど。恋愛のことで悩んでるならあまり考えすぎない方がいいんじゃない。『恋は盲目』ってよく言うでしょ。恋愛したいなら余計なことは考えたらダメなんだよ」
不意に投げられた言葉に、掃除機を片付ける手が止まる。
そうか、盲目か。
周りが見えなくなるくらい相手に夢中になれたら、それがきっと恋をしているっていう証なんだろう。……そのくらい夏希のことを好きになれたら答えが出るのかもしれない。
これからどうなるか分からないのに――それこそ夏希と付き合えるのかも分からないのに初めから深く難しく考えすぎだったのかもしれないな。まずは恋愛対象として見てもらえるように頑張って、問題が出てきたらその時に考えることにしよう。
「……なんかすっきりした。ありがと」
「たくさん悩めばいいじゃん。それも恋愛の楽しいところだよ」
「……自分でも気づいたばっかりで、心の整理ができてない……から、落ち着いたら相談に乗ってくれる?」
「ん、分かった。まあ、俺だってたくさん経験があるわけじゃないから、的確なアドバイスができるか分からないけどね」
そうは言うものの、俺よりはちゃんとした恋愛をしてるだろう。胸につっかえていたものが全部どうでもよくなるくらいにはさっきの言葉で救われた。
「いやぁ、カナはすごいね」
「なにいきなり」
「恋愛マスターじゃん」
「うわ、やめてくれる?ハルに褒められると寒気がする」
顔を顰めて冗談を言うカナに俺も冗談を返す。こうやって二人で笑い合って話してるなんていつぶりだろう。小さい頃に戻ったみたいで少しだけ嬉しかった。
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