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第1話 手紙

 大貫は無口な学生だ。担当教授は「彼の内申書はバケガク(化学)の成績がズバ抜けていた」と言う。その他のプロフィールは分からない。ミスターミステリアスなどとあだ名される程の秘密主義者はなかなか尻尾を出さず、陰口をたたかれても本人としては別に構わなかった。  大貫は今日も定位置の木陰のベンチで故郷へ手紙を書く。 「父上、母上、お元気ですか。お二人に謝らなくてはいけません。嫁探しの件は難しく、よい報告が出来ません。諦めてもらえないでしょうか……」  ベンチの周囲では木の葉が気流に乗り、右に左にひらひらと舞い落ちる。これを見ると無性に心が躍る。紙飛行機作りに夢中の子供の如く。 「空気抵抗を計算しつくした流線型。適度な強度、重量。この葉の動線の謎を解き明かしたい。理系の血が騒ぐなあ」  じっくり観察したいが、直接素手では触れられない事情がある。  大貫の得意分野は、化学(ばけがく)はバケガクでも、化けの学門。その正体は変身能力に長けたタヌキの末裔だ。この艶々の葉は柿だろうか。これを頭に乗せ、里の化け学で教わったとっておきの呪文を唱えたい。素手で触ったら反射的に頭に乗せたくなるので、触るのは危険だ。変化のことは絶対秘密。化けの皮が剝がれたら大学にはいられない。  書き途中の手紙に目線を落とし、ため息をひとつ。 「好きな人はいます。ただし女性ではありませんって、書くべきなのかな」  いつもこのくだりで気が揉めて、結局書かない。想いを寄せる人がいる。きっと先方もまんざらではない。だけど、まだ付き合ってもいない、告白もしていない。親に報告する段階ではない。  頭上の深い青を見やる。この街は空が狭くて遠い。ベンチにもたれて大きく伸びをした。 「大貫、どうした、思いつめた顔して。目の下にクマ出来てるぞ、論文で徹夜?」  同じ専攻の今野が近寄ってきた。秘密の露呈を防ぐため、極力他人に歩み寄らない大貫なのに、御構い無しにほとんどの時間を居座る人懐こい奴だ。隣にいると心地好い。そしていつの間にか隣にいないと寂しいと思うようになった特別な存在――大貫の想い人だった。今野に誰か恋人が出来るなんて耐えられない、いっそ思いを告げてしまいたいと思うのだが、興奮すると変身が解けてタヌキに戻りそうになるので踏み切れない。 「今、いいか?」  今野は珍しく断りを入れて隣に座り、周囲に人がいないか見回して、カバンから何か取り出した。 「あのさ、これ」  今野が差し出したのは、差出人も宛名も書かれていない真っ白な封筒だった。 「俺、ずっとお前に聞きたいことがあって。  大貫、俺のこと好きだよな? 俺も同じ気持ちだって気付いてるんだろ?  お前から言ってくれるの待ちたかったけどもう限界。だから書いた」  封を開ける。書かれていたのはたったひとこと。 『 本当のお前を教えて 』  読み終えた途端、白い便箋はポンッと煙を噴いて葉っぱに変わった。  変化(へんげ)(まじな)い! 艶々の柿の葉を咄嗟に素手で受け止めてしまった大貫は、なんとか理性を保つようにその場にしゃがみこんだ。耐えなくては! 脂汗が吹き出す。今野の前で化ける訳にはいかない。青ざめて震える大貫を見かねて、今野が柿の葉を奪い取る。 「大貫、ごめん。俺が卑怯だった。こんな上物の葉でも堪えるなんて、お前凄いな!」  今野は立ち上がって、手にした柿の葉を自分の頭に乗せた。 「見てくれ。先に言うよ、俺の秘密」  ポンッ!  白い煙が舞って、今野の姿が変わる。 「キツネ……」  ――異種か……!  大貫は、手紙の続きを考える。 『母上に謝らなくてはいけません。恋人が出来ました。が、諸事情で紹介は出来ません。嫁の件は諦めてもらえないでしょうか……』

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