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忘れられない一夜の話(3)

 一次会が終わって、俺はグループを抜けた。元から一次会で帰る事の多い俺を仲間も先輩も引き止めたりしない。そんなに酒に強くないからだ。  香坂も「ちょっと飲み過ぎました」なんて言って帰る事にした。  駅の方向も俺と同じだから、自然と俺が送って行くように先輩にも仰せつかった。  道中、少し重苦しい感じがある。  俺は途中の公園に香坂を誘って、ベンチに腰を下ろした。  言おうと思っている。思っているけれど、何から話せばいいかが分からない。  隣りに座った香坂が、不安そうに見上げてくる。子犬みたいなその目に、俺は余計に言葉を見つけられない。 「先輩?」 「……あのさ、香坂。お前、彼女とかいないのか?」  あまり当たり障りの無い言い方をした。いきなり「俺は男が好きで、お前の事をそういう目で見始めている」とは切り出せない。それが言えれば自分の性癖に悩んだりはしていない。  驚いた香坂は、次にはふわりと微笑んでいる。その柔らかな表情に、俺はまた心臓が跳ねた。 「いませんよ」 「そうか」 「先輩はいませんよね?」 「……いない」  確信あるみたいな言い方だけれど、普段から俺の側にいれば分かるのかもしれない。そもそも俺の口から「彼女」という単語が出てくるはずもないし。  嬉しそうに笑う香坂の手が、俺の手に重なる。自分よりも少し高い体温に、妙にドキドキする。近づいた距離は触れられる距離で、俺は何かを期待しているように呆然と見ている。 「でも俺、好きな人はいます」 「え? あぁ、そうか」  そうだよな、大学生なんだし。早い奴だともう彼女ゲットしてる奴もいる。全体的に男率高めとはいえ、女子がいないわけじゃないんだし。  思いながら、落ち込みもする。そしてやっぱり言うのを止めようと思って、心に留めた。 「どんな子なんだ? ってか、それなら俺の側にいないでアプローチしろよ」 「しているつもりなんですけれど、鈍感なんです」 「そうなのか?」  困ったように笑う香坂を見て、俺はどんどん気持ちが落ち込むのを感じる。  なんだ、思ったよりも俺は香坂の事が好きだったんだと、始めて自覚しはじめている。 「俺がこんなにアピールして、独占欲出してるのに連れなくて。ちょっと自信なくなります。これでも勇気を振り絞ってるのに」 「そんなになのか? お前は友達も多いし、明るいし、顔だっていいんだからすぐに彼女くらいできそうなのにな」 「何が足りないのでしょうね? もっと積極的に迫ってみればいいんでしょうか?」 「積極的って……具体的には?」 「そうですね……例えば……」  少し考えた表情の香坂は、すぐに口元に怪しい笑みを浮かべる。  顔に触れる手、伸び上がった体、触れた唇に俺の思考は止まる。  マジマジと目を見開いたまま、一瞬触れた唇の感触を思いだして心臓が跳ねた。 「キス、とか」 「……え?」  真剣すぎる瞳がとても近くで覗き込む。ドキドキと煩い心臓の音に戸惑う。痺れるように甘く、目眩がするように誘惑される。 「鈍感な貴方に気付いてもらうには、もっと積極的にならなければいけませんか?」 「俺?」 「先輩も、俺の事気にしてるでしょ? 側にいるんですから、気付きます」  気付かれていた。驚いて後ろめたくて隠したいのに、ぶつけられる驚きが大きすぎて反応できない。  触れるだけの切ないキスがまた、今度はもう少し長く。 「気付かないと思うんですか? 先輩が俺を見る目、とても色っぽいですよ」 「そんなつもりは……」 「惚れた欲目はあると思いますが、それでも特別だって思いました。思いたかっただけ、なんて酷い事いいませんよね?」  寂しげな瞳が見つめる。  思い過ごしじゃない。俺は時々、そんな目で見ていた。受け入れられるわけがないと思いながらも、受け入れて欲しい気持ちを捨てられなかった。  だからこそ苦しんだんだ。離れようと思った。この気持ちが膨れ上がって、やがて息が出来なくなりそうだったから。  頬に触れる手が、切なそうに滑る。見つめる瞳が、揺れ動いている。 「俺は、先輩が好きです。後輩としての親愛ではなく、貴方を男と分かって、それでも」 「香坂……」 「先輩は、嫌ですか?」  嫌なわけがない、俺もそれを望んでいた。  喜びが溢れるように、俺は香坂を抱きしめて深く口づける。求めたものを手にいれたような気がして、離しがたい気持ちにかられていた。  多少酸欠になりながら、濡れた香坂の瞳を覗き込む。頬を染めた彼が、次には幸せそうに微笑んだ。 「俺も、香坂が好きだ」  ようやく、本当の気持ちで伝えた初めての言葉。  それを受けた香坂もまた、嬉しそうに笑って「俺もです」と言ってくれた。  産まれて初めて俺の想いを吐き出したこの夜を、俺は忘れる事は無いだろう。この先、何年、何十年とたっても。

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