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第1話

 結木啓(ゆうきはる)が図書室に入ったのは、この日が初めてのことだった。  高校の雰囲気にも慣れ、新入生それぞれが抱える不安も日に日に消えゆく初夏。そんなある日の放課後、クラスメイトの遊びへの誘いに今日はなかなか気が乗らないが、断るのもそれはそれで結木にとって難しい。  帰りのホームルーム終わりに友人達の輪から抜け出そうとも思ったがそれは叶わず。気軽に腕を回してくる二人の女子の名前は何だったっけ。  ねぇ結木、行くでしょ? そんな誘いに生返事をしながら、何となく開けた引き戸の先。扉一枚隔てただけのはずなのに静寂に包まれているここは、ざわついた廊下とはまるで別世界だ。そう思ったのもつかの間、本来「静かにするように」と利用者たちに指示する立場にあるはずだろう、入り口すぐに設置されたカウンター内から思いの外大きな声が届いた。 「なぁ湯川、今日も当番代わってくんない? な? この通り!」 「うん、分かった。いいよ」 「よっしゃ! じゃあ頼んだ!」  そう言って瞬く間に図書室を出ていった生徒は、かるく頭を下げ窺う姿勢を見せながらも、端から委員としての仕事をする気はなかったのだろう。軽やかな足取りはみるみる遠ざかり、引き戸は跳ね返って少しすき間が空いてしまった。  湯川と呼ばれた生徒は先ほどまでの笑顔を一瞬でどこかへしまい、結木の横をすり抜ける。窓から入る風が、色素の薄い湯川の髪をサラリとなびかせた。つい目で追うと見下ろした先、髪のすき間から湯川の横顔が覗く。  こんなの何てことない、いつも通りだ──そんな表情に見えるのに。  誰にも聞こえない音で吐かれたため息が、結木には見えた気がした。

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