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「はぁ」    気怠い体を起こし、ベッドから起き上がる。ここ最近は眠りが浅く、妹に起こされる前に目覚めることが多かった。    あれからというもの。味を占めたマーサは度々不意を突いて俺の体に入り込んだ。マーサの感情・記憶がその度俺に流入するものだから、ここ最近俺の体は絶不調だ。はぁ、ともう一つ溜息を落とし、洗面所に向かう。顔を洗おうと鏡を見た瞬間。目に入ったのは明らかな異変だった。    *   「おはよう、圭一」 「……おはよ」    朝食の支度をしている義母の様子はいつも通りだった。ちらりと俺の髪を見て、満足げに頷く。その反応に、やはり黒髪になっていた原因はこの人かと心がささくれる。   「綺麗に染まってるわね」 「……やっぱり義母さんが染めたんだ」    咎めるような口調の俺に、義母が眉を下げる。   「この間、学校に呼び出されたでしょう。先生も黒に戻すようにって仰ってるのに戻す素振りを見せないし。それに、あんまり変わったことをして周りの子に虐められないか心配なのよ。普通にしていたら目を付けられないと思って染めちゃった」    ごめんね、と言いながら悪びれる風でもない義母に、内心で反抗する。  この人が俺を心配しているというのは本当だろう。なんだかんだ、小学校六年生からの付き合いだ。血が繋がっていないとはいえ、どういう人なのかということくらい理解しているつもりである。    それでも、俺にとって髪色を弄られるのはタブーだった。普通という言葉も。心配しているのは分かっている。でも、だけど。    ――普通って一体何なんだ?    俺は生まれてこの方、幽霊の見えなくなったことがない。幽霊が見えるのが俺にとっての普通で、世界だ。義母が普通に拘るのは、彼女が俺にとっての普通を理解できないから。周りにいじめられると懸念しているのも、嘘ではないのだろう。だが、真実でもない。一番異端を嫌い、恐れているのは他でもない彼女だ。  それら全ての思いを飲み込み、朝食を口に入れる。咀嚼もそこそこに水で胃に流し込むと、腹がどっしりと重くなった。   「制服もちゃんとアイロンかけといたからね」 「ああ、うん」    ありがとうとはどうしても言えなかった。こんなことなら切り刻んで捨てておくんだった、と後悔するももう遅い。大人しく制服を着ると、義母は安心したように頬を綻ばせる。いくら見た目を取り繕ったところで、俺の異端に変わりないのに、それを受け入れられないこの人はどうにかして自分の普通に俺を嵌めようとしてくる。それがどうしようもなく窮屈だった  。 「いってらっしゃい」    俺が好きなのは幽霊で、しかも男なのだと。ここで叫んだらどんな顔をするだろうか。暗い想像をしながら、俺は黙って家を出た。    *    校門で風紀検査をしていたセンパイは、おはようと軽く挨拶をし二度見してくる。   「なんですか、じろじろと」 「おま、魚沼? どうした」 「……優等生始めましたって感じですね。うける。だっせー」    忌ま忌ましさに顔を顰めると、センパイは奇妙な表情をする。マーサがやらかす度この人が上書きをするものだから、最近ではセンパイの表情の意味も分かるようになってきた。今のは、俺が急に嫌がっていた格好をすることに誰かの作為を感じたものの、委員長という立場上ここで指摘できないもどかしさといったところだろうか。   「母親に染められたんですよ」 「母親?」 「義理のね」    亡くなったのでは、と首を傾げるセンパイに、言葉を足す。ああと頷くセンパイは、また複雑そうに口を曲げる。今のは、いくら義母といえど勝手に染めるのはどうなんだという顔だ。ここまで顔に出るといっそ小気味よい。   「いい人なんですよ。……多分、俺が見える人間だからこじれてしまっただけで」  見えなかったら、いい親子になれたのかな。そんな下らないことを考え、思わず笑う。馬鹿だな。俺がこんな体質じゃなかったら、今頃は車に轢かれたままお陀仏だ。   「ままならねー」    くすくすと笑うと、センパイは「あぁ」と小さく同意した。

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