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「圭一……ッ?」  悲鳴じみた声にハッとする。教室の入り口を見ると義母と妹がいた。楽しげに表情を緩めた妹とは裏腹に、義母の顔は真っ青だった。眼差しは俺に釘付けで、悲壮な雰囲気を漂わせている。にこにこしている妹は教室の内装を眺めており、母親の変化に気付いていないようである。クラスメイトの何人かは先程の悲鳴じみた呼びかけに気付いており、ちらちらとこちらの様子を窺っている。大丈夫だと目で合図をし、義母に近付く。  甘い味に飽きたらしいセンパイは、まだ半分以上残っているパンケーキを前に小さく俺を呼ぶ。誰も彼も心配性だなぁ。苦笑する俺の横にセンパイは立つ。なかなかの甘やかしようである。 「圭一、」  近付く俺に義母はふらりと歩み寄る。皺の増えた手に、歳を取ったなと思った。初めて会った頃は俺の方が低かった身長も、今や義母を抜かしている。当時は見えなかったつむじも今ではすっかり視線の下の方にあった。 「虐められてるの……ッ?」  愚母が俺の服にすがりつく。血の気の引いた唇は、ぶつぶつと言葉を紡いでいく。 「黒髪にしたのに、普通じゃなかったから? なんでそんな、」  じっと衣装を見る義母に、うろたえている理由を理解する。他の男子は執事の衣装なのに俺だけメイド衣装であるから虐められているのだと思っているのだ。イジメ云々は事実無根だが、普通という言葉が思いのほか胸に刺さり黙り込んでしまう。  そんなつまらない理由で黙っていないで、早く誤解を解けばいいものを。  冷静な自分がそう呟くも、回転の鈍った頭はからからと思考の空回りを続ける。 「普通ってなんですか」  一瞬、声に出してしまったかと思った。はたと口に手を当てるも、唇は相変わらず硬く引き結ばれたままで。隣を見ると、険しい表情をしたセンパイが俺を庇うように義母と向き合っていた。 「俺はゲイです。これは、あなたにとっての普通じゃないんでしょう。じゃあ、あなたは。失礼を承知で申し上げますが、一言の断りもなしに息子の髪を勝手に染めるあなたは俺から見て」 「センパイ」  その言葉の続きは聞かなくとも分かった。義母にもその先は伝わったはずだ。でも、言わせる訳にはいかなかった。色々と噛み合わなかったが、俺はこの人を嫌ってはいなかったから。俺のため。だからといって何をしても赦される訳ではない。そんなこと、分かってはいるけど。俺自身、決して傷つけられたことがないなんて、そんなことは言えないけど、それでも。  ありがとうという言葉は、馬鹿みたいに掠れていた。 「母さん」  いつもの響きと違うことに気付いたのだろう。先程とは違う理由で顔を青ざめさせている義母は、母親はその瞳の色を戸惑いに染める。 「母さん。ごめん。ごめんね」 「けい、いち?」 「俺、母親が死んだこと、ずっと受け入れることができなかった。だから、どうしてもちゃんと母親だと思えなくて」 「圭一、」 「皆忘れて、俺だけが置いてけぼりだと思ってた。母さんの墓がずっと綺麗な理由も考えさえしなかった。ずっと、拗ねてたんだ。母さんが心配してることも分かってた。分かってて、ずっと意地張ってた。ごめん。普通じゃないから、なんて反発ばっかして、言葉を尽くすことを諦めてた……ッ」  俺なしで家族団欒しとけよ、なんて。口下手な父親の視線に気付きながら。毎朝起こしてくれる妹は、その実母親に促されて俺の枕元に来ているのだと気付きながら。距離の詰め方を見失っているこの人が、せめて妹だけでも仲良くしてくれればと、俺を独りにするまいとしていることに気付いていながら。ずっと、俺だけが独りであろうとしていた。  霊感持ちの息子なんて嫌だろうに、それでも親としてあろうとしてくれたこの人の優しさを全て無視した。普通という言葉が嫌なのだと。ただその一言すら伝えることをせずに被害者ぶって。嫌な事をわざわざ選び取ってするような人ではないのに。  何に傷つき、何を疎むか。  霊感など俺にしかないのだから、俺が伝えない限り理解を求められる筈もない。  分かってくれないと嘆きながら、一番誰のことも理解してこなかったのは他でもない俺自身だった。  俺の言葉に、母は昔より皺の増えた目元を和らげる。出会ってから、四年が経った。四年間、親子になれなかった俺たちは、ようやく各々の求めた形に収まりつつあった。不安そうな顔で俺たちのやりとりを見つめるクラスメイト達に向かって、にっこりと微笑む。うん、大丈夫。 「母さん。色んな事、話そう。友達も、先輩も、大切な人がいっぱいいるんだ。虐められてなんて、ない。楽しいんだ。この間は失恋だってした。全然、後悔なんてなくて、幸せだった。母さんは少し怖がるかもしれないけど、聞いてほしいんだ。……駄目かな」 「駄目じゃない……!」  くしゃりと嬉しそうに顔を歪めた母は涙に濡れた声で返事する。内装に見とれていた妹はどうやら話の最中、クラスメイトに相手をして貰っていたらしく、話が終わるなりステップを踏むような足取りで俺の元へと駆け寄ってくる。 「おにーちゃんっ」 「……ん?」 「そのカッコ、かわいいねっ! 一番!」 「おー? だろう。見る目があるじゃないか」 「キラキラ髪だったらもっとかわいかったのに」  キラキラ。どこかで聞いたことのある言い方だなと苦笑し、妹を抱き上げる。歓声を上げた妹は嬉しそうに俺の背中に腕を回した。 「じゃ、また染めますかねー」 「キラキラー?」 「そ、キラキラ」  母さんに目をやると、首肯が返ってくる。  校則違反なんだが、と俺の隣で呟く先輩がおかしくて。声を上げて笑ったら嬉しそうにセンパイが微笑むから。さっきまで何でもなかった頬が急に熱を帯びて、熱くて熱くてしょうがなかった。

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