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 おかしい。  頭を抱えた俺に、往生際の悪いとオカマが呟く。文化祭が終わってから何度も繰り返されているこのやり取りに、恋バナ厨のオカマも流石に嫌気が差してきたようである。 「……もう一回話しますからちゃんと主観を出来るだけ入れない形で判断してもらえますか」 「何回話すのよ。散々同じ話聞いたからもういいわ」  殺生な。ここで諦めたらいよいよ認めざるを得なくなるじゃないか。思わず睨む俺に、救護室のベッドを陣取ったオカマは呆れたように溜息を吐く。 「目が合うとドキドキして、家でもつい考えちゃって、しまいには何かと手を貸したくなるんでしょ? 恋じゃない」 「いや、それはおかしい」 「おかしくないわ」  始めは呆れた調子だったオカマの声が、不意に真剣味を帯びる。 「……おかしくないわ」  アタシがそう思いたいだけなのかもしれないけど、と彼にしては控えめに言う。少し寂しげに歪んだ顔に、何を思いだしているのだろうと考える。俺は、と口を開きかけ、言葉を飲み込む。代わりに出たのは、「そうかも」という陳腐な言葉だった。 「……話が進まないから認めましょう。うん。……俺は多分、センパ、……が好きです」 「ほんっとうに往生際が悪いわね」  濁しに濁した言葉に、オカマは先程よりも優しい笑みを浮かべる。ぐぅと低く唸り、強引に話を続ける。 「……それで、俺、どうしたらいいと思います?」 「アンタ、別に誰とも付き合ったことがない訳じゃないんでしょ?」 「ははっ、適当に好きって言ってくれた子と付き合っては体質がバレて振られた男に何言ってんですか。後は~幽霊に振られた数、二回とか? 立派な恋愛遍歴でしょう」 「目を覆いたくなるほど立派な遍歴ね」  碌に進展も望めないような相手限定とか、我ながら何の縛りゲーをやってるんだろう。おっと悲しくなってきた。 「その点? 今回は保身がてら先にぶっちゃけるだけぶっちゃけちゃってるし何も痛い腹がない訳ですよ。何? もうどうしたらいいの? 報われない恋愛しかしたことないからなにしたらいいか全く分からない」 「……別にお前が分からなかったら相手に任せてみればいいんじゃないか?」 「わっかんない奴ですね。俺だってそれなりに何かしらやりたいに決まってるでしょ」  あんなに本を読んでたのになんも役に立たない、と再び頭を抱えた俺は、返事をした声がオカマのものでないことに遅ればせながら気付きハッとする。  おっとー? この状況、随分前にも同じ事があったぞー?  ぎぎぎと軋む音がしそうな動作でゆっくりと振り返ると、救護室の入り口にはセンパイがいた。キッとオカマを睨むも、呆れたように首を振られる。気付かない俺が悪い、ということらしい。まぁ道理である。  ニヤニヤと顔を緩めたセンパイは、どかりとベッドに腰をかける。俺がベッドを背もたれに床に座っていたから他意はないのだろうが、オカマが陣取っていることを知っている身としては頗る微妙な気持ちになる。とんとんと俺の隣の床を叩くと、センパイは不思議そうな顔をしながらも従った。……なんでそこで普通に言うこと聞いちゃうかな。浮き立つ内心に蓋をし、表情を噛み殺す。ああ、本当にどうしよう。切実にマニュアルが欲しい。 「で? 盗み聞きとはいいご身分ですね」  かわいげがねぇ、と我ながらげんなりするも、風紀委員長様だからなというセンパイの軽口に救われる。もどかしさに顔をしかめると、センパイは優しく眉間の皺を解かす。じわり、伝わる体温に、当たり前のように触ることができるのだと実感して――。 「……無理ぃ」 「魚沼?」 「マジで無理……マニュアル。マニュアルくださいほんと無理助けて」 「おーおー、よしよし」 「センパイ俺から離れて……。オネェさん、マニュアル、マニュアル」  パンクしそうな頭を抱え、ベッドを見る。オカマが楽しげに笑っていると信じて疑わなかった俺は、目に入った光景に息を呑む。 「透けて……」 「あら。バレちゃった」  気付かれないまま行こうと思ってたのに。悪戯ぽく言い、彼は嬉しそうに微笑む。 「チンピラ。アタシもう行くわ。アンタと話すのはなんだか懐かしい気分になれて楽しかった。もう、充分」 「魚沼……?」  急に表情の変わった俺に、センパイが訝しむ。消えちゃう、と呟くとこの部屋の主に思い至ったのか「あぁ」と頷いた。  ベッドから立ち上がり、彼は救護室の扉に手をかける。きぃと扉を押し開き、一歩、外に出た。 「やっと、出られた……」  声にならない何かを呟き、顔を伏せる。顔を上げる頃には、彼の姿は殆ど空気に溶けていた。 「圭一」 「……何、」  チンピラ以外の呼称に、眉が情けなく垂れる。不細工と笑った彼は、扉の外で大人びた笑みを見せる。 「幸せになりなさい。恋をしなさい。一生に一度の、幸せな恋を」 「……、うん」 「怖がらないで。おかしくなんてないわ。あなたのそれは、その気持ちはとっても、とっても、素敵なものなんだから」 「うん」  俺の返事を満足そうに聞いた彼は、一度だけ深く頷き背を向ける。 「じゃあね」  空気が光を抱き、救護室を明るく照らす。風が吹き込み、ベッドのシーツが膨れ上がる。日の当たらないはずの室内に、太陽の木漏れ日の匂いがふわりと香る。風に髪が乱れる。頭を撫でるかのように優しく通り過ぎた風は、光と共に徐々に収束する。膨らんだシーツがぺしゃりとしぼむ頃には、救護室からすっかり彼の気配は消えていた。  目に焼き付いた光の優しさに促され、俺は薄く口を開く。 「センパイ、俺……、」 「……うん」 「俺……。俺、」  どんな顔をしてよいか分からなくて。自然と頭が垂れていく。  幸せになって。  脳裏に声が蘇る。それは先程逝った彼の言葉かもしれないし、素直に頷けなかったレディの言葉かもしれなかった。いや――本当のところ、この声の主の正体を分かっていた。声こそなかったが、これが誰の願いであるか。  最期に俺の痛みを肩代わりした彼女の気持ちに、俺が気付かない筈ない。分かっていた。聞こえていた。気付いていた。今、思い出した。  消滅した彼女が、母親が、ずっとずっと俺の幸せを祈っていた。そのことを。  もういない母親の声に励まされ、俺は顔を上げる。歓喜のような、寂しさのような、愛のような。全てがぐちゃぐちゃに混ぜ合わせられたこれに名前を付けるとしたら、多分〈幸せ〉だ。 「センパイが、好きです」  ぽろり、零れた涙はつぅと頬を伝う。口から漏れ出た告白は少し頼りなくて、センパイに聞こえたか少し不安になる。好きですともう一度言うと、目の前のセンパイは柔くはにかみ、俺の涙を掬い取った。そのまま俺を抱き寄せ、センパイは耳元に顔を埋める。 「好きだ」 「、」 「待ってた。好きだ、本当に」  耳朶を染め上げる熱に、センパイはくすりと笑う。恥ずかしくて、悔しくて、ぐりぐりとセンパイの胸に頭を押しつける。圭一、と名前を呼ぶ声がダイレクトに頭に響いて、俺は少し後悔する。俺の耳を胸元に当てたセンパイは、聞こえる? と囁く。 「……心臓の音」  胸に耳を当てる。体温が伝わる。心音がする。愛が、返ってくる。そのことがどうしようもなく嬉しくてまた、涙が零れる。制服が濡れるのにも構わずにセンパイは俺の涙を袖で拭う。涙腺が馬鹿になってるのか、涙はなかなか止まらなかった。涙で溺れそう、なんて。そんな馬鹿な話、ある訳ないけど。今なら、今だけは、そんなポエムじみた馬鹿な言葉にも頷いてしまいそうな程。それくらいに、幸せで幸せで。持て余した体温をひたすらセンパイに移し続けた。

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