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序章

ゑいゑい鳥がな。浮世鳥が月夜も闇も。 首尾をを求めて逢をふをふとさ。 青編み笠の。高揚して。炭火ほのめく夕べ迄思ひ思ひの恋風や。 恋とはあはれ深きは見世女郎。更紗禿がしるべしてー 「冥途の飛脚」より  開業前の慌ただしい時間。廊下では禿達が簪を持ったり、盆を持ったりしながら右へと左へと大忙しだ。そんな中、化粧師の颯太は女将さんに案内され、奥の寝所へと向かっていた。 「ほら、慶!もう時間よ!颯太さんに来てもらったから入ってもらうよ。」  遊女を取り仕切る女将さんのよく通る声が響き渡った。 「はい、お願いします。」  颯太が襖の外で待っていると中からばたばたと忙しない音がした後、そう部屋の主の声が答えた。今日は一段と騒がしいなと思いながらも、颯太は化粧道具を携え部屋へと入っていった。 「こんばんは。慶様。」  案の定、襖を開ければ乱れた衣服のままの部屋の主の慶介を見つけた。颯太はなんだかそのの乱れた姿にあらぬ想像をしてしまった。それを何とか振り払うようと颯太は目線を下げたまま丁寧にそう挨拶をした。 「挨拶は抜きでいいって。入って。」  颯太の完璧な挨拶にも部屋の主は明らかに不機嫌な声でそう答えた。  慶介はどうもこの他人行儀な挨拶が気にくわないようだった。  颯太としては女将さんがいる手前、どうしても言っておかなければならないのだが、聞き入れてはもらえなかった。  颯太は毎度のことながらもぷりぷり怒ってる慶介を見るとついつい笑顔になってしまう。  笑い声が漏れそうになるのを堪えている颯太を他所にに慶介は化粧台の前に陣取りその前に座布団を置いて、颯太を招いた。 (しょうがないなぁ。)  唇をとがらせている慶介にそう思いながらも、颯太は化粧台の前に道具を置き、声をかけた。 「慶、立って?」 「ん?」  その肌に朱色に染まる痣が僅かについていることを颯太は見ない振りをして、乱れている着物を合わせると帯を結び直した。  本当は「慶様」と呼ばなくてはならないのだが、二人っきりだとついつい「慶」と呼んでしまう。  慶介の座敷の通り名も「慶」であったが颯太はもっと違う思いを込めてそう呼ぶことにしていた。それは一種の癖のようなものもあったが、颯太がそう呼びたいと思っているからでもあった。  着物を直しながらこんな風に手の掛かるところ昔から変わっていないなとは思った。 「はい、できた。」  ぽんと、肩を叩くと慶介は微笑んだ。 「ありがとう。」  まだまだ、こんなあどけない表情が似合う年頃である。  颯太にとってもかわいい弟だなと気持ちは変わらない、しかし今、目の前にいる慶介がこの遊郭を支える看板遊女になるというのは事実だった。  颯太のような化粧師に頼めるのは遊女の中でもほんの一握りだった。  いくら看板遊女でも毎度、化粧師に頼む者はほとんどいなかった。特別な日にだけ頼むのが通例だった。  こうして颯太が呼ばれたということがは慶介にも今日は特別なお客様が見えるということなのだろう。 「さ、始めるか。」  颯太は道具を広げるとその前に座らせ、その肌に触れた。  むずがゆそうにする慶介の顔におしろいを塗っていく。  颯太の手によって幼さを残した慶介の顔は美しい夜の姿へ変わっていく。  颯太は慶介に施す化粧はいつも評判がよかった。線の細い慶介の魅力を最大限に引き出すことに一番長けていた。  しかし、そうやって褒められれば褒められるほど颯太は複雑な気分になった。自分が腕を振るえば振るうほど、慶介に残酷な事をしているのではないかと考えてしまうのだった。 「できたよ。」  そう言って颯太は手鏡を差し出す。慶介はその鏡を覗きながら思案するように考え込み、しばらくすると颯太に向かってこう言った。 「ねぇ、颯太。今日は紅を塗ってよ。」 「え?」  颯太はその意外な言葉に思わず問い返してしまった。  慶介は薄化粧を好む。こうやって俺が肌に触れるときもあまり派手に化粧を施すのを嫌がった。なので紅を塗ることも少なかった。  今日のお客様は余程特別な方なのだろうか、と颯太はいらぬ考えを巡らせた。 「ねぇ、お願い。」  なかなか動かぬ颯太に慶介は焦れたようにそう言った。その表情はは手鏡に隠れてよく分からなかった。  颯太は言われたとおり、化粧箱の中から紅を取り出し小指でそっと掬うと丁寧に唇に当てた。  慶介の小さくつるりと整った唇をゆっくりと辿る。  颯太が辿るたびに閉じられた瞳の上の睫が揺れた。  真っ赤な紅を施すと一層、慶介の美貌が際立つのだ。 「できたよ。」  颯太がそう言うと慶介は手に持ったままだった手鏡をかざして紅の塗られた唇を見た。 「ありがとう。ちょっと、紅くなりすぎたみたい。」  そう慶介が指摘するので颯太は少し加減を誤ってしまったと思った。 「じゃあ、ちょっと薄くするな。」  そう言いすぐに化粧箱から布を取り出そうとしたらその手を慶介に掴まれ静止された。 「ちょ、慶……!」  俺の言葉は最後まで形を成さず、慶介の唇の中へと消えた。 「へへ。ほら、ちょうどいいでしょ?」  ふふと綺麗に微笑む顔に心奪われ言葉を失う。  ただ俺は輪郭をなぞる慶介の手を感じている事しかできなかった。 「ー慶、お客様がお見えよ?」  ちょうどそこで廊下から女将さんの声が聞こえた。 「はぁい、今行きます。颯太、またね。」  呼ばれた慶介は衣を翻し立ち去ると、部屋には俺だけが取り残された。  また今晩も慶介は身を飾り男を誘うー  その朱に染まる唇は誰の元で微笑むのだろうか。

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