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** その中で先に動いたのは転入生だった。
恋する乙女系男子。
彼のことが好きだけど彼は僕を好きじゃない。それが少しだけ耐えられなくなったりして心がヒリヒリ痛む。恋になるのは出会って一週間もかからなかった。出会ってまだ一ヵ月と経っていないのにこんなに好きだ。彼に愛されるために彼に相応しい自分になろうとする。
「よぉ、これから食堂か」
声をかけられて舞い上がる。本当は生徒会室を覗いて風紀の見回りをするつもりだったけれどやる気がなくなった。彼についていきたかった。彼と一緒にご飯を食べられるならきっと夢心地になれる。
「いえ……まだです」
彼は不真面目な人間が嫌いだから僕が役目を放棄したらきっと軽蔑するんだろう。それだけはいやだった。彼の周りにいる人間はみんな理知的で静かで美しい。僕はその枠内に入りたくて足掻いてる。追いつきたいけれど遠い。
「風紀委員長も大変だな」
肩書きなんていらない。彼が欲しい。卒業した親戚のコネなんていう、あるのか分からないものまで使って一年で委員長になった。
だって彼の隣に立ちたいから。
反発は多いし風紀はまとまらないし、今日は転入生がきて学園内は気が立っている。それでも彼と一緒にいたい。
「図書委員長だって忙しいって聞きます」
風紀委員会の下に美化委員会と図書委員会が所属している。
理由としては、校内美化が損なわれると学園内の風紀が脅かされることに繋がる。それと図書室という名を持つ部屋が、学内に五つほどあり、人気のない小さな図書室はいじめや強姦の温床になりえるからだ。
図書室で起こったすべての責任は図書委員会にあり、ひいては委員長が責任を負う。
今期の委員長である彼は学年首席でありながら、特別進学クラスであるSクラスではなく、平凡普通なCクラスに通う。
自分が一般家庭の出であって、馴染めなさそうだからという理由らしい。それが通るのは、この学園的におかしい。不審に思っていたら、僕だけに教える秘密だと腹違いの兄の存在を教えてくれた。
誰かまでは聞いてはいない。けれど顔を合わせたくないので、特別クラス周辺には近づきたくないのだという。
担任か副担任か。絞り込めるけれど考えない。学園には無意識に他の生徒と違った対応をとって贔屓に繋がるから避けたい。という理由で了承を得ているらしい。このことも内緒だからと唇に人差し指をそえられた。
彼の持つ静謐な空気や少しの寂しさ。
僕はそういったものに取り込まれた。図書室の落ち着いた空気を身にまとって微笑む彼は美しい。ノンフレームの眼鏡をかけて、制服は一切の乱れがない。髪もいつだって整えられて、寝癖がついていたことはない。少したれ目気味の瞳と泣きぼくろは見つめると胸のときめきが抑えられない。
「図書は毎年大型連休後がなぁ……返却忘れる奴が出て――」
休み前に借りた本の返却日が今日明日になる。返す日にちが重なっているせいで休み明けの図書室は微妙に込み合うらしい。風紀の見回りを言い訳にして会いに行きたい気持ちを抑える。彼に自分の汚いものは見せたくなかった。
独占欲も焦がれている感情も知られたくない。
「そういえば生徒会長と揉めたんだって? もう噂になってるぞ」
十分かその程度前のことが、すでに彼に知られている。それを恥ずかしいと思う気持ちと自分を気にしていてくれた気持ちとが、混ざり合ってぐちゃぐちゃになる。
「吉永圭人が何だかイラついていた」
それに引きずられるように会長も不機嫌そうに睨んできた。それは僕のせいだろうか。自分は悪くないと言いたい気持ちを察してくれたのか、彼は僕の頭を撫でてくれた。子ども扱いされているのはイヤだ。
けれど彼から触れてくれることを拒めない。
「あぁ、それは……ははっ」
ゆるい微笑みを浮かべているのが常の彼が破顔する。崩した顔は珍しい。それすらも僕の目をくぎ付けにする魅力にあふれていた。あの無表情な、何を考えているのか分からない吉永圭人とは全く違う。男らしさを売りにしている生徒会長とも違う、優雅で美しい彼。
「生ゴミに煙草。……ホントにダメなんだな。生理的嫌悪、条件反射ってやつか」
愉快そうに笑う彼に僕は抱きしめられた。密着すると彼の興奮がより伝わってくる。彼が何をそんなに笑っているのか分からない。
「かわいいね。耳まで真っ赤になってる」
「からかわないでください」
「ごめんってば。……ごめんついでに懺悔すると吉永圭人が苛立ってた原因っていうのは『風紀委員長が煙草を吸って生ゴミと一緒にゴミに出している』っていう噂のせい」
「はぁ!?」
「だいじょうぶ。そんな事してないのは知ってるし、後でアイツにも訂正しておくから……いや、嘘なのは知ってるのかも。たとえ嘘でも嫌悪感がぬぐえねえのかなぁ。あは、もしかして俺への苛立ちが入ってる?」
他の誰も知らない話だから気にしないでいいと言われたけれど、それよりも彼の崩れた言葉が向けられた吉永圭人に嫉妬した。
自分の不名誉極まりない事実無根の噂なんてどうでもいい。
いつも人と一線を引いているような彼が、吉永圭人の話題でその姿を変えるのが許せない。抱きしめられているせいで、彼がどんな顔をしているのか見ることが出来ないのはきっと幸いであり最悪。
ゴールデンウィーク前に彼と並んで歩く機会があった。
彼がふと足を止めて外を見ているから、何だと思ったら生徒会長と吉永圭人がいた。二人は寮へ向かっている最中なのか、隣り合って歩いていた。
会長が他所を向いた隙に吉永圭人がこちらを、いや、彼を見て手を振った。
隣にいた彼を見ると悔しそうな顔をして、親指を下にしたと思ったら、ポケットから出した飴を吉永圭人に向かって投げつけた。結構な速さだったから普通なら飴だと気が付かなかっただろう。
受け止めた吉永圭人が包装をといて、口の中に入れたせいで何となく察した。
口をもごもご動かす吉永圭人の姿を満足そうな顔をして見る彼に血の気が引いた。彼の特別になれるなんて思っちゃいない。
でも、それでも。
きっと願っていた。
誰のところにもいかないで自分だけを見てくれる日を、願っていた。
彼を取り巻く人間たちに嫉妬しないでいいポジションが欲しい。こんなに傍にいるのに遠い。手を伸ばせる距離なのに彼の目がとらえているのは僕じゃない。
吉永圭人の魅力が僕にはサッパリわからない。
以前の髪の毛が長くぼさっとしていた髪の毛は、ゴールデンウィーク明けには驚くほど短くなって顔を晒していた。
それでも表情は鉄面皮。
口角を上げることすらない、あの顔は気持ちが悪く感じてしまう。生徒会長と並び立つ距離感も近すぎて、気味が悪い。付き合っているにしても節度を持つべきだ。
いやこれは、彼と手を繋ぐことも出来ない自分の勝手なやっかみかもしれない。
「吉永圭人の血縁なのか?」
「そうだよ、ケイは死んじゃったけどケイは守らないとっ」
「双子で同じ名前だったのか?」
「あ、……生きてるのはケイトだっけ? でも、双子なら同じだろ。顔だってきっと同じだろうし。ケイは死んじゃってるから、大きくなった姿はわかんないけど」
転入生は支離滅裂というほどではない。
けれど普通とは違った感覚を持っていた。
彼と別れた後に色々と考えていたら食堂が騒がしいと風紀委員から連絡がきた。そして転入生に話を聞くと友人になったスポーツ特待生とクラス委員長に自分と吉永圭人のことを話していただけだと教えられる。
食堂内で不作法かもしれない。
大勢の人がいるのでざわめきはあるものの転入生ほどの声の大きさで話す人間はいない。わざとなのかもしれないと薄っすらと思う。
今日の放課後の騒ぎからすぐに周囲を煽るような言動。
意図してるなら理由は何だ。
吉永圭人への嫌がらせだけでここまでするだろうか。あるいは嫌がらせをしたあとに助ける手段を用意しているかもしれない。自作自演のマッチポンプだとしても助けてくれた相手に恩を感じるものだろう。それを狙っているのかもしれない。
「……ドナーだっけ? になってもらいにきたんだ。まだ頼んでねえけどケイはいいって言ってくれるよな」
臓器提供、頭に浮かぶ病名はいくつもある。
問題はそれを学校の中で堂々と言い放っていることだ。
人の多いこの場所で発言する意味は大衆を味方につけたいからということなら、正解かもしれない。
「別にケイの命に別状のない手術だから構わないだろ。そうしないと、うちのお兄ちゃんが死んじゃうんだから、ケイは頷いてくれるに決まってる」
転入生は吉永圭人の何を知っているんだろうか。
あの無表情の、何を考えているのか分からない人間に普通の人間の善意を期待するなんて、馬鹿げている。きっと吉永圭人は断るだろう。
「保護者の許可が必要なんじゃないのか」
「断られたんだっ。でも、それはケイの意思じゃないだろ。ケイが同意してくれればうるさく言ってくる奴なんかいなくなるだろうし……あぁ、でもあの会長はダメだ。絶対邪魔してきそう」
舌打ちをするような品のない転入生に二年Sクラスのクラス委員長が眉を寄せた。このクラス委員長は彼と親しい。
何かと彼と一緒にいる姿を見る。
それとなく尋ねれば、図書室の常連で本の趣味が合うのだという。確かに本を貸し借りしているのを見たし、図書室に向かって歩いていく姿を確認している。
苛立ちを覚えるのは理知的な姿をしているにもかかわらず、彼に向けた薄汚い欲望をたぎらせている瞳。
クラス委員長は彼を求めている顔をしている。
「生徒会長について何か?」
声をかけられて、そちらを見ると生徒会長親衛隊長の左岸兼平。
眼鏡が逆光で反射している。
「あぁ!! オレがケイと話してるのを邪魔したヤツだなっ」
「大声を上げなくても聞こえる」
「なんなんだよ、もうっ。……あ、ケイは? 一緒にいるのか?」
きょろきょろとあたりを見回す転入生。
「あの方は朝陽さまのお部屋にいらっしゃる」
「ちょーよー? カイチョーのことか? 嫌がるケイに無理矢理なにしてんだよ」
「嫌がっているようなそぶりは見られないが?」
「オマエにケイの何が分かるんだよっ」
「こちらの台詞だ」
両者一歩も譲らない。その中で先に動いたのは転入生だった。
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