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50 これから始まるのがオレたちの終わりだとしても。

     オレは二歳ぐらいの時に生ゴミとして捨てられた。  逆に言えば二年かそのぐらいはわんわんでもなく何も知らない子供だった。  何も考えることもなく泣き叫ぶ口にタオルを詰められて適当な食事を餌のように与えられる子供。  自分が何であるのかも理解できない知性も自我もない存在。  生産者の腹の中にいた年数を数えると二年以上かもしれない月日をオレは二人で過ごしていた。  自分と全く同じ遺伝子を持つ別の個体。双子の兄弟と一緒に生きていた。    神様に救われたわんわんの記憶ではない、オレの記憶。  わんわんは生ゴミから神様に見つけてもらって発生したオレなのでそれ以前はわんわんとは言えない。    神様に助けられてわんわんになったオレは幸せだから放置され片割れと手を繋いでいた記憶などない。あったのだとしたらそれは自分を憐れむためのねつ造だ。    覚えているはずがない過去。    幼かったからじゃない。わんわんの記憶じゃないからその意味の分からない空虚さをオレは知らなくていい。そう決めていた。けれど、掘り起こされて揺さぶられた。オレという個体の記憶。たしかにあった日々の思い出。    ねつ造に等しい塗りつぶされた過去。    別に死んでしまった子供に対して謝罪の気持ちはない。生きていることに罪悪感もない。  神様の行動に何一つ不満はない。    悪いのも殺したのもオレではないし、死ぬ運命にあったのもオレのせいではない。  でも、オレもまた同じだ。  死ぬ運命から逃げられたのは偶然でしかない。  神様に会うか会わなかったかでオレの世界の在り方は変わる。  神様に救われなかったら生きていない。それがわんわんの始まり。   「まず初めに言っておくことはオレを圭人(けいと)と呼ぶなら死んだアイツは都計(とけい)だ」    オレが都計ならアイツは圭人だ。見分けなんかつけられなかった。名札なんかない。着るものも満足に与えられていない。どちらがどちらであっても構わなかった。  ただ二人いたから二つの名前があった。    二人分の名前は宙に浮いてどちらがどちらであるのかなんて分からない。    二人でいれば圭人と都計だったけれど一人ずつになったらどちらどちらであるのか決めなければならない。引き渡すときにオレたちを生んだ母親が子供をケイだと言ったのなら見分けなかった証拠だ。圭人でも都計でも、どちらであったとしてもケイだといえる。この時点でオレともう一人は圭人であって都計だった。同じものが別々の場所で同時に存在していた。    だからこそオレにとってオレという存在はわんわんだった。  わんわんになった。    圭人である確証なんかない。ただ先に都計の名前で死亡届けが出されてしまった。だから残った名前がオレのものになった。圭人に意味なんかない。    長い間オレは名無しのままで生きていた。    神様はオレの身元を探してくれていて一緒に住まわせてもらっても仮の名前を与えなかった。オレが欲しがれば神様は名付けてくれたかもしれないけれどオレは自分で名乗ることを決めた。  オレは自称わんわんで通し、他称もわんわんにさせた。子供だけの特権、わがままだ。オレは神様の子供になる気はなかった。誰に何かを言われるまでもなく神様の近くが一時避難所であるのは分かってる。神様の子供を名乗れるような存在にはオレはなれない。    神様はみんなの神様であってオレだけの神様にはならない。    だから飼い主の手を取った。飼い主はオレだけの飼い主だ。他の誰かと身体を繋げようと親切にしようと鬼畜だろうと意地悪だろうと飼い主のわんわんはオレだけ。飼い主はオレに約束した。何度も何度も飼い主が死ぬまでオレを面倒見ると言った。だから飼い主だけがオレの飼い主だ。    飼い主はオレの全てを理解した上で愛してくれていてオレも同じように愛を返すことが出来た。神様には貰ってばかりで返せない。組織のために動いて神様のためになっている気になるだけで本当のところオレや組織が神様に必要とされるかは分からない。独りよがりな可能性は強いから組織の全貌を神様には教えないのかもしれない。いつでも理由や思惑は一つだけじゃない。    オレはどうしたところでわんわんだった。  毛糸でも時計でもない。  オレは衣類にはならないし時を刻まない。  飼い主の犬だ。  わんわんはわんわんです。  でも、いま湧き上がる感情の理由に犬はいない。飼い主はない。  心にあるのはオレ自身だけ。   「死んだ人間の感情をどうにかして知りたいっていうのは批難はしない。――だから教えてやるよ」    期待した顔をする転入生。ふざけている。自分がしたことを自分たちがしたことを分かった上でまだ希望を抱ける腐った姿が許せない。この感情の出どころがオレなのかオレじゃないのかわからない。でも答えは出ているという矛盾。この感情はオレであると同時にオレじゃない。    神様に救われる前。生ゴミの中の前の時間を思い出す。  かたわらにいた誰か。常にそばにいた誰か。手を繋いで眠った片割れ。お腹が空いた日は何かを分け合って食べた。  それは空想の中の出来事かもしれない。そう思いながらもオレは妄想を現実だと肯定しておく。    その方が目の前の男が救われないからだ。  オレの中に確かにある都計。  オレの中に溶けている都計。   「都計の気持ちが分からないからオレに『同じことされる』のが望みだったんだろうけど……都計はべつにお前を恨んでなんていないよ、好きでもないけど」    そもそもこの転入生の思考回路は『共有』だ。  病の苦しみを兄弟に分け与えるというストレス発散方法をまず選択して変わり種ともいえる都計に執着した。  同じになりたかったのだ。  正負どちらの感情でもいいから共有したかった。    都計が自分を憎んだら大成功。  なぜなら自分もまた自分を生み出した世界を憎んでいるから理解できる憎しみという感情で繋がることが出来る。  でも残念ながら都計は笑っていた。    どんなことをしても都計は笑う。  その行動は理解できないものだ。  自分から離れていくということになる。  望みである『同じ』になれずに不安と不満が募る。  都計だけにのめりこんでいく。    自分が病に苦しんで痛みを理解してもらいたいのに誰も分かってはくれない。  その苛立ちと理解できない都計がダブる。子供の癇癪だ。  だからどんどん都計を自分と同じものにしようとした。同じ服を着せて同じ髪型をさせて同じ食べ物を食べさせて同じ痛みを味わわせる。自分が吐血したら都計にも血を吐かせて同じだと笑う。     結果的に死んだのは不審火か自分のせいだと口にした縛られて転がっている強盗犯。転入生にとっての弟で身代わりで生け贄で実験道具。オレからすると同年代のお兄ちゃん。報われることはない。    イトコにして兄弟である二人は他の兄弟たちとは違う扱いだったのだろう。  一卵性の姉妹がお互いの母親だから二人はとても似ていた。  それなのに兄の特別は自分ではなく都計だったとすれば屈折しても仕方がない。  納得しても同情なんかしない。  全員まとめて地獄に行けばいいと思うけど問題はそんなことじゃない。    誰が殺した、どんな生活をしていた、そんなことはどうだっていい。もう過去のことで都計はいない。オレが圭人であるのなら都計は死んでいる。この当たり前を未だに理解していない幼さに苛立つし、理解できないくせに都計を訳知り顔で語るのも許せない。    都計はオレだ。オレのものだ。    圭人と都計を語れるのはオレだけ。  一緒に育たずに死んだ双子の兄弟だけれど死ぬ可能性があったのはお互い様。  死ななかったオレと死んだオレ。神様に会うか会わなかったか。圭人と都計の違いはそれだけ。    枝分かれした可能性に名前を付けただけ。  オレ以外がオレを語るなと口にする権利はあるはずだ。    都計はオレではないけれどオレかもしれなかった存在だ。     たられば、もしもこうだったのならなんて話はバカらしいけれど都計は間違いなくわんわんではないオレの姿。  オレたちは二人で生まれたのではなく一人がふたつ生まれたのだ。  圭人と都計の境界線は引かれず距離だけが離されてそれぞれに生きた。  一人で二つの可能性を巡ったに過ぎない。  たとえばマルチエンディングのゲーム。普通なら選択肢でセーブしてロードで時間を戻ってバッドエンドもハッピーエンドも見放題。現実はそうはいかない。選択肢は複数あっても一つしか見ることが出来ない。    でも身体が二つあったからオレたちはバッドエンドもハッピーエンドも両方の結末を知ることが出来た。  セーブもロードもない同時攻略だったけど普通なら知るはずのないことをお互いに知っていた。  生きていても死んでいても、どちらもそれはオレだ。  わんわん以前のオレ。  生まれたばかりのオレ。  自我の芽生えと同じくして自分をわんわんにしたオレと自我を放棄して微笑んでいた都計。  真っ白だったからこそ双子のシンパシーがあったのだろうと蛇さんは言った。   「都計が笑っていたのならそれはオレが幸せだったからだ。オレが周りに大切にされていたから笑っていた。お前たちのことは何一つ気にしてない。お前の言葉も感情も全部都計には届いてない」    恨みなんかない。そんな普通の感情を育てることも出来ない状態だったのだからあるわけがない。現状の認識だってきちんとあったか分からない。痛覚はあっても苦しいだけだから感じないようにしていたかもしれない。都計が感じないためにオレに全部を受け渡していた疑惑はある。   「オレの前で都計を語るな。語れると思うな」    オレだけしか知らないオレのことだ。  外から見て手は分からない。オレの可能性。並行世界のオレそのもの。  わんわんにならなかった、なれなかった、オレの姿。  そんなオレのことはオレにしかは語れない。    二から一を引いて一になったんじゃない。双子、二人から一人になったわけじゃない。    オレたちは常に二人ではなく一人だった。共通の意識の中にいた。溶け合っていた。  それは一足す一ではなく累乗。    一掛ける一が一であることは不毛ではない。すべてがoneone(わんわん)である。  その暴論を信じ込んで自分を成立させるだけの理由がオレにはあった。  双子の片割れと離れて暮らせないとか、双子の置かれている状況に共感して苦しいとか、そんな話じゃない。    飼い主の存在でオレの全ては肯定される。だから、暴論でもなんでもいい。夢まぼろし錯覚でも構わない。オレが圭人でも都計でも飼い主の犬であることに変わりはない。飼い主がいる限り、一生わんわんはわんわんです。そう約束した。   「オレの言葉が都計の言葉だ。わかるだろ」    柔らかく微笑む。顔をひきつらせずに出来たはずだ。サーカスにいた時にもしなかった愛想笑い。  餞別にしては豪華だ。   「理解はできない共感できない……絶対に。お前に対して向ける感情も何もあるわけがない。都計は受信と送信をしていただけだ。オレの感情を受信して、オレへ肉体の感覚を送信していた。なら、都計はオレだ。オレの言葉を否定するのは都計を否定することになる。オレと都計は間違いなく繋がっていたからオレが感じることが都計が感じることになる。オレの考えが都計の言葉になる。それがいままでずっとお前が欲しがっていたものだ」    考える暇を与えないように笑いながら早口でまくし立てる。気味が悪いだろう。  違うのに同じで。  無言だった都計とは逆に口を動かし続けるオレ。  微笑んで転入生にしか分からない希望を打ち砕いていく。  バカなんだろう。  同じ場所に行って同じ風景を見たかったのだ。  昔から今まで何一つ変わらない。  都計がいないから圭人でそれをしようとしただけ。  あくまで固執して求め続けていたのは都計だからオレをケイと呼ぶ。  だから転入生が強盗犯を兄と呼んで弟の振りを決め込んでもケイに執着する限り入れ替わりに気づかないわけがない。    都計の代わりではなく都計そのものを目の前に作り上げて「オレのことを好き?」なんてバカげたことを聞きたかったんだろう。  死んでしまった相手には聞けないからこそ都計そのものを作って質問をする。あるいは同じ状況に追いつめられて都計の感情に到達したがる。    好かれる理由なんてどこにもないと頭の隅で認めながら薄気味悪い期待を持ち続ける。  自分が都計に歪んだ愛を押し付けたから都計からも同じものを返されたがった。  愛を返される前に死んだだけで生きていれば都計が愛してくれると信じ込んでいる。  だから転入生にとってオレはオレではなく都計だ。  圭人という人間ではなく自分のそばで笑っていた都計を求めている。  つまりオレが都計であることを認めたら転入生からすると都計になる。  逆に転入生がオレを圭人だと考えて都計ではないというのなら永遠に都計に会えない。都計を理解するための足掛かりも失う。   『転入生が言うところのケイのすべてはケイが死んだ時点で失われて、何処にもない』    分かりきった指摘は転入生にとっての絶望。    同一、共有、同じになる、別々の人間であることへの不安からの解放。  それが永遠になされない。  愛しい相手は手に入らない。    例えば舌先に火のついた煙草を押し当てらたれたとしても都計の考えに触れられるのなら彼にとっては勝ちであり満足を得られた。拷問など何一つ怖くない。  転入生の思い描いた未来予想図は自分が決して負けることのないシナリオ。  前提が常識から外れているから恐怖なんか懐かない。    吉永圭人であるオレを観察して比較して死んだ都計に辿りつく作業こそが転入生の行動原理。  強盗も入れ替わりもオレを振り回すための道具でしかない。  手の内を知っているから不発だったけれど。  何もかもが無意味だったけれど。    今のオレはわんわんである。  別に二重人格とかそういうわけではないけれど圭人と都計が混ざっている。  混ざっているというよりも元々同じものが二つあったのだ。  今だけ無表情を捨てる。サボってるだけで表情筋は死んでない。  別に無表情に固執していたわけじゃない。  笑っていた方、無表情の方と分けて考えているわけでもない。  ただサボっていただけ。それだけ。    環境の違いで個性が出るはずが都計は自分を持たず、オレと感覚を共有して何かになることもなくこの世を去った。  本当は自分を持っていたかもしれないし、やっぱりからっぽかもしれない。  答えは誰でもないオレの中にある。すでに失われた半身じゃない。オレ自身の可能性の話。想像すればわかる。  自分がその場にいたのならどう思うか、どうするのか。オレにしか分からないこと。   「どうせ永遠に理解できない。オレのこともアイツのことも」  切り捨てる言葉じゃない。  切り捨ててなどやらない。 「一番欲しいものは死んでも手に入らないという結論だけを得て、お前はこの先ずっと生き続けるんだ。死ねると思ってたなら冗談キツいね。何も手に入らないことを実感しながら生き続けろ。弟や自分の拷問も都計を理解するためなら苦痛じゃなくて喜びしかないんだから罰にもならない。死ですら都計に近づくためのアプローチだと解釈する能天気さんだろ?」    だから行き先は天国でも地獄でもない、この世。   「何も手に入らないって言ったけど、健康は手に入ったかな? よかったね、お兄ちゃん。永遠に一人でいてね。誰も愛さないで愛されないで大切に出来ず大切にされず求め続けて渇望だけで焦がれていてよ」    これは都計の言葉であり同時に圭人の言葉でもある。  死んだ都計は何一つ残すつもりがなかった。  だから、言葉を話さない。  言葉を覚えるつもりがなかったのか覚えたとしても話す気がなかったのか。  後者だろう。  オレが表情を動かせるにもかかわらず無表情でいたのと同じだ。  出来たとしてもやらない。  そうやって暮らしていた。    都計と同じく生きているオレも転入生に何も与える気がない。  だから、微笑んで都計の顔をする。    成長した都計を写真ですら知らないけれどオレはどんな風に笑うのか想像できる。  オレの笑顔が都計の顔だ。  兄弟二人の反応からして間違っていないだろう。    目の前の兄と弟はどう頑張っても圭人と都計の関係にはならない。  双子のシンパシーを兄弟間で再現できたら都計の口にしなかった思いも分かると思ったのだろうけれど失敗。  父親ではなく母親の血と環境のせいでオレたちは見えないもので繋がっていた。    オレの言葉を否定すれば永遠に都計の影を追い求め続ける日々。  オレの言葉を肯定すれば都計から得られると思っていた感情を否定することになる。  どちらにしても何も手に入らない。  最初に突きつけたその結果の通りの人生を転入生に渡す。     「……爆弾の解体も終わって鍵もパスワードも入手したならこの二人の身柄をどうするのかってところ?」      オレのせいで設置されたプチ喫煙コーナー。  みんながタバコの火を消して近づいてくる。  タバコの吸い殻入りのバケツの水を兄弟二人にぶちまけた。  匂いがすごくてヤな感じ。    察してくれたのか猫にゃんがグミをくれた。なんと犬の形だ。わんわん大興奮。真面目モードはポイッと消えるよ。   「体内にある爆弾については解除信号が出る機械を持ってきてもらうって」    猫にゃんの言葉にふむふむと頷いていたら鬼畜眼鏡が後ろから抱きついてきた。倒れこんできたのが正しいのかもしれない。なんだ、会長でもないクセに甘えん坊か。彼氏になってから出直してこい。オレは安くないぞ。   「にーちゃんが主犯でええね?」 「そうだよ、チャッピー。強盗犯はいけないことだしオレの焦げた髪もかわいそうだけど母親を人質に取られていたみたいだし」 「ほぉか」  チャッピーは息を吐きだす。家族ネタに弱いチャッピー。  それで容赦するタイプじゃないけど。 「母親は自殺してるけどね」 「死んでないっ。母さんは生きてるんだ。兄さんはそう言ってくれた。言うことを聞いていれば母さんに会わせてくれるって」 「死んだらあの世で会えるよねって話だね」 「そんなっ」  打ちひしがれる同い年のお兄ちゃん。  アホの子なのかもしれない。  信用ならない言葉でも信じていなければやっていられなかったのかもしれない。  あんな家にいたらそんなものか。 「単純で結構バカ正直」 「爆弾飲んでるらしいしな」 「少しわんわん属性あり」 「わんわんってかヤンデレバカ思い込み」    ひそひそとチンピラたちが話す内容はどうにも蛇さんと被る。  蛇さんから何かしら聞いているんだろうか。  それとも蛇さんの言うところの王道とかが好きなのか。   「わんわん、コイツらをオレの性処理道具にしていい?」 「ちゃんと記録を蛇さんに提出してね」 「オレのじゃなくてオレたちのだろ!!」 「まとめて五人ぐらい毎日平気だろ」 「臓器売らない代わりに精液主食になるぐらい楽だろ」    チンピラたちの言葉に目を白黒させている同い年の兄はそこそこひどく割りと幸せな人生を歩むことになりそうだ。  チャッピーの下にいるチンピラなので悪い人間ではない。輪姦前提で話をするから善人ではないけどね。  緊張が解けたとばかりにキャッキャッと楽しげに話す強面チンピラたちの姿はシュールだ。   「あぁ、そっか! 蛇さんが言ってたやつか。『アンチ王道回収業者。どんなKYもアホの子も立派な肉便器にします』ってやつね。プロトタイプってことでお兄ちゃんは立派な肉便器におなり~」    オレは無表情で手を振った。  血の繋がりなんか感じないけど兄弟の門出だ。祝福するよ。   「こっちは歯を全部抜いて使う?」 「蛇さんは何て?」 「そっちのボスがわんわんに一任したからわんわんの指示に従えって」 「わんわん、視姦プレイに使うのっていい? 肉便器が肉便器になって行く姿を記録してもらうのってよくね?」 「オレは特に興味ないしそっちの趣味に合わせていいよー」 「そっちのボスは処女厨だから肉便器の良さが分からないんや。薄汚いホームレスの精子まみれになる肉便器最高だろっ」 「病気移すのマジ勘弁」 「それは最終段階でしょー。使い物にならなくなったら無料提供とか病気保有させて感染させるのに使ってもいいけどー」  好き勝手に喋るチンピラたちに常識的なツッコミをしたがる鬼畜眼鏡がなぜか無言。  どうしたんだ。オレが抱きつくなと床に転がしたのがそんなにダメージデカかったのか?  さすが、インテリメガネは肉体派に敵わない。   「……おまえ、げーむの、チャット見たのか」     チンピラたちのキャッキャッとした楽しげな声に反した小さく頼りなげな鬼畜眼鏡の声。   「だから、そんな……不安定だとおもったら」    泣いているのか涙声というやつになっている。  そのせいか起き上がれないらしい。    オレは倉庫の出入り口へ向かって歩く。  何か言いたいらしく「圭人っ」と大声で呼ばれた。  オレは振り向かない。   「オマエは吉永圭人だろ。俺の弟になったんだ。わかってるだろ!!」    いつもと違うひっくり返ったひび割れた声は縋りつくようだ。  オレが持ち合わせていないものを持っている。   「……会長は、魁嗣(かいし)朝陽(ちょうよう)は必ず待ってる!! それは覚えておけよ」    眼鏡っぽくない話し方。  だからやっぱり鬼畜眼鏡は鬼畜眼鏡ではなく吉永紬(よしながつむぎ)なのかもしれない。  どこまでも悪にはなりきれないけれどお人好しでもない。  普通の価値観を持っている人間。  いつかコイツをお兄ちゃんと呼ぶそんなことを期待されているのかもしれない。  普通の家族に普通の日常。  手を伸ばせば味わえるらしい普通の生活。          わんわんは人を名前で呼ばないワン。    なら、オレは?    オレはどうだろうね。    神様と飼い主と隊長と蛇さんとみゃーみゃーさんを合わせた(ぬえ)なんていわれた事があったけれど、どうなんだろう。キメラじゃない。妖怪です。不吉の象徴だからかな。    手元のスマホに視線を向ける。  風は吹いていない。  バイクの音が聞こえる。  下っ端の何人かが反応するのをオレがとめた。    爆弾解除のための蛇さんからの荷物のことに思い至ったのかもしれない。     くもりよ:あれ? くもりよ:誰もいないだと!? くもりよ:天変地異の前触れか!!!   にょろり:いるよー にょろり:いろいろ調整チュー くもりよ:ミシンさんは? にょろり:忙しいから暫く出てこないよ くもりよ:いつもは くもりよ:忙しくても悪態つきながらいるのに  くもりよ:返し縫 にょろり:ミシン? くもりよ:ミスった! くもりよ:魁嗣(かいし)(ぬい)が亡くなったらしいですね くもりよ:魁嗣縫が一発で出て感動 くもりよ:経済評論家とか元議員(?)知事(?)だかで七十越えなのにテレビにバンバン出てましたけど くもりよ:最近見てないと思ってたら入院して闘病生活してたなんて にょろり:情報がはやいねー にょろり:あぁ、魁嗣の融資がある学校だっけ にょろり:影響大きいね くもりよ:食堂が閉鎖でマジピンチ くもりよ:急遽、近くのコンビニがワゴンで出張販売っすよ くもりよ:うちの生徒会長は魁嗣の直系らしくてしばらくは休みだって にょろり:各方面に被害甚大~ くもりよ:マジで大変だってば にょろり:亡くなったのは昨日だって?      そんなチャットのログを読み流しながら目の前にいるフルフェイスヘルメットのライダーを見る。  何度言ってもバイクでの移動をやめてくれない。もう歳なんだから車で移動して欲しい。どうしてもっていうならオレがバイクを運転するから危ないことはやめて。   「よう、吉永圭人」    何その他人行儀な呼びかけ。全然笑えない。  オレは絶対に物わかりの良い子供になんかならない。  これが最期だというのなら最期までオレは飼い主のわんわんだから。  一生って約束した。飼い主の死ぬまでオレは――。   「わんわんはわんわんです」 「まあ、じゃあオレはオマエの飼い主様です」     初めて会った時のように手を差し伸べた飼い主は「お手」とオレに言った。  飼い主の手を握るオレに「そんな簡単だとオマエをさらうぞ」と笑いかけてきたのだ。  同情も心配もなく面白いものを見る目でオレを見た飼い主をオレは愛している。あの時からずっと。恋とは呼べなかったとしても飼い主がいないとわんわんは成立しないのです。   「いつかオマエがオレたちの出会いを後悔する日が来ても離すことは出来ないぞ」 「そんな日は永遠に来ないから大丈夫。犬の寿命を考えれば飼い主とオレはちょうどいいよ」    以前の会話の焼き直し。  犬の寿命は種類によっては二十年もない。  人間と犬ならオレたちの年齢差はほとんどないようなものだ。   「オマエはいつまで経ってもバカだな」 「それがいい?」 「バカな子ほどかわいいかもな」    肩をすくめる飼い主の手にある包みを受け取って見張りの下っ端に渡す。  同い年のお兄ちゃんは爆弾から解放されるけれど男集団からは逃げられないだろう。  転入生もいることだし逃げようと思っても逃げられない。  歪んだ兄弟愛がそこで育まれるのかもしれないけれど、きっと無理。  永遠に都計に囚われて幻の中にすら逃げ出せない。  都計のことを求めてオレに会いたがるんだろう。  蛇さんがそれをさせないか上手く利用し続けるんだろう。   「出会った頃から変わらないな」    うん、オレはいつでも飼い主のわんわんだ。  これから始まるのがオレたちの終わりだとしても。 ------------------------------------------------------------------------------ 転入生編最終話だったので、区切らずに一気に掲載。 読み難かったらすみません。 続きはまだありますが、掲載はゆったりになります。

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