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49 なら、身を任せればいい。
オレの人間性は生ゴミの中にある。
常識も良識も倫理も貞操観念も全部が育まれる前に生ゴミ行きだ。
それはどうしたところで変わらない。
わんわんならそれでいいだろうって言葉で開き直る。
肉体は神様に救われて、助けられて、感謝しているにもかかわらず、オレは毎朝捨てられた日を、救われた日を、思い出す。オレの中にある始まりの記憶。オレがわんわんとして歩み始めた運命の夜。
神様が拾い上げてくれたことで今のオレがあるけれど、それまでのオレはどこにいるのか。
答えは生ゴミの中だと思っていた。
普通の生活なんかいらなくて、飼い主のわんわんであればよかった。考えずにいた。考えることを放棄した。
足元は地面じゃない。氷の上に立っている。氷を溶かしてはいけない。氷を割ってはいけない。その内、立つこともできずに溺れるだけだ。
死んでしまった双子の話を聞いたところで、オレの中に何も湧き上がるものなんてないと感じていた。少なくとも葬式の話を聞いた時は何も感じていなかった。知らない人の話だから。
でも、今は泣いている転入生の姿にとても不愉快な気分にさせられた。
泣こうが喚こうが怒鳴ろうがどうでもいいと思っていたのに心底不快だ。
オレはただ一言事実を口にしただけ。
『弟に自分である兄の役を押し付けても死んだ子供は戻って来ないよ』
そう言っただけだ。
その事実に涙を流す転入生が憎らしい。
なかったことにはならない。死んだ人間は戻らない。オレは死人を宿す人形じゃない。
望まれたところで転入生が言う通り、死んだ人間を求める相手からすればニセモノだ。
双子は決して同じ人間ではない。一緒に成長していないのならなおさら別物だ。
だからオレはさらに告げた。
「転入生が言うところのケイのすべてはケイが死んだ時点で失われて、何処にもない。分かっていてもごっこ遊びをしたかった? オレを刺激すれば……あるいは自分の弟が死にかければ何かわかると思った?」
転入生は泣いている。それは自分自身に対する憐みの涙だ。気分が悪い。
「おい、今のはどういうことだ」
オレに耳打ちする吉永紬を払いのける。どうもこうもない。見たままを口にしただけの話だ。それが泣くほどショックだったんだろう。
今回の件に関して、兄弟がしたかったのは強盗犯でも、オレの周りに火種を作ることでもない。蛇さんたちがしていたようなある種の実験だ。
「転入生が兄で……そこの強盗の方が弟って、なんでそんなことすんだ。だから何だって言うんだ」
意味が分からないというよりも意味がないと口にするコイツは正しい。
父親だけを同じくする彼ら兄弟の考えることなんて理解する気もなかったけれど、蛇さんが口にする違和感をきちんと解消するためにここで伝える必要がある。
「俺たちを騙して何の得がある」
損得の話じゃない。
そうしないとならない必然性が彼らというか、転入生にあっただけだ。
「自分が殺したかったんだ。何も知らないからこそ笑って死んだ子供を自分で殺したかった。だから、弟に兄を押し付けた。自分が殺したことにしてオレの反応を見るつもりだったんだろう。オレを吉永圭人として見ずに自分の弟という名の所有物にしたかった。だから、会長に対してケンカ腰で」
「違うっ。兄さんは俺を庇って!!」
縛られて転がされている転入生の弟であり、オレにとっては同い年の兄。早産だった彼は父親の妻の双子の妹の子供なので兄弟二人はソックリで母親が違うなんて気づかない。兄弟でありイトコ。病弱な兄の方が成長が遅かったようで高校卒業している年で高校に転入生としてやってきた。バカなんだろう。
「随分と手なずけたね。その手腕がオレにも通用すると思ってた?」
バカみたいだ。飼い主は飼い主だけだ。
「血が繋がっているのが本当の家族だろ。そこのメガネと兄弟なんて嘘だ。ケイは笑ってた。何をされても笑ってた。それはオレのことが好きだから」
「そんなわけないじゃん。お前の事なんか好きなわけないじゃん。……まあ、いいや今日は十代しゃべり場ってことで徹底口論といこうか」
チャッピーも猫にゃんも用意された椅子に座ってタバコタイム。
わんわんとしては学園内で言いたいことは言い終わったけれど、この舞台が作られたってことは吉永圭人として発言しろってことだ。吉永紬が隣にいるのはそういう理由だろう。
「強盗犯(兄に扮した弟)が捕まってリンチされていて、それを自分が感じ取れるかという実験が一つ。弟が兄を演じたまま死ねば、転入生として残ったあなたは兄に命じられたかわいそうな弟でいられる。そこでオレに取り入ろうと思ってもいた。兄弟の入れ替わりに気づかれたら双子の死の話をしてゆさぶり、気づかれなかったら被害者の顔をし続けるつもりだった。……どっちもできなかったどね」
つまらない戯言に付き合っている吉永紬に敬意を表して先程の入れ替わった理由を答えておく。
別に理解する必要はないことだ。
これは転入生の苦肉の策なんだから。
やっている方向性は逆だけれど魁嗣朝陽 と同じかもしれない。
オレの感情を動かそうとした。
さすがはお兄ちゃん。大成功です。弟はとても不愉快です。
学園には飼い主がいたから感情の制御ができていたのかもしれない。
何も感じていなかった。転入生なんてどうでもよかった。早く飼い主に会いたかった。わざわざオレのとことまで会いに来てくれた、それが嬉しかったから、転入生とは少し話して回収してもらって、さよならのつもりだった。
それなのに今はこうなっている。
今、ここに飼い主がいない。
でも、飼い主がオレに立つことを望んだ場所。
賢いわんわんは飼い主の思考を読み取って、喜ばせるべきなんだろうけど、上手くいかない。
いや、これでいいのかもしれない。
オレの中の混乱こそが飼い主の望みで、飼い主がしたこと。
なら、身を任せればいい。
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