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48 オレの人間性は生ゴミの中にある。
朝、目が覚めて一番初めにすることは生きていることを感謝することだった。
神様に出会わなかったら死んでいた。それは間違いない。だから、目を閉じて思い出す。自分が死んではいないことをきちんと理解する。神様が助けてくれた命だから、オレには価値があるのだと確信する。救われて生きることに感謝する。
それはどこにでもある信仰の形。
オレの教育係であり、戦闘訓練や意味の分からない実験なんかを押し付けてきた隊長は、このオレの思考形態を気持ちの悪い依存心だと切って捨てた。
隊長はあからさまにオレのことがキライで鬼教官だった。
齢に似合わない過激なところがある人だ。
いま思い返してみればオレに共感していたからこその辛辣さだったのかもしれない。
会長と出会って思う。相手の言い分が間違っていると思っているのに否定しきれないことに嫌悪感を覚える。オレは会長によって、自己嫌悪は引き起こされないけれど、自己矛盾が生じてしまう。まだ肉体的な快楽に流されていた方がいい。気持ちいいことを理由に誤魔化せることができた。
でも、オレは会長と身体を繋げることを気持ちがいいと感じていないし、肌の触れ合いに特別な思いも持ちあわせていない。それなのに会長の言動を許容するのはおかしなことだ。
自分を棚上げしきれないことが理由になるなら、片思いの人間は片思いされたら答えないとならなくなる。
会長が片思いではないとするなら、オレの感情とは何なのか。それはすでに恋人という役柄を与えられているので、何の問題もなくオレの中に収まる。
オレの彼氏である会長をオレは嫌う必要がない。会長はオレを好きだと言ってくるけれど、オレに好きだと言って欲しいと口にしたことは一度としてない。オレからの感情を望んでいないわけではないけれどねだったりしない。
そばにいられるだけでいいという、その束縛は強すぎて健気さからは程遠い。会長の常識が欠落していても、オレも別の場所が色々と欠けてしまっているので何も言えない。
このあたりがオレと隊長の違いだろう。
隊長は自分のことを平気で棚に上げてオレを糾弾してくる。神様がいないと死ぬと思っているような神様至上主義のクセにオレと飼い主の関係性や神様への依存を批難する。
このあたりすごく鬼畜眼鏡と似ている。自分が正しいと思っていることを容赦なく口にする。隊長はオレに対する優しさがゼロに近い。それは隊長の中にある優しさの全てを神様に捧げているからかもしれない。
二律背反、自己矛盾。これはオレの中で巣を作って目覚めた瞬間あるいは月のない夜に襲い掛かってくる。月が出ていれば神様に救われたことを思い出してオレはただの犬でいられる。わんわんは細かい悩みなどない。わんわんは戸惑ったりしない。わんわんは将来に不安など感じない。
一年離れて大丈夫だっただろと言われてしまえば、それまでかもしれない。――オレは飼い主のわんわんなので、飼い主から離れて生きていけないのだ。飼い主は一生傍にいると言ってくれた。飼い主は嘘をつかない。だから、不安など感じなくてもいい。何の心配もない。
自問自答をするなんて人間らしくて笑ってしまう。
そう思うと動かない顔が歪む気がした。
オレの中にある矛盾。理想と現実ではない。虚構に汚染された現実。踏みつぶされてボロボロの倫理と常識。
一般的な人間の在り方を語るにはあまりにも普通の生き方をしていない。そんなオレの言葉が誰かを動かせるわけがない。会長の愛し方を否定しきれないようなオレは一般の枠組みに入らない。でも、それがわんわんだから安心していた。
氷の上はつるつるとして摩擦がないから滑ってしまう。
だから、普通の靴でスケートリンクの上は歩けない。
オレにとって世界は氷の上にある。歩くためには尖ったものが必要だ。引っ掛かりがないと転んでしまう。衝撃で氷が割れたらその下の冷たい水の中に落ちて永遠に浮上できない。そんなことを考えてみてもわんわんは犬かきができるのだ。水が苦手な猫は溺れるかもしれないけれど、わんわんなら余裕です。
わんわんを理由に逃げるのではなく、わんわんであることでオレは助かっているのだ。
だからオレは飼い主の犬であろうとしている。誰に否定されようともわんわんはわんわんです。
神様と飼い主はオレがそれで楽になるならいいと思っている。
隊長はわんわんとして生きるオレを嫌悪して共感したから教官をしてくれた。組織の犬でいるには低年齢過ぎると常識的なことを言いながらオレを死地へと送り出す鬼。
蛇さんはどう考えているのか分からない。蛇さんが見ているものとオレたちが見ているものはきっと違う。いつだって蛇さんはオレに優しい。それに裏があったとしても優しいのは優しい。オレが蛇さんにとって観察対象だからかかわいそうな子供に対する純粋な好意かは分からない。
みゃーみゃーさんはこの中だと一番の常識人。ありえないけれどオレが飼い主と離れて暮らしたいと言ったら組織を抜けて一緒にいてくれるだろう。意外に世話焼きの心配性だ。
それともみゃーみゃージュニアに預けるかもしれない。悪い人間じゃないけれどみゃーみゃーさん一人目はどうにも大雑把だ。
車の中で猫にゃんから聞いてしまった事実、宮本都 、名前からして元祖なみゃーみゃーさんはまさかの鬼畜眼鏡の遺伝子的な父親。
タイミングからしてオレと出会う前に精子の提供をしたんだろうけれど、この繋がりでオレは吉永紬 の兄弟になった。
取り引きの内容の正当性なんかは知らないけれど、元祖みゃーみゃーさんがオレを変な場所に連れて行くことはない。
吉永圭人 と名乗る理由が元祖みゃーみゃーさんにあるのならオレは吉永圭人という名前を否定し続けることはできない。わんわんはわんわんだけれど吉永圭人はオレではないなんて言えない。みゃーみゃーさんの親である元祖に対してオレは敬意を払っている。元祖みゃーみゃーさん自体も嫌いではないしね。
飼い主はそんなことも分かって、吉永の戸籍を用意させたのかもしれない。借り物ではない家族。鬼畜眼鏡の性格からして、吉永の家族はきっと優しい。
多少のゆがみがあっても、両親が暮らしている家。
それはオレが一瞬すらも馴染んだことのない場所。知らない空間。けれど恐怖は湧かない。鬼畜眼鏡を育てた場所だと思えば「コイツに迷惑かけられてます」と苦情を言いたくなっても恐縮はしない。
飼い主とみゃーみゃーさんによって作り上げられた「普通の枠組みの中」の戸籍、家族。
隊長によって鍛え上げられた組織の犬であるコードネーム機械仕掛けの神としての実績。
それはコインの裏と表のようにオレを形作る。
組織のことは何も考えないで普通に生きることも出来ると示唆されているのは気づいてる。
何もしないで愛玩されることを選べなかったオレだから、コードネームが与えられて、鬼教官が鬼畜度を増したのだ。
オレは置物の人形になるのを恐れている。
散歩したがりのわんわんがいい。
愛でられ人と寄り添う、人でないもの。
ペットでいいからそばにいたいなんて殊勝な話じゃない。
オレの人間性は生ゴミの中にある。
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