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第3話

「こんにちは。墓参りです」 「ようこそお参りくださいました。どうぞ」  いつものやり取りのあと墓地へと進む。ひと月で季節が進んでいた。紅葉には少し遅かったのか、寒々とした枝が目立っていた。アマチュアカメラマンの姿も少ない。もう少しすれば椿を写真に収める人が増えるはずだが。  掃き清められた参道を歩きながら、高一朗はさり気なく辺りを気にしている自分に気づいた。  箱守の言葉に逆らってまで望月の墓参りに来たのはあの青年に会いたいからなのだろうか。  いや、違う。私は――。  高一朗は小さく頭を振った。  望月以外の人間について考えていることにゾッとした。  箱守の言う通りだった。ここに来るべきではなかった。  やっぱり帰ろう。そう思って振り向くと走り寄って来る人影が目に飛び込んできた。 「良かった。会えたー」  息を弾ませる青年を待ってしまったのはどうしてだろう。  先月のスーツ姿とは違ってジーンズにTシャツと薄手のジャケットといういで立ちは年相応に見える。手にはスケッチブックとペンを握りしめていた。肩から下げたバッグに仕舞う手間も惜しんでくれたらしい。 「今日会えなかったら諦めようと思ってたんです」 「もしかして毎日来てたんですか? たしか大学生……でしたよね。学校は?」 「四年生なんて卒論以外ヒマなもんですよ。内定ももらってますし」 「そうですか。それなら良かった」 「俺、早く声かけなきゃって慌てて来ちゃったんですけど、お墓参りの途中ですよね。すみません。あのどうぞお参りしてきてください」  待ってますからという彼を見、それから望月の墓を振り返った。 「いや、いい。また日を改めますから」  こんな気持ちでは望月に会えない。箱守は正しかったのだ。あれほど変わりたくないと思いながらどうして今日来てしまったのか。  それは。 「ひと月も私を待ってくださったんでしょう?」  私は、彼に。 「先月は失礼をしてしまったので、今日は穴埋めをさせてください」  会いたかったのだ。  望月の瞳を持つ彼に。 「わかりました。じゃあ行きましょう。あ、ちょっと待ってくださいね」  彼は手に持っていた荷物をバッグに仕舞うと先に立って歩き出した。 「どこに行きますか?」 「どこでも。君がよく行くところはどこですか?」 「俺がよく行くところって、そんないいところじゃないですよ? チェーンのどこにでもある店ばっかりかなあ。あとはコンビニとかテイクアウトのカフェ」 「コンビニ?」 「あれ。コンビニカフェ知りません?」  ちらりとこっちを振り返って視線をくれる。  この視線は望月に似ていない。でもなんだかホッとした。というか望月の瞳以外を意識したことなかったなと思った。 「コンビニって行ったことがないので」 「うっそ! マジで?」  ガバッと振り返られて高一朗はのけ反った。 「あ、すみません。俺、言葉……」 「気にしないで普通にしゃべってください」 「でも――、って、うわっ!」 「危ない!」  後ろ向きに歩いていた彼のかかとが石畳みに引っ掛かった。とっさに高一朗は腕をつかんだが耐えきれなかった。引っ張られて一緒に倒れ込む。 「いったぁ……大丈夫?」 「申し訳ありません。かえってご迷惑をおかけしました」 「いや、そんな謝ってもらうほどじゃないし。てか、軽すぎない? えーっと、……俺は、三重野生深っていいます」 「あ、私は沢田高一朗です」  変なタイミングでの自己紹介に二人して笑った。 「沢田さん、服着てるとそう見えないけどめっちゃ細いですね」  仰向けに倒れていた生深の手が高一朗の背中に添えられた。 「よっ」  と言う掛け声とともに上体が起き上がる。密着した彼の腹筋がぎゅっと収縮するのを感じた。 「三重野さん、腹筋すごいですね」 「普通ですってば。それと生深でいいですよ。みんなそう呼ぶし。立てますか?」 「あ、はい」  高一朗はそろりと生深の上から下りた。 「下敷きにしてすみませんでした」  立ち上がる生深に手を貸そうと差し出す。 「ありがとう。でも大丈夫です。また転ばれたら大変だし」 「さっきは突然だったからですよ」  ムッと言い返すと、生深はニッと笑って身軽く立ち上がった。 「その顔いいですね。沢田さん、美形だなと思ってたけどそういう表情してると可愛いな」 「か、可愛いって」 「……怒りました?」  窺うような上目遣いに可愛いのはそっちの方だと思う。 「別に怒ってませんし、そんなこと、言われたことありません」  いったいどんな表情なのか。高一朗は自分の顔を両手でぺたぺたと触った。頬が熱い。まったく一回り以上も年上の男に対して生深こそどんな顔をして言っているのか、と正面に立つ彼を見る。 目が合った。  か、観察されてる。  照れくさくて視線を逸らす。 「うーん。そういう反応がなあ」  ブツブツ呟いているのが聞こえた。 「とにかく、」  生深は咳払いして言葉をつづけた。 「ここでもじもじしててもどうしようもないので行きましょう。沢田さん、足元気を付けてくださいね」 「つまづいたのは生深くんですよ」  ばれたか、と生深はペロリと舌を出した。 「行きつけってほどじゃないんですけど、大学の近くによく利用するカフェがあるんです。そこどうですか?」 「じゃあそこにしましょう」  見慣れた店内に足を踏み入れて高一朗は困っていた。  まさか生深の通う大学が高一朗の勤め先の近くだと想像もしていなかった。テイクアウト専門の店は昼時を外しているせいか、高一朗と生深以外に客はいない。レジ台を兼ねたショーケースの向こうには今朝も顔を合わせた副店長の仙童がいて高一朗をじっと見ている。  昼に店を空けることは伝えているし、毎月のことなのでそれ自体は問題ではない。まあ、箱守から高一朗を墓参りに行かせるなという伝言はあったかもしれないが。 「ここ、学生が多いんでサンドの種類が多いんですよ」  生深が喜々として説明してくれる。  知っている。学生向けに唐揚げサンドや、カツサンド、コロッケサンドといった揚げ物が多い。あとはデニッシュパンの種類も多数。揚げ物やパンは早朝にパートの女性が来て地下の厨房で用意しているのだ。 「俺のおすすめでいいですか?」  トングを持った生深に、「お任せします」 と高一朗は頷いた。 「どれにしようかなあ。全部おすすめできるんですよ、ここ」  パンを選んでいる生深が背中を向けた隙に高一朗は仙童に向かって人差し指を立てた。仙童は軽く眉間にしわを寄せたものの、仕方ないとわずかにあごを引いてくれた。 「レジしてくるんで待っててください」  トレイに山盛りのパンを見て高一朗は生深の顔を窺った。 「それ、全部食べるんですか?」 「沢田さんも食べるでしょ?」 「それにしても多すぎると思います」 「余ったらおやつにすればいいんだし」  おやつ。おやつに揚げ物のサンド。二十代の胃ってすごい。  感心しているあいだに生深はサクサクと会計を済ませた。 「部外者が校内に入ってもいいんですか?」 「近所の人も散歩してるし気にしなくて大丈夫ですよ」 「なんだか公園みたいですね」  大学の中は緑が多くあちこちにベンチもある。生深が言った通り明らかに学生ではない人も歩いている。 「大学の中にコンビニもあるんですね」  イートインコーナーらしき場所にカップを手にした若者が集まっている。すごいなあと感心して眺めていると、押し殺した笑い声が聞こえた。 「沢田さん、いちいち反応が新鮮で、……いいですね」 「いま『可愛い』って言おうとしたでしょ、生深くん」 「気のせいですよ」  あははと笑って生深は高一朗の手を取った。ドキンと胸が鳴る。 「あの植え込みの裏にベンチがあるんですよ。あそこで食べましょう。俺の秘密の場所」  生深の言う通り、植え込みが人目を遮ってちょっとしたプライベートスペースになっていた。 並んで座り紙袋からドリンクとサンドを取り出す。 「好きなの選んでくださいね」  カップを渡してくれながら生深が言った。 「じゃあこれにします」  食べ盛りが好みそうなガッツリしたサンドの中に軽めのパンが入っているのは高一朗の嗜好を読んでくれたらしい。 「やっぱり。そういうの好きそうかもって思った」  予想が当たって嬉しそうな生深は選んだパンにかぶりついた。大きい一口だ。見ていて気持ちのいい食べっぷり。高一朗も野菜がたっぷりのサンドに口をつける。野菜のシャキシャキした歯触りが心地いい。 「美味しい」  美味しいなんて言葉を言ったのはいつぶりだろう。そのことに気づいて愕然とした。 「沢田さん? どうかした?」 「……なんでもありません」  望月のアトリエには通いの家政婦がいた。望月は興が乗るとアトリエにこもり切りになるし、そうでなければ夜は妻の元へ帰った。独りで食べる食事は味気なく、ただ健康と体型の維持のためだけに飲み込んでいた。  実家にいた頃も扱いにくい高一朗を持て余していた両親とはあまり会話もなかった。共働きだったし揃って食卓を囲んだ記憶はない。 「沢田さん、俺、甘い物はあんまり得意じゃないからこれだけ手伝ってね」  つやつやのベリーが乗ったデニッシュパンを渡された。 「亡くなった祖父の口癖でさ、寒くてひもじいと人間ろくなこと考えないって耳にタコができるくらい聞かされてて、俺、ついつい買いすぎちゃうんだよ」  横を見ればもう生深は二つ目にかぶりついている。 「……いいお祖父さんですね」 「うん。母親と祖母と俺と、三人で骨をお墓に納めたあとに沢田さんを誘った喫茶店で飯食ったんですよ。もう、三人でバカみたいにバカスカ食べて……。なんかね、俺、沢田さんを見たときいっぱい食べさせなきゃって思ったんですよ」  高一朗が横を向くと生深と視線が合った。 「美味しいって言ってくれて良かった」 「ありがとう……」 「また会ってくれる?」  高一朗は頷いていた。 「やった」  生深の笑顔に夢中で、そのときは望月のことも箱守のこともなにも思い出していなかったことにあとで気づいた。

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