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あと三十日 ─凛太─

 空き教室の後ろ扉をほんの少しだけ開けて、中を覗き見る。  いつもは三名ほどしか居ないのでゆっくり観察出来るのに、今日は三倍は人が居てとても邪魔だ。  その室内には、たくさんの衣服やあらゆるきらびやかな衣装が綺麗にハンガーラックに並べ掛けられていて、トルソーや刺繍道具、ミシン、アイロン、色とりどりの布地などは現在長机上に散乱していた。  学校を挙げての大イベントのために大忙しな彼ら「衣装部」の面々は、これから一週間ある人物の着せ替えに勤しむ。  中央に立つその人物は採寸の途中ともあり、カッターシャツの隙間からスマートな肉体美を覗かせていて、ドキッとした凛太は気付かれないようにそっと扉を締めた。 「今日もかっこ良かったぁ…!」  拳を握ってぎゅっと瞳を瞑り、それから大袈裟に天井を仰いで「ふぅ…」と溜め息を吐く。  本音を言えばもう少し見ていたかったが、今日は少々人が多過ぎて都合がよろしくない。  踵を返した凛太は足取り軽く廊下を進む。 ほんの数分でも、姿が見られて眼福だった。 「…あと一ヶ月か」  校舎を振り返って感慨深く見上げた先には、「文化祭まであと三十日」という大きな垂れ幕が派手に飾ってある。  凛太の通う高校の文化祭は二日に渡って行われるが、少しばかり他所とは趣が違う。  一日目は運動系の部活動と帰宅部組が主となり、いかにも内々な文化祭が前座よろしく行われる。  二日目は文化系の部活動主催で、各々のユニークな発想を凝らした模擬店や娯楽ブースを設置し、一日目とはまるで装いの違う開けた文化祭には、毎年近隣住民や他校の生徒も大勢訪れて大層賑わう。  何より好評なのが、二日目の夕方に全校生徒観覧が義務付けられた本格的な演劇だ。  文化祭実行委員会、総勢二十四名が一切の羞恥心を捨てて全力で取り組まねばならない、一番のメインイベント。  ここ数年、何故か演目は変わらずコテコテのラブロマンス「ロミオとジュリエット」である。  噂によると、就任した校長に演目の決定権があるらしい。 「結城先輩が新しい衣装着てる写真、早く手に入れたいなぁ」  自宅までの道のりをニコニコで歩く凛太の心は、この学校を受験する事に決めた一年以上前から、ただ一人に奪われている。  Ωである凛太がこの高校に合格できる可能性は極めて低かった。  しかし、高校のパンフレットに載っていたロミオ姿の広中結城に一目惚れしてしまい、その日から凛太の猛勉強の日々が始まった。  劇中の時代背景とは少々異なるが中世ヨーロッパの貴族風衣装に身を包んだ結城の切り抜きを、毎日持ち歩いて自身の糧にした。  頑張りの甲斐あって見事合格できたが、凛太は慎ましく結城を眺めているだけ。  世間も近しい周囲も、凛太がΩだからと偏見を持つような者はほとんど居ないというのに、姉の凛子だけは執拗に「Ωのくせに」と心無い言葉を吐いてくる。  二年前に凛太の性が確定した日から凛子の弟いびりが始まったが、もうあまり気にならなくなった。  ただし、毎日言われ過ぎたせいか心底に根付いてはいる。  僕はΩだから出しゃばっちゃいけない。  好きな人が居ても、見ているだけ。  想いを伝える事なんか絶対にしちゃだめ。  身の程知らずと笑われるだけだから、特にα性の者には絶対に想いは伝えない。  凛太は、生徒手帳に忍ばせたロミオに扮した結城の姿を見ては、毎日ぼやいている。 「なんで結城先輩、α様なんだよー」  好きの気持ちは日々膨らむばかりだが、こっそり見詰めているだけの生活に慣れてしまった凛太の恋心の捌け口は、その切り抜きしか無かった。

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