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第1話

 かつてガリアと呼ばれた地域は、今も中世の街並みを残す村がある。その村の森の奥には、清らかな水が湧き出る泉があった。  馬の神、旅人の守護神、豊穣の神、そして泉の神として知られた女神エポナの聖地だ。  古の女神への祭祀は絶えてひさしく、訪れる者も少ない。 夜ともなれば森は静まり返り、聞こえるのは、かすかな水音だけだ。  その、無人のはずの泉に、ひとり男がたたずんでいた。  正しくは、そこにいるのは男だけではない。 男に寄り添うように、ほのかな光を放つ〝何か〟がそこにいた。 「道案内、ご苦労だった」  エポナの使い――翼ある馬――に、男が優しく話しかける。  天馬の光を受けて、男の相貌が輝く。しかし、その足元に影はない。  伝説の馬と同じように、男もまた、この世ならざる者なのか。 「古の力ある御方、すべての馬と旅人の守護者にして騎乗する女神よ、あなたの命に従い、参上いたしました」  シャツに揃いのベストとズボン姿の男が、右足を引いて右手を胸に添え、左腕を横方向に水平にあげた。 優雅なボウアンドスクレイプは、ルイ十四世時代の宮廷から抜け出たようだ。 『変わらず健勝のようですね、伯爵』  岩の裂け目、水が流れ出るあたりから、力強い女の声がした。それと同時に、髪の長い女の形をした光が、水面に浮かびあがる。  すると、森の奥から白く輝く馬が一頭、また一頭と姿を現した。 全部で六頭。白銀に輝く馬体、尾もたてがみも純白だ。そして額には、長く鋭い一本の角が生えている。  一角獣か……。初めて見るが、なんと、美しい精霊なのか。  欲しい、と伯爵が心の中でつぶやく。 一角獣をこの手にできたら。……あぁ、想像するだけで、こんなにも心躍る。  伯爵の羨望のまなざしを感じたか、一角獣の一頭が、威嚇するように頭をさげた。眉間の槍を伯爵に向けて前足で地面をかく。  これはこれは、すっかり嫌われてしまったな。  けれども、それは当然のことだ。一角獣は処女以外の人が触れることを許さない。触れるとすれば、その角で敵を貫く時のみ。 優美な姿に反して、高い攻撃力を持つ、気性の荒い精霊なのだ。  だからこそ……欲しくもなるのだが。  うつむいたまま伯爵が口角をあげる。この、不敵な男から女神を守るように紺色の瞳を爛々と輝かせながら、一角獣は伯爵に視線を据えていた。 『さて、伯爵。わが友よ、そなたにたっての頼みがある』 「友などと恐れ多いことでございます。私は、あなたの美しさに魅せられた憐れな奴隷。気高き貴婦人の憂いを払うためならば、どのような試練でもお申しつけください。褒美は、あなた様の笑顔で十分です」  まるで姫君に仕える騎士のように、芝居がかった口ぶりで伯爵が返す。 しかし、その大仰な物言いが、過剰なまでの優雅な仕草が、伯爵の甘いマスクにぴたりとはまっていた。  すらりと伸びた長い手足、均整のとれた肉体は引き締まって逞しい。外見は三十代の半ばに見える。  整った顔をふちどるのは淡い金髪で、洒脱な伊達男といった雰囲気であったが、理知的な水色の瞳が、伯爵の呼びかけにふさわしい気品を醸し出していた。 『その言葉に甘えさせてもらう。……百年ぶりにこの森で、ユニコーンが産まれた』  中世そのままの景色を残す田園地帯であろうとも、人が増え、車が走り、携帯やスマホの電波が飛び交うことで、自然の力をそぎ落とし、損なってゆく。  精霊は自然の気が凝ったものだ。ユニコーンほどの霊獣ともなれば、それが産まれるためには、膨大な気が必要となる。  この時代にユニコーンが新たに産まれるということは、奇跡のような出来事なのだ。 『だが、その仔馬が……我らの愛し仔が、何者かにかどわかされた』 「かどわかされた?」  衰えたといえども、女神の結界は強力に森を――精霊界を――覆っている。 待望のユニコーンの仔馬であれば、幾重にも張られた結界と仲間の成獣たちに守られ、大切に育てられていたであろう。  それなのに、かどわかされた。ありえない事態だと、伯爵が目を見開く。 「この結界を破って、誰かに、連れ去られたと?」 『犯人はわかっている。人だ。人により、海の向こう、遙か遠く異国の地に連れ去られた。日本(ジャポン)という国だ。かの地の神が、ユニコーンの気配があったと、わざわざ我のもとへ御使者を遣わしてくれた』  女神の言葉に誘われたように、闇の中から三本足の烏が進み出た。 『人の子の好む蹴球とやらのおかげで我らとも縁が出来た。ヤタガラス殿という』 「驚いた。本物の八咫烏(やたがらす)とは。では、遣わしたのは、熊野三山のどなたかで?」 『これはこれは、異国の方よ、我らが主をご存知なのですか』  目を丸くする伯爵に向かい、八咫烏が尋ねる。 「昭和天皇の御代に、五年ほど日本に滞在しておりました」  伯爵が流暢な日本語で答えると、八咫烏が『おお』と驚きの声をあげた。 「八咫烏殿、ユニコーンが日本に連れて行かれたというのは、確かなことなのですか?」 『応とも。熊野三山は日本全土に分社があり、日本を覆うねっとわぁくを構築しておるのだ。空港のある成田市にも、熊野神社はある。そこからの知らせよ。曰く、人の子がゆにこぉんと呼ぶよぉろっぱの神獣と思われる気配がした、とな』  八咫烏は女神に比べれば人の世に詳しく、横文字までも駆使してみせた。 「では、そのネットワークでユニコーンの居場所もわかっているのでは?」 『否、成田に到着して半刻もしないうちに、ゆにこぉんの気配が消えてしまったのだ。神獣が消えるなど、あってはならぬ大事だからのう。主殿がそれがしを遣わした。このご時世、我ら神界も助け合いのぐろぉばるねっとわぁくを作らねば。それこそが、結びの大神のご意向であり、我ら眷属の使命なのだ』  バタバタと羽を大きく羽ばたかせ、八咫烏が熱弁をふるう。 『このようなわけで、伯爵、そなたには日本に行き、愛し仔を探し出し、我がもとに連れ帰ってほしい』 「かしこまりました。女神の頼み、わが身にかえても果たしましょう。明日には日本に向かい、探索をはじめます」  『では、それがしが日本を案内いたしましょう』  八咫烏がふわりと伯爵の肩に乗り移る。 『それがしの名は、三津丸(みつまる)。伯爵よ、しばしの間、よろしく頼み申す』  烏は光の玉に姿を変えた。光の玉は、伯爵の体の中に溶けるように入っていった。 「それでは、失礼いたします」  伯爵が別れの言葉を告げ、再び女神に向かって深々とお辞儀をする。 次の瞬間、すぅっと蝋燭の炎をかき消したように伯爵は姿を消した。  続いて女神や一角獣も消えてゆく。  後には、暗闇と、こぽこぽと水の溢れる音だけが、静かな森に響いていた。

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