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手ぐすね引いて待つ(1)
会社はボーナス商戦期に合わせ、繁忙期を迎えていた。
えすねっとうぇぶというweb広告の会社で働く伊崎亮汰 は、パソコンの画面を睨みつけていた。
あまりの忙しさに、家に帰る時間も惜しいと、この二・三日は事務所の片隅に置かれたソファーが寝床となっていた。しかも周りはペットボトルやごみが散乱している。
それを片付けるのは同じ班で一番年下である水瀬輝 の日課となっていた。
「伊崎さん、そこらに散らかしておかないでゴミ箱に入れましょーよ」
ゴミを拾う為にしゃがんでいるので頭のてっぺんまで良く見える。
亮汰よりも10センチは高く、ほどよく筋肉のついたしなやかな体つきをした、たれ目で甘いマスクをした男だ。
短期バイトの女子大学生が言うには、どこかの物語に出てくるような強くて優しい王子さまで、亮汰は王に飼われている鷹だそうだ。
そんな王子さまを手足のように使う、まぁ、教育係だった亮汰に逆らうことは水瀬にはできないだろう。
「だから水瀬がいるんだろ」
ゆえにこんなセリフも日常茶飯だ。
「酷い」
思えば班の奴等は遠慮なく口にする。それが鬱陶しくもあるが、気が良い奴等ばかりなので気に入っている。
着信音が鳴る。相手は従姉の桜で、亮汰にある情報を教えてくれるのだ。
それは待ちに待った知らせで、スマートフォンを握りしめた手に力がはいり、小刻みに震える。
「アイツ、やっと帰ってくるのか」
弟、明日帰る、と、短いメッセージ。この何十年間、それを待っていたのだ。
「誰が帰ってくるんすか?」
亮汰の呟きに、水瀬が興味津々とばかりにこちらをみている。
「王様」
「え、王様にお知り合いがいるんですか。すごっ」
素直に信じたか。それが仕事の時だとしたら、冷静に判断し、時に疑うのも必要だという所だ。
「はは、お前は単純だな」
と髪の毛を乱暴に掻きませると、鳥の巣が一つ出来上がった。
「伊崎さぁん」
情けない表情を浮かべる水瀬に、休憩といって部屋を出る。
休憩スペースには自販と喫煙室、給湯室とあり、ベンチとテーブル席が設置されている。休憩する時間は自由なので、煙草を吸いにきたり、何か飲みながらスマートフォンを弄っている人もいる。
だが、タイミングよく誰もおらず、ベンチに腰を下ろしてスマートフォンを見る。
画面には先ほどのメッセージが表示されたままとなっていて、それを手の中で抱きしめた。
亮汰には大好きな従兄がいた。
長谷隆也 は三歳年上で、亮汰を本当の弟のように可愛がってくれた。
亮汰はとても懐いていて、嫌われないように隆也の前ではいい子に振る舞ったものだ。
だが、高校を卒業し、料理人になるとフランスへ行ってしまった。
その時はすごく寂しかったけれど、隆也がやりたいことだから応援してあげようと、泣くのを我慢したものだ。
何年かの我慢。修業を終えたら日本に帰ってくるだろうと思っていたのに、向こうでの生活が合っていたのか、帰ってこなかったのだ。
それでも数年は待っていた。だが、時が立つにつれ、戻ってくると期待をしては駄目だと、諦めかけてきたところだった。
だから桜から連絡を貰った時は、心が沸き立った。
会えるのだ、隆也に。
亮汰が三十二歳になるのだから、隆也は三十五歳か。
男惚れする、隆也はそんな人だった。そして亮汰に優しかった。
思い出の中では大人になりかけの、かっこいい姿で亮汰の名を呼ぶ隆也がいる。
「隆也さん」
切なく名を呟き、ため息をつく。
帰国するまで二十日ある。それまでには忙しさも落ち着くだろう。
「伊崎さんっ」
名を呼ばれる。水瀬がゴミ袋を手にこちらへとやってくる。
結局、掃除をすべてやらせてしまった。
「ほら、ご褒美」
大の甘党である水瀬に、暖かいおしるこの缶を投げて渡す。
「元気の素」
後はオヤツの饅頭があれば水瀬は元気に働くだろう。
メールを閉じてスマートフォンをポケットに入れる。
「さて、またひと働きするか」
「あ、大浜 さんから伝言で、石井 君OKだそうです」
「わかった」
石井は社長である柴 の甥っ子で、部署が違うのだがHTMLコ-ディングのバイトにきていた経験があり、忙しいときはヘルプにきてもらう。
その間、大浜にそのしわ寄せがいってしまうので、貢物の缶珈琲を持ち、一声かけておこうと彼の元へ向かう。
「大浜、悪いな」
珈琲を机の上に置く。そこには大浜が愛してやまない双子の甥と姪が笑っている写真がある。
「俺よりもお前等の方が大変だろうが。遅くまで会社いるんだろ?」
心配するように、自分の目の下をなそる。隈ができているといいたいのだろう。眠気を飛ばすために顔を洗うたびに鏡で見ているのでわかっている。
「ま、こればかりはな」
「そうなんだよな」
互いに頑張ろうと大浜が肩を叩く。
石井は既に仕事をしていて、亮汰もデスクに戻り、パソコンのキーを打ち始めた。
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