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前編

 駆け出しの時は仕事を選ぶな。  そうマネージャーに言われて、なんの仕事でもこなしていたらこのざまだ。 「あっ、ライズ、僕のライズたんっ!」 「や、めろって! くそ、あうぅっ!」  尻の穴に、男の指がグジュグジュと出入りしている。  オナニーするとき、後ろの穴も弄る癖があるから痛みはないし、むしろ気持ちいい。  いやいや、そんなことより早く逃げなくては。  この男は細いし軽い。たぶん俺が突き飛ばせば簡単に吹っ飛ぶだろう。  でもこの男に怪我でもさせたら、俺はひとつ仕事を失うかもしれない。  駆け出しの俳優である俺の最近の主な仕事は、イベントでコスプレをすることだ。  今日は仕事の打ち合わせで事務所に顔をだしている。  今度アニメ化するらしい漫画のファンイベントに、その漫画のキャラクターの格好をして参加することになっているらしい。 「じゃあ明日、雨宮さんにはその漫画家さんのお宅兼事務所で、打ち合わせをしてもらうんだけど。雨宮さん、この漫画『ライズ・ファイト』っていうんだけど、読んだことある?」  1~3の連番が振られた本をマネージャーが見せてくる。 「いや、ないですね」 「そうだよね~。あー、これ原作本あげるから、一応読んでおいてもらってもいいかなあ? 明日は作家さんとこに会いに行ってもらうから、ね?」  3冊の本を渡される。少し分厚い漫画本が3冊もある。 「はあ。読まないとだめですか?」  コスプレなんて扮装するだけじゃないか。その恰好をして演技するわけじゃないし。そんなニュアンスを込めてマネージャーに言う。 「今回はねぇ、けっこう気難しい先生らしいから。この原作はできるだけ読んでおいてほしいなぁ。もう最低限、パラッとで構わないから」 「……わかりました。俺はどれをする予定なんですか?」 「もちろん主人公の、この表紙の男の子だよ」 「ああ、それで俺なんですね」 「雨宮くんのからだは、漫画の人物顔負けだからね」  表紙に描かれたキャラクターを見る。  半裸でオープンフィンガーグローブをはめているところをみると格闘マンガか。  これなら問題ないだろう。  俺の形よく綺麗に割れた腹筋に、太めの腕や首。もちろんイラストの誇張されたからだには劣るけど、リアルに存在する分には再現度は高いといっても許されるだろう。 「じゃあ、明日先生の所にはひとりで行ってもらうけど、よろしくね」  そう言われて事務所を後にした。  電車に揺られると、つい色々と考えてしまう。  駆け出しの俳優と言えば聞こえはいいが、実際俳優としての主な仕事はエキストラくらいだ。  ある日コスプレをして働く仕事をしたらそれが好評で、今ではそれがメインの仕事になっている。  何度かマネージャーに頼んでドラマや映画のオーディションを受けさせてはもらっているけど、なかなか日の目を見ない。  コンスタントに入っている仕事は、下着メーカーのモデルと、このコスプレの仕事だ。もう少し、ちゃんとした俳優の仕事がしたい。  自宅に帰りつき、マネージャーに渡された漫画本3冊を見つめる。 「さて、読んどかなきゃな……本読むの得意じゃないのにな」  ぱらりと適当に真ん中のページを開く。閉じる。 「は?」  表紙と中身が違ったのか? 表のカバーを外してみたが、カバーと中の作品は同じだった。幻覚でも見てしまったのだろうか。 『とんでもないシーンがあったような……』  あれはまるで、セックスしているような。なんだったんだろう。  気を取り直してちゃんと最初の1ページ目から読み進める。  さっきのはやっぱり幻覚だったんだろうか。ただの格闘マンガだった。 『ああ、この寝技のシーンがセックスしてるように見えたんだ。えー、でもこの顔って……なんだろう、やたらエロいな』  格闘技漫画だからだろうか。文字を読むことが得意でない俺でも読みやすかった。何より、主人公にどこか親近感を覚える。  人の前だとお調子者で、でもひとりの時はどこか冷めてて、少しひねくれた性格なところだとか。 「なんか、俺みたいだな」  気が付けばもう深夜0時を回っていた。明日は午前中にこの漫画家の家にいかないといけない。  俺は急いで風呂に入って、寝る準備を始めた。  漫画家の家は普通のマンションの一室だった。インターホンを鳴らすと、ひょろ長い男が顔を出す。 「あの、初めまして。雨宮と申します」 「あなたが……」 「あ、はい。よろしくおねがいします」  どうぞ。と部屋の中に通される。広いであろう部屋には机がたくさん並んでいるが、今日はこの漫画家以外誰もいない。  インスタント独特の、どぶのような色をしたコーヒーの入ったマグカップがテーブルに置かれる。ありがとうございますとだけ伝えるが、口はつけない。 「それ、読んだんですか?」  俺が手に持っていた本を漫画家が指差す。 「あ、拝読させていただきました」 「ふーん」  出会って数分。感じが悪い。非常に悪い。 「どうだった?」 「え、っと……その、キャラクターの表情が、えっちでした。あ、ははっ」 「……そうですか。できればセクシー、またはエロティックと言っていただきたい」  しまった、感情に任せて失敗した。さすがに失礼だっただろう。こういう時に学生の頃もっと勉強しておけばよかったと思う。 「あの、俺今度のイベントのコスプレ頑張りますんで、その、よろしくお願いします」  マネージャーも気難しい人だと言っていたので、ほんの少しだけご機嫌取りをしておく。 「じゃあ……て」 「はい?」 「これ、着て」  ずいと向けられた紙袋を受け取る。 「えっと、これは……」 「ライズの衣裳」 「え、衣裳って、もうできてるんですか?」  採寸もしていないのに、どうして衣装が出来上がっているんだ。 「いや、自作です。どんな感じか、見せてほしいから」  そういうことですか。簡易的なオーディションのつもりかよ。 「じゃあ着替えてくるんで、どこか場所貸してください」 「ここで着替えて」  くっそ、気難しいというより、地味に腹が立つなこいつ。俺が女だったら訴えられてるぞ。  紙袋の中に見えるのは安っぽい赤色のサテン生地。それを取り出すとハーフパンツのサイドにスリットの入った衣裳だった。それに黒色のオープンフィンガーグローブと白のテーピングテープが入っている。  仕方がない。別に俺もこいつも男だ。気にすることはない。  着ていた上着とインナーを脱ぐ。靴下を脱いで、穿いていたズボンを脱いだ。  漫画家はじっと、パンツ1枚の俺を見ている。非常に気まずい。制止しようにも俺はこの漫画家の名前を知らなかった。さすがにおい漫画家と言うわけにはいかない。  俺は持ってきてた本の表紙を見る。表紙には作者の名前として『鬼村サトル』と書かれていた。 「あの、えっと、鬼村さん? あんまり見ないでもらえませんか?」 「それ、パンツも脱いでもらえますか?」  質問に質問で返される不快感よりも、被せられた質問にギョッとした。 「は? え、いやそれは」 「そのコスチューム、スリットが深く入ってるんで、そのボクサーパンツだとはみ出すんですよね」 「パンツの裾を捲る、ではだめですか?」  さすがに男同士でも初対面の男の前で全裸になるのは抵抗がある。いや、抵抗しかない。なるべくそれを表に出さないよう、俺は譲歩案を出した。 「あなたの仕事に対する姿勢は、その程度ですか」  俺の仕事に対する姿勢だと?  鬼村に背を向けてパンツを脱ぐ。怒りだとか、そういう感情がすべてどこかに行った。俺のプライドにかかわる問題だ。正直、こんなコスプレなんか俺はしたくないんだ。でも俺は仕事のために、このコスプレをしている。  赤いスリットの入っているハーフパンツを掴み、穿く。サイズはぴったりだった。漫画の表紙を見ながら足首にテーピングテープをぐるりと巻く。  髪型は似ているからまあいいだろう。黒色のグローブをはめて、鬼村へ向き直る。 「どうっすかね?」  少し口調が悪くなるのは許してほしい。鬼村はじっと俺を見ている。 「あ……ライズだ」  鬼村はそう言うとこちらへ近づいてきた。 「え、ちょ、んっんんっ!」  なんでゼロ距離に鬼村の顔がある? 俺は今何をされている? キスをされたのか? 「うん。かわいい、かわいいよ……ライズ、ライズたん」  肌に当たる鬼村の吐息と体温に、ぞわぞわと鳥肌が立つ。 「ひっ! ちょ、マジなんなんだよ! やめろって!」 「ああ、そのコスチュームデザインにしてよかった。すごい、いいよ、いいよぉ。うん、すごく似合ってる」 「やめろ触んな! う、わっ!」  床に転がしていた紙袋を踏んでしまい、尻もちをついた。尻が痛い。  気が付けば接近した鬼村の膝が俺の股間部分にある。動けば鬼村の膝に股間が当たってしまうと思うと気持ち悪くて動けない。 「ライズたん、かわいい」  動けずにいると、スリット部分から鬼村の手が侵入し、そのまま俺の股間を握りこんできた。 「ちょ、マジで……触んなっ!」  直接的な刺激はどうしても生理的な快感を拾ってしまう。  俳優という仕事は思っているより出会いがないので、普段の性欲は全てオナニーで済ませてしまう。それが、いきなり他人の手で扱かれるのだ。正直気持ちいい。 「ふ、うう……っ!」 「あ、サテンの生地にシミがいっぱい……気持ちいいんだね?」  屈辱というか、いたたまれないというか。どんどん自分が吐き出す先走りでコスチュームが汚れていく。なんの思い入れもない衣装だが、借り物ということもあり妙な罪悪感がある。  鬼村が何かボトルを取り出した。 「なんで、そんなモン持ってんだよ! う、あっ!」 「お尻の穴も、かわいいよ……」  鬼村が持っているそれは、デカデカとお尻用ローションと書かれたローションのボトルだ。それは、俺が家でも使っているものだ。  いつからだったか、俺は家でオナニーをするとき後ろの穴も使っている。そのローションが一番具合がよかったんだ。  いや待て、違う。そうじゃない。 「鬼村さん、アンタ何考えて……ひ、んっ!」 「あっ、ライズたん、僕のライズたんっ!」 「や、めろって! くそっ!」  抵抗すれば、こんな細長いもやし男は簡単に退かせることができる。でも仕事を失う恐怖と、気持ちいいのと。いろんな感情が混ざりあって、俺は何もできない。

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