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第1話
「ふう。これぐらいでいいかな」
ユストは伸び放題に伸びた髪をかき上げた。
朝から山の中をはいずり回り木の実や果実や幼虫を集めていたのだ。
「さ、早く帰らないとお腹空かせてるもんね」
立ち上がり腰を伸ばすように背をそらせると、中天を過ぎた陽の光が眩しい。いい天気だな、と目を細めると視界を影が過った。
「ユスト―!」
幼馴染のヘルゲの声だ。
「ヘルゲ、どうしたの?」
「うわっ」
ガサガサと頭上の枝が揺れて木の葉が降ってくる。
ヘルゲは尻尾を器用に枝に絡ませながら落ちるように下りてきた。
「長老がユストを呼んでる。おっかなそうな客人に会わせるんだってさ」
「おっかなそうな客人?」
「大陸にある国からきたらしいぞ」
「大陸?」
ヘルゲの話がよく分からなくてユストは首を傾げた。
「それ、急いでるの?」
「さあ。でもたぶん」
ヘルゲはまん丸な目をクリクリさせて肩を竦めた。
「ちょうど猿たちの餌も集め終わったし、いいよ、もう帰る。そう長老に伝えてくれる?」
「だめ。長老はユストを連れてこいって言った」
ほら、とヘルゲが手を差し出す。ユストを負ぶって連れて行くつもりらしい。
「じゃあさ、ヘルゲがこの荷物を持って行ってよ。ぼく一人なら山を走って下りられるから。そうしたらそんなに時間はかからないよ」
「でも……」
長老に叱られるのが嫌なのかヘルゲは渋っている。
「猿たちは匂いに敏感だからぼくにヘルゲの匂いが移ると大変なんだ。とくに今は孕んでる母猿もいるし、あんまり興奮させたくない」
「じゃあ仕方ないな。ユストその荷物をよこせ」
「ありがと。お願いするね」 ユストが袋を手渡すとヘルゲはくんくんと鼻をうごめかせた。「美味しそうな匂い」
「つまみ食いしちゃダメだからね」
「わかってるよ。じゃあ先に行くな」
「うん。お願い」
ヘルゲはぐっと屈むと、枝のしなりを上手く使って飛ぶように移動していく。
「さて、追いつかないとね」
ユストは倒木や下草をかき分けて山を下り始めた。
「ユスト、遅いー」
集落の入り口にたどり着くと手持無沙汰なヘルゲが不機嫌そうに口を尖らせた。
「これでも急いできたんだよ」
ハアハアと肩で息をしながらユストは答えた。
「だからオレが負ぶってやるって言ったのに」
「それはさっきも言ったでしょ。ヘルゲの匂いがつくと母猿たちが興奮するから。……ヘルゲはさ、えっと、その、精通あったんだよね?」
「ああ、この間な」
ふふんと得意げにヘルゲは胸を張った。
「次の発情期がきたらオレも交尾に混ぜてもらえるんだ」
「だったらダメだって分かるだろ。雄の匂いにはすごく敏感だから。それにいま孕んでる母猿が無事に出産しないと無理だよ。ただでさえ獣人の子を孕むのは負担になるのに傍で交尾されたら死産になるよ」
獣は雄と雌が番って増えるが、なぜか獣人には雌がいなかった。子を為すためには同じ系統の獣の雌と交尾する必要がある。しかし、同じ系統と言っても獣人は異種族に違いなくなかなか孕むことはない。孕んだところでほとんどが産み月までもたない。運よく生まれてくる子も獣の姿をしていることが多い。ごくごくわずかな確率で獣人の子が産み落とされるのだが、それも胎から出た瞬間に母体に噛み殺される。
猿獣人の子供ではないユストがこの集落で育ててもらえたのは、獣人自体が子供を大切にするという理由以外に、異常なほど治癒能力が高いせいでもあった。獣は獣人には決して懐かない。野生の生き物に近づくには無傷ではいられないのだ。だがユストならケガをしてもすぐ治る。実際、腕を噛み千切られたこともあった。そのときでさえ、千切れた腕をくっつけておくだけで治った。
長老たちにもユストがなんの獣人なのかさっぱり分からなかったが、体毛がなく肌にうっすらと鱗があることから、海獣人の仲間なのだろうという結論だった。
ここは大陸から離れた小島だ。四方を海に囲まれているので海獣人も在り得る。ユストやヘルゲの暮らす集落は段階絶壁の上にある。力がないため暮らしやすい島の中央部から追いやられているのだ。
ユスト自身は自分が何者なのかはもう気にしていなかった。育ててもらった恩を返すためにここで一生を終えるつもりだ。
「母猿にご飯をあげてから長老のところに行くつもりだけど、どこに行ったらいいの? 集会所?」
ユストは頭上の集落を見上げた。
ヘルゲたちは樹上で生活している。木々の間に蔓を編み集落をつくっている。ユストも小さいころはヘルゲ達とともに樹上で暮らしていたが、だんだんと大きくなり地面に居を構えるようになった。
「いや。客人はおまえよりもっと大きいんだ。あんな体じゃ集落が壊れる。村の外れで待ってもらってるみたいだ。ユストの家と反対方向な」
「分かった。じゃあすぐ行くね」
「じゃ、オレは長老に伝えとくよ」
「あ! ねえ、ヘルゲ」
「なんだよ?」
走りかけたヘルゲが振り返る。
「長老、地面に下りたの?」
「まさか下りるわけないだろ。一番下の枝までは下りてるけどな」
「そっか。じゃあ長老の我慢が限界になる前に急ぐね」
「頼んだぞ」
樹上生活の猿獣人たちは地面に足をつけるのを嫌う。それは禁忌といってもいいほどだ。ヘルゲはユストと一番仲が良かったので地面に下りるのも厭わないが仲間内ではあまりいい顔をされていない。地上で暮らすユストのことも嫌っている大人は大勢いた。
「なんの話なんだろ?」
ユストはヘルゲが運んでくれた餌袋を持ち上げた。
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