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第16話

「ユスト様。ユスト様」  遠くから呼ぶ声にぼんやりした意識を手繰り寄せる。苦労して目の焦点を合わせると見知った顔があった。  いつもユストの側にいる獣人。ルトムートの弟子だ。  そう言えば、ぼくは彼の名前も知らない。  ふと、そんなどうでもいいことが頭を過る。 「良かった。気がつかれましたか?」  ユストは首を傾げた。変な事を言う。ユストはただ寝ていただけなのに。  ふふっと笑うと目の前の彼はわずかに眉をひそめた。 「体を起こしますね」  されるがままに上体を起こされ背中にクッションをたっぷり挟まれる。 「苦しくないですか?」  返事の代わりにユストは微笑んだ。  もう痛みもなにも感じない。体全部が繭で包まれたようにあらゆる刺激が遠い。体を起こしたせいで後孔からどろりとフロレンツの精が漏れる不快感にも嫌悪を感じない。 「だ、大丈夫ですか?」  窺うように問われた。まるで腫れものにでも触れるような態度にユストはおかしくなる。クスクスと笑いがこみ上げる。 「ユスト様。なにか召し上がられますか? お好きな物を用意したんですよ。果物でもスープでも……」 「いらない」  寝起きのせいかユストの声は掠れていた。 「せめてお茶でも」  差し出されたカップをユストは振り払った。 「いらないったら!」  毛足の長い絨毯の上を音もなくカップが転がった。絨毯が水分を吸って濃く染まる。あまりにささやかな抵抗の結果にユストのイライラは納まらない。ベッドサイドに置かれていたワゴンを押し倒そうとした。だが萎えた腕は傾いだ体を支えきれず体ごとワゴンに倒れ込んでしまった。 「ユスト様っ!」  ユストを支えようと咄嗟に割り込んだ側仕えの獣人の体とワゴンがぶつかり派手な音を立てて転がる。綺麗に盛り付けられた果物が散らばり、スープがべったりと汚らしく広がる。 「あはっ、ははは」  ユストはその光景に笑い声をあげた。少し胸がすっきりした気分だ。 「……少し外の風でもいれましょうか? 今日はいい天気ですよ?」  彼はユストの行為にも声を荒げずただ耐えている。ほんの少し良心が咎め、 「知らない。勝手にすれば」  ユストはクッションの山に背中を預けそっぽを向いた。  彼はそんなユストに上掛けをかけ直し、散らばった食器や果物をざっと片付けてから窓のカーテンを開けた。  眩しい。  ユストは目を細めた。  ずっと窓を見るのが嫌だった。だってもうハーラントは助けに来ない――来れない。血の海に伏したハーラントを思い出すのが怖い。でも、その事実を認めたらきっともうなにも感じなくてもすむ。  そう思ってあの日ハーラントがユストを助けに来た窓に目をやった。  きっとそこには何事もなかったように整えられた庭があるはずだった。 「――――な、なんで」  ユストは目を見開いた。  開かれた窓の外にはたくさんの羽が落ちていた。  黒の混じった茶色い羽。たった一度しか見ていないがハーラントの羽だ。それを側仕えの彼が集めてもって来てくれた。 「あ……あ…………」  息がわななく。 「ルトムート先生も、フロレンツ王子もご存じありません」  彼の言葉にユストは視線をあげた。 「鳥なんてどこでも飛んでいますから」  シーツの上に広がったたくさんの羽。これはハーラントからの言葉のない手紙だ。  無事だったんだ。  また空を飛べているんだ。  心の底からの安堵と、軋むほど痛い会いたいという気持ち。 「う、あ、ああ……ううううっ」  ぼたぼたと目から涙が落ちた。 「うわああああああああ」  羽をかき抱いて突っ伏す。  ハーラントが無事ならなにもいらないと思った。自分がどうなってもいいと覚悟をした。でも、でも、こんなにも会いたい。会いたい!  堰を切ったようにほとばしる嗚咽を堪えられない。  泣いて泣いて泣いて、次にユストが気づいたのは押し殺した側仕えの獣人の声だった。 「私の命に逆らうというのですか」  フロレンツの声だ。 「ようやくお休みになれたのです。せめて今日だけは……どうか、どうか、お願いします。お願いしますっ」  居間と続きになっているドアの所だ。衝立が邪魔になってふたりの姿は見えない。けれどフロレンツが側仕えを押し退けたのが気配で分かった。  衝立から黒い影のようなフロレンツが現れる。視線が絡まった。 「ユスト」  フロレンツが目を細めユストに微笑みかけた。だがその顔はユストが驚くほど荒んでいた。 「フ、フロレンツ……?」  あまりにも面変わりしていてこれがフロレンツなのかとユストは自分の目が信じられずにいた。 「ようやく私を見てくれましたね」  笑みをはりつけたままフロレンツがユストに近づく。 「や、やだ」  ユストはベッドの上で後ずさった。 「……あなたは酷い人ですね」  酷いのはフロレンツだと思う。でも迫って来る大きな体躯に体が竦む。体にも記憶があるのだ。ユストの心が夢うつつをさまよっていた間も犯され、その肉体に組み敷かれ続けた体がフロレンツに怯えている。  冷たく凍えた指先でユストはハーラントの残してくれた羽を握りしめた。  旅の間中、ため息とともにハーラントが、「おまえも肉を食えたらな」と独り言ちていた気持ちが分かる。いまこそユストは姿を変え飛んで逃げられたならと願わずにいられなかった。  ブルブルと震えている間にフロレンツはユストの側に寄って来ていた。硬く巻き付けたシーツに手をかける。 「身を委ねては心を飛ばし、心があれば私を拒絶する。あなたと言う人は本当に……」  ため息とともにシーツを剥ぎ取られた。 「なんですか? それは」 「あ……や……」  ユストはハーラントの羽を胸に抱き込む。これだけは奪われたくない。 「そんなにハーラントがいいんですか? 私ではダメなんですか? どうして?」  ユストは首を振った。  そんなことはユスト自身が知りたい。フロレンツがダメなのではない。ハーラントがいい。それだけだ。 「……もうどうでもいいですね。あなたを手放すつもりはありませんし、あなたはどうあがいても逃げられないんですから」 「待って!」 「待つ?」  フロレンツは膝をついてベッドにあがりユストを見下した。そしてにんまりと笑う。 「ああ、それを持ったままでは嫌なんですね。私は構いませんよ」 「えっ……?」 「ユスト、あなたの想いは届きません。私の想いがあなたに届かないのと同じようにね。私たちはこれ以上ないほどの似た者同士なんですよ」  クックック、と喉で笑いながらフロレンツがユストの足首を掴んだ。狩りの獲物を持ち上げるように足をあげられる。無防備に開かれた脚の間に片手が滑り込んできた。 「あ、んっ」  遠慮会釈なしに指が後孔にもぐりこんだ。 「ここはこんなにも従順なのに……」 「あ、ああ、……はあ、んっ」  ゆっくりと中を擦られると力が抜ける。  気持ちいい……。  ダメだ。そんな風に思っちゃいけない。  自分を律しようとする傍から快感が心を裏切る。 「腰が動いている」  ブンブンとユストは頭を振る。 「本当のことですよ。ほら」  フロレンツの太い指が引き抜かれていく。ユストの尻はその指を食い締め追いかけていた。 「柔らかくほぐれてヒクヒクしていますね。私のこれが欲しくてたまらない。そうでしょう?」  フロレンツはユストの足首を掴んでいた手を離すと自分の昂った雄を見せつけるように扱いた。  大きな手で握っても余る長大な雄が先端に露をにじませ、手筒の中を行き来する様は言いようもなく卑猥だった。 「これを入れて、こうして中を擦って欲しい。違いますか?」  頭の中を読まれている気がしてユストは顔を背けた。背けたとたん、散らばったハーラントの羽が目に入る。 「いやだ! ……もう、やめて」  フロレンツの言った通りだ。彼に犯してほしい。でもハーラントの羽が散らばったここでは嫌だ。 「いいでしょう。ただし、」  望みが叶えられると思ったユストは言葉を切ったフロレンツの顔を見つめた。フロレンツはそんなユストに目を細め、 「あなたが私の下から逃げ出せれば」 「そんな……」 「殴っても、噛みついても、蹴っても、なにをしてもいいですよ。自分の無力と惨めさに打ちひしがれて、自分が私の物だと思い知ればいい」 「あ! やだ、やだっ、いやああああっ!」  フロレンツはユストの後孔に雄を当てると容易く貫いた。馴染んだ体は長大な逸物を痛みなく飲み込む。じんわりと滲みるように快楽が湧いてくる。 「あ、はあん、あん」  喘ぎを殺そうとユストは唇を噛む。  ハーラント。  ハーラント。  ハーラント。  助けて。  会いたいよ。  その日、ユストが初めて鳴いた。

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