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第15話

「はい。けっこうですよ」  ルトムートに言われ、ユストは開いていた口を閉じた。 「まだ受精はしていませんね。まあ受精できるほど成熟していないと言った方が正解ですが」 「いつ、その成熟ってするんですか?」 「分かりません。この実験のために数体の人魚を調べました。でも胎を移植された人魚の雄なんて文献にも残ってませんからなあ。神殿にいけば記録ぐらいはあると思いますが」  ルトムートは悔しそうに口を結んだ。 「分かっていることは人魚は歌うこと。そのために鳴管という器官が発達するってことですな。ユスト様はまだその鳴管が出来ていないので成熟していないと思われるわけです」 「歌う?」 「人魚は歌う――正確には鳴く、ですな。それはそれは甘美な歌声らしいですぞ。その歌声に惹かれてやって来た雄と交尾して、その後は食べてしまう」 「ど、どうして食べちゃうの?」 「さあ? そのように女神がお創りになったからとしか言えませんな」 「ぼく、まだフロレンツを食べたくならないから成熟してないんだね。もし成熟したら食べたくなるのかな? それともこのまま成熟しないとかある?」 「それも分かりませんな。なんせ前例がないのですよ」 「そんなぁ……」  ユストはがっくりと肩を落とした。分からないことが多すぎる。たしかに前例がないのは分かるが、あまりにも無責任すぎやしないか。  ユストの恨みがましい視線にルトムートが怯んだ。 「いや、私もいくつか事前に実験はしたんですよ。キメラ化しているといってもキメラの一族は元は人魚の雄。有志を募って移植を行いましたが、すべて移植は失敗しました。おそらくキメラ化すると人魚ではなくなるのでしょうな」  その辺りも興味深いのですが、とルトムートはブツブツ呟いている。これ以上、このことを話題にするといたずらにルトムートを刺激するだけだとユストは思った。 「分かりました」  とりあえず会話を打ち切ろうとそう言う。だが今度はその言葉にルトムートが引っかかった。 「は? いまの説明でいったい何が分かったとおっしゃるんですか?」  好奇心の塊のようなこの医博は面倒くさい性格をしていた。 「なにも分からないことが分かったといってるんです」  いい加減イライラしていたユストもぷーっと頬を膨らませる。そんなに分からないことだらけでユストを実験台にしてるなんてまったくもってひどい話だ。  図星を突かれてルトムートは憮然とした顔をした。 「……ほかにお変わりはありませんかな?」 「ありません」 「少しお痩せになられたような気がしますが」  ルトムートはじろじろとユストを眺めた。 「気のせいでしょ。ぼく、ご飯は全部食べてるもん」 「まあ、たしかに……」  そう出された食事は全部食べている。 「フロレンツ王子のお渡りが多いせいかもしれませんな」  やれやれとルトムートは肩を落とした。 「内分泌系が整うまでお控えくださいといくら申し上げても一向に聞き入れてはくださらない……」 「それはぼくにはどうしようもないよ……」  ユストとルトムートは顔を見合わせて同時にため息を吐いた。 「なにか異変があればいつでも私をすぐお呼びください」 「うん。分かった。じゃあね」  ユストはルトムートの背中を押して部屋から追い出す。そろそろ限界だ。  パタンとドアを閉めると部屋の隅にいる獣人に声をかけた。 「ぼくお風呂にいってくるね」 「ユスト様」  彼はなにか言いかけたが最後まで聞く余裕はない。  タタタっと小走りに浴室へと駆け込んだ。小部屋ほどの広さの浴室にはトイレと風呂がある。いずれも豪華な装飾つきだ。身支度を整えるための大きな鏡が備え付けられており、湯あみから更衣までここですべて行える。  湧き水を引いて常に沸かしている風呂場の隅でユストは吐いた。食事の後はもちろん、誰かに触れられた後は必ず吐いてしまう。日に何度も吐くものだからもう胃液しかでなかった。  湯を汲んで嫌な臭いのするそれを流す。口をゆすいでようやく体の力を抜いた。 「はあ……」  ぐったりと壁にもたれる。  孕んだ雌猿たちが食欲不振になったり、吐いたりする様子を見ていたので、ユストは内心恐れ慄いていたのだが、ルトムートの見立てではまだ孕んではいないらしい。とすればこれは精神的なものなのだろう。  五感に刻まれた記憶は厄介で、忘れることができない。  毎夜、毎夜、フロレンツに抱かれ、もたらされる強烈な感覚はふいに蘇りユストを苛む。  気持ちいいことをしているんだから、気持ちよくなって当然だ。フロレンツはそう言うし、ユストの体はその通りの反応をする。ただ、心だけがそれを受け入れない。思い出しては悲鳴をあげる。  こうなると新たな刺激を肌に与えないと落ち着かない。  ユストは服を脱ぐのもそこそこに体を洗い始めた。 「……汚い……汚い……」  なんど擦ってもフロレンツがユストに教え込んだ快感は消えない。  肌が真っ赤になり、湯が染みるころようやくユストは体を洗うのを止めた。  ハーラントが馬上でユストを支えてくれた感触。靴を履いていないユストを抱き上げてくれた感覚。そうされたことは鮮明に覚えているのに、そのときどんな感じだったのか、もうユストの肌は忘れてしまっている。 「ハーラント……ぼく、忘れたくないのに……」  今夜もきっとフロレンツは来る。フロレンツにとってユストが成熟するか否かなど問題ではない。だって、成熟した瞬間に孕めるようにいつでもあなたの中に私の子種を注いでおきましょう、そう言って犯すのだから。

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