61 / 191
【14】-3
閉店時間が近づくと、ようやく客足が途切れ始めた。
嬉しい悲鳴を通り越し、本物の悲鳴を上げながら葛西が言った。
「明日からの商品をどうにかしてもらわなきゃ。本社に掛け合うから、玲ちゃん、しばらく一人で頑張れる?」
店内に人はいない。時計は閉店時間の午後八時を指している。締めの作業をするだけなので、玲は「大丈夫です」と軽く頷いた。
ふだんとは違う空気が流れる店内を回り、商品と在庫目録を照合してゆく。
ようやく人心地が付くと、急に空腹を覚えた。朝、シリアルを食べてから何も食べていなかった。
くうっと腹が鳴り、ふいに一昨日の周防の部屋でのやり取りを思い出す。
そういえば、あの男はいったいどこに消えたのだろう。人を振り回すだけ降り回しておいて。
ダイヤのきらめきを見ていると、最初の夜のことまで思い出した。
無意識に指が唇に触れる。甘い疼きが身体の内側を震わせた。
(あんなキス、初めてだったんだからな……)
そもそもキス自体、玲はほとんど経験したことがない。正直に言えば、子どもの頃に外国で交わした挨拶のようなキスしか知らないのだ。
それなのに……。
思い出しただけで心臓がどうにかなりそうなキスだった。とても忘れることなどできない。あの男は、なんということをしてくれたのか。
睫毛を伏せてため息を吐く。
じっと商品を見下ろしていると、入り口のガラス扉が音もなくすっと開いた。ショーケースに人の影が揺れ、玲はギクリとして振り向いた。
スーツ姿のサラリーマンが立っていた。
「い、いらっしゃいませ」
三十代くらいだろうか。ビジネスバッグと小さめの旅行鞄を持っている。体格がよく、顔立ちはやや濃い。どことなく横柄な印象が漂っていた。
出張中のエリートビジネスマンといったところだろうか。
閉店時間を過ぎているが、店内にいる客を追い出すことは基本的に出来ない。
「何かお探しでしょうか」
ともだちにシェアしよう!