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【14】-3

 閉店時間が近づくと、ようやく客足が途切れ始めた。  嬉しい悲鳴を通り越し、本物の悲鳴を上げながら葛西が言った。 「明日からの商品をどうにかしてもらわなきゃ。本社に掛け合うから、玲ちゃん、しばらく一人で頑張れる?」  店内に人はいない。時計は閉店時間の午後八時を指している。締めの作業をするだけなので、玲は「大丈夫です」と軽く頷いた。  ふだんとは違う空気が流れる店内を回り、商品と在庫目録を照合してゆく。  ようやく人心地が付くと、急に空腹を覚えた。朝、シリアルを食べてから何も食べていなかった。  くうっと腹が鳴り、ふいに一昨日の周防の部屋でのやり取りを思い出す。  そういえば、あの男はいったいどこに消えたのだろう。人を振り回すだけ降り回しておいて。  ダイヤのきらめきを見ていると、最初の夜のことまで思い出した。  無意識に指が唇に触れる。甘い疼きが身体の内側を震わせた。 (あんなキス、初めてだったんだからな……)  そもそもキス自体、玲はほとんど経験したことがない。正直に言えば、子どもの頃に外国で交わした挨拶のようなキスしか知らないのだ。  それなのに……。  思い出しただけで心臓がどうにかなりそうなキスだった。とても忘れることなどできない。あの男は、なんということをしてくれたのか。  睫毛を伏せてため息を吐く。  じっと商品を見下ろしていると、入り口のガラス扉が音もなくすっと開いた。ショーケースに人の影が揺れ、玲はギクリとして振り向いた。  スーツ姿のサラリーマンが立っていた。 「い、いらっしゃいませ」  三十代くらいだろうか。ビジネスバッグと小さめの旅行鞄を持っている。体格がよく、顔立ちはやや濃い。どことなく横柄な印象が漂っていた。  出張中のエリートビジネスマンといったところだろうか。  閉店時間を過ぎているが、店内にいる客を追い出すことは基本的に出来ない。 「何かお探しでしょうか」

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