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 けれど、玲の記憶はすっぽりと抜け落ちていた。その記憶がゆっくりとあるべき場所に戻ってくる。  二週間の滞在中、玲は彼に何度も会いに行った。仕事の邪魔になるからいけないと父と母に叱られながら、彼の手が空くのを待って近くに行き、その日あったこと、見たこと、感じたことを事細かに話した。  トムと呼ばれ、周囲の人とは英語で話す彼が、どこの国の人かはわからなかった。彼は玲と、ごく自然に日本語で会話をした。  甘く端整な容貌は東洋系にも見えたが、目鼻立ちははっきりとしていて掘りも深い。鼻はまっすぐ筋が通り、高かった。  長身で手足が長く、体型だけ見れば西洋人のようにも見えた。  どこの国の人であっても、美しいと評される種類の人だ。玲は彼の容姿に憧れていた。けれど、それ以上に、まっすぐな目で玲を見つめ、どんな話にも興味を持って耳を傾け、屈託のない笑顔を向けてくれる優しさに強く惹かれた。  玲は彼が好きだった。彼といるだけで幸せだった。一分一秒でも長く一緒にいたいと願った。  家族でキュランダに行った日、玲は彼のために青い蝶のマグネットを買った。ホテルに帰り、庭の噴水のそばで彼を捕まえて手渡すと、驚いたように目を見開いて、『Thank you(サンキュー)』と囁いて受け取ってくれた。 『ありがとう、玲……。すごく、嬉しい』  そう言って、チュッと短いキスをしてくれた。  初めて触れた他人の唇。挨拶のようなものだと思っても、胸がドキドキして切なくなった。  幼い恋だったのだと思う。  まわりの者は、みんな彼をトムと呼んでいたけれど、彼は、玲には正しい呼び名を教えたいと言った。 『本当はトムじゃなくて、トモなんだ』  言ってみて、と微笑む。 『トモさん』

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