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2.エシュ

 なんて完璧なコスプレ大会だ。  俺はグラスごしに大広間を眺めている。なかば感心し、なかば呆れていた。  グラスの中身は金色をした甘口の酒だ。あたりにいる人間はみな十代で、別の場所――別の世界なら飲むのを許されない年齢のはずだが、ここでは何もいわれない。士官候補生で飲酒の習慣がある者も少ないだろうが。  何が完璧かって、まずは会場だ。豪奢な広間の天井にはシャンデリアがきらめきながら揺れ、床は色の異なる大理石が複雑な文様を描いている。鏡さながらに磨かれた羽目板の上にのびる柱には花咲く蔦の彫刻が巻きつき、天辺からは本物の羊歯の緑が垂れさがる。こんなに人でごった返しているのに、空気は爽やかな夏の夜の匂いがする。  次に完璧なのは、もちろん参加者だ。俺は広間を移動しながらここに集う人々をじっくり観察する。グラスを片手にたむろしているのは、アニメキャラクターかハリウッドのファンタジー映画のような衣装をまとった人間たちだ。この世界の歴史や物語から採用された衣服。おそらく細部まで正確だろう。何しろ彼らには〈地図〉がある。  そしてこのパーティはまれに今後の進路を左右することもある――だから在校生は気合をいれて、本物とみわけがつかないほどの複製をこしらえているにちがいなかった。俺の向かいに立つ女のドレスで輝く大きな緑の宝玉も、斜め前にいる男の袖をかがる金糸も、ちゃちな代替物ではないだろう。  人間以外の姿、半獣半人もちらほら見える。フロックコートから突き出した狼の頭や、フクロウのような耳を垂らした者、巨大な飾り羽根を背中からじかに生やした者。伝説から抜け出したような異形の者たちだが、これも実際はコスプレだ。中身は俺と同学年の、士官学校を卒業したばかりの連中だ。作り物の半獣半人がここまで現実味を帯びているのは、在校生とちがって卒業生は〈法〉で効果をあたえるのが許されているからだ。  スターウォーズ。ハリーポッター。3CG……俺の頭にいくつかの単語がこだまする。かくいう俺自身も中性体の竜人の姿をとっている。もっとも今日こっそり使っている俺の〈法〉は彼らのそれより上級だった。仮装のためにわざわざ模型を作る手間をはぶいて、〈法〉でまるごと幻影(イリュージョン)をかぶせたからだ。士官学校ではこの技術を教えないが、俺の育ちはふつうの士官候補生とはちがう。俺が生まれたとき、故郷は戦争の真っ最中で、子供だろうが容赦なく高度な〈法〉を覚えなければならなかった。 〈法〉――この世界に生まれる前にいた場所なら、こういうのを何というんだっけ? そもそもここじゃ、あっちの物理法則なんて関係ないんだから、超能力とか超科学とか、それとも単に「魔法」とか。  こっちで目覚める前の俺はある種のオタクだったかもしれないが、コスプレには縁がなかったし、オカルトにも興味がなかった。しかしこの世界には所与として魔法がある。認めないわけにはいかない。ここでは当たり前のことなのだ。ボールを投げると放物線を描き、二十トンのトラックに正面から轢かれれば猫も人も死ぬ、それと同様にごく当たり前のこと。  ――また馬鹿なことを考えている。  俺のなかに潜んでいる子供の俺が文句をいう。それは今の「俺」の記憶に目覚める前の俺、十一歳のあの日までこの世界で必死に生きてきた俺だ。でも「俺」は、この子供が物心ついたときからの記憶も意識も、すべてを把握している。 「俺」はひとりだ。たとえ十一歳でいきなり二十八歳の意識と記憶に目覚めたとしても、その意識が〈法〉も〈地図〉も存在しない世界からやってきた者だとしても。  音楽が鳴り響いていた。  俺はグラスを空にして壁際のテーブルに置く。学生会のカリクが半歩横を通りぬけたが、俺だとは気づかなかった。俺は今日の竜人の幻影をつくるために父に譲られた〈地図〉を使った。死んだ父から受け継いだ指輪には、ふつうの士官候補生には扱えない〈地図〉がいくつも格納されている。  指輪に格納というのも奇妙だが、つまりゲームのアイテムボックスのようなものだ。この世界で〈法〉を使う者にとっては当たり前の道具である。もっとも俺が持っているような指輪は見たことがなかった。たいていは〈法〉道具の一種、杖に手持ちの地図を格納する。  おれはカリクの背中をぼんやりみつめる。彼は竜人の正体が俺と悟れば最後、あからさまに避けたにちがいない。学生会の連中は全員俺をうとましく思っているが、俺自身がそのように仕向けたせいもある。だがアーロンが俺を親友と公言するから、彼らは面と向かっては俺を排除できなかった。出くわせばただ避けるだけ。  俺にとっては計算ちがいだった。これもアーロンのせいだ。  竜人の翼が背中で触れあってさわさわ鳴った。この幻影をまとえるのは〈地図〉のおかげだが、これが何なのか――別の世界の物理や科学で何と呼ばれるべきものなのか、俺にはいまだにわからない。神々の教えによれば、見た目は結晶のような立法体の〈地図〉は、対象となる存在の精髄(エッセンス)なのだという。この世界の人間はこの答え以上の問いを発しようとしない。この世界では神もまた所与で絶対の存在だ。  もっとも俺は〈地図〉についてかなりちがった考えを持っている。物体を構成する情報の凝縮であるならば、それはいわば遺伝子マッ――  そのとき広間の中央に固まった人の群れが急に割れた。  俺は〈法〉のきらめきに眼をまたたく。巨大な剣を背負ったアーロンがカリクと並んでいる。去年は仮装なんて柄じゃないと嫌がっていたアーロンだが、主賓である今年ばかりはまともに仮装したらしい。あれは『ルゴス』か。神に最初に地図と法を与えられた竜殺しの英雄。もっとも世間では紛らわしいことに「竜の英雄」という。  俺の背中で翼がぴくりと動いた。幻影のくせに「竜殺し」に反応したのだろう。俺が竜人で、アーロンが竜殺しとは。偶然とはいえ皮肉なものだ。  アーロンを見かけるのは養父のルーの地方視察から戻って以来だった。向こうはどうだかしらないが、俺は故意に避けていた。  ふいに音楽が小さくなり、明かりが落とされた。中央にスポットが当たったと思ったら、カリクのアナウンスのあとにアーロンの演武がはじまった。卒業生の余興はパーティの定番だ。もっとも俺なら頼まれたってやらないだろうが、総代でくそまじめな性格のアーロンが断るはずもない。あいつはお人よしではないが、自分に振られた役割は絶対に果たすべきだと思い込んでいる。  俺なら願い下げだがな。  竜の幻影と戦うアーロンに周囲は釘付けになっている。俺は気づかれないようにそっと移動をはじめた。長身で均整のとれた体の動きがどのくらい魅力的かはよく知っている。近頃はほとんど眩しいくらいだ。俺の中で欲望と自制がせめぎあう。あいつを見たい。いや、見てはいけない。  やっぱり今日ここに来るべきではなかった――と思った。二十八歳で霞が関のハズレ者だった「俺」ならきっと無視していた。でもこの世界で育った俺にはできなかった。ハズレ者にも士官学校の日々は楽しかったし、全員が大っぴらにはめをはずせる一夜の魅力に逆らうには、十八歳の好奇心は大きすぎた。  まったく、アーロンめ。俺は内心で舌打ちする。雨季の山岳地方で、竜の交尾にあてられたあいつが余計なことをいうから、ぜんぶ元の木阿弥だ。出会ってから何年も、面倒な事態になるのを避けようと慎重にやってきたのに。  ともかく今日、あいつに接触してはいけない。生半可な仮装ではなくまるごと幻影をかぶることにしたのもそのためだ。OBでもここまで上級の〈法〉を使える者は少ない。俺は誰にも正体を知られずに済むだろう。  そしてこっそり楽しめばいいというわけだ。  演武がおわり、アーロンの周囲に人が群がっているのを眺めながら俺はまた移動する。あんなに堅物なくせに人気者とは妙な気もするが、本人は意識しなくとも華のある男だし、理知的でも冷たい雰囲気はなく、頼りがいがあると見る者に思わせる。長身で引き締まった足、肩幅は広く、体型にはまだ少年っぽさが残っているが、あと二、三年もすれば……  俺は唾をのみこんでいる自分に気づく。アーロンは踊りの輪のなかにいる。堅物のくせに踊りはうまいなんて、反則じゃないか。スターかアイドルを待つような順番待ちの列ができていた。これならあいつが俺の横に来ることもない。  安心した俺はウエイターからもう一杯グラスをもらった。それがまずかった。  二杯目を飲み干したあと、グラスを返しに広間を横切ったとき、移動する踊りの輪をかすめてしまった。踊り手が交代するタイミングで、俺の眼は無意識にアーロンの位置を追った。それがもっとまずかった。彼が俺を――竜人を見た。 「失礼」  竜殺しのルゴスが俺の前に立つ。おいおい、どうしたんだと俺は思う。順番待ちがいるじゃないか。いつものおまえなら役割をまっとうするんだろう?  それなのに俺は断れなかった。アーロンの手をとりながら大丈夫だ、と思う。あいつが見ているのは竜人であって、俺じゃない。  案の定、アーロンは気づかなかったようだ。優秀な彼も俺の〈法〉のレベルはまだ見抜けないのだろう。 「先輩!」  割りこむように声をかけてきた学生会のセランに俺はそっと場所をゆずる。少しほっとしてもいる。セランが声をかけなかったら、もの言いたげな顔をしているアーロンを振り切るなんて俺にもできなかったからだ。困ったものだと俺は思うが、苦情をいいたいのはアーロンではなく、この世界の「神」とやらだ。俺が何度軌道を修正しても、結局うまくいかないのはきっとそいつのせいなのだ。今だって、俺はあいつを待つ列になんて並んでないのに、わざわざ寄ってくるとは、いいかげんにしろ。  アーロンのことは……嫌いじゃない。いや、嫌いなんてもんじゃない。現世で立派なゲイだった俺にとって、性別の違いが恋愛にもセックスにもほとんど関係がないこの世界はありがたいものだが、アーロンを前にするとそうもいかなくなる。あいつにだけは近寄らない方がいい――近寄りたくない事情があるなんて、まったく皮肉としかいいようがない。  人生というのは何が起きるかわからない。そもそもこの俺の生はいったい何なんだろう。セランと話すアーロンからじりじりと後ずさりながら、俺はときたま頭をよぎるいつもの考えをもてあそぶ。日本? 転生? 神のお告げ? それが全部実際に起きたと思っている時点で、俺はただ単に、頭がおかしいんじゃないのか。 「先輩、一緒に像を残して欲しいんです……」  セランはなかなかの美形だし、アーロンと並ぶとじつに絵になる。「撮るぞ!」という声と同時にセランがキスを迫ったので、広間の客はどっと沸いた。  俺は視界の隅でふたりの重なった顔をとらえた。みるからに下手くそなキスだった。真面目一辺倒のアーロンはもとより、学生会の連中は遊びが足りない。でもまあ――絵になるのはむしろこっちかも。俺はさらに後ずさる。バーとビュッフェは広間につながる部屋に用意されている。もう少し強い酒が欲しかった。 「竜人の仮装とは珍しいね」  カウンターにもたれたまま蒸留酒を啜っていると、隣で誰かが声をかけてくる。俺は横を見て、さらに上を見る。金髪のひょろ長い背丈の男。あきらかに年上だが年齢がよくわからなかった。おまけに整った顔立ちでも体のバランスが奇妙すぎる。と、男の膝がかくんと曲がった。  俺はまばたきをして、笑い出した。なんとまあ、竹馬――のような、高足の靴を履いているのだ。 「その仮装も珍しいな」 「そうかな? 多くの人は忘れているが、かつてはこんな妙な足を持った竜がいた。人間が絶滅させてしまったが」  男は話しながら膝を曲げ、足に履いた装具を取り外し、ゴトンと音を立てて床に置いた。平均的な高さに金髪が下りてくる。 「でもどうしてそれを?」好奇心にかられて俺はたずねた。 「高いところから見下ろすのが好きなのさ」  男はあっけらかんといった。 「それにいくら仮装舞踏会といっても、踊りたくないからね。この背丈ならまず申し込まれない」  俺はまた笑った。変なやつだ。 「OBなんだろう。去年も来てた?」 「さあ、どうだったかな。今夜は……たまに狩りも悪くないと思ってね」  俺たちは眼を見かわした。  視線だけでつなげる会話というものがある。  自慢じゃないが俺はエキスパートといっていい。何といってもこの世界に生まれる前の経験値がある。その趣味のある男たちしか集まらない夜のバーや、クラブDJが鳴らす音楽の合間に、柱の陰で見かわす視線。からみあい、うなずきあう。  ちがう世界になろうとも、この先行く着くところはほぼ同じ。ベッドの上だ。  今夜は大っぴらにそれをやっても誰もとがめない。堅物のアーロンがどう思っているかはいざ知らず、このパーティが「狩りの夜」と呼ばれるのは伊達ではなかった。在校生にとっては軍大学へ行くエリートへ堂々とアプローチできる機会だし、OBは青田買いや冷やかし暇つぶし、さまざまな目的でやってくる。全員がハンターになりうるし、獲物にもなりうる。  だいたい、士官学校で叩きこむ「倫理と道徳に縛られた清廉潔白な帝国」の(イメージ)が、どこまで幻影(イリュージョン)でないといえるのか。帝国は欲望の交差点で、人々は欲望とシステムの交点(ノード)をさまよっている。  俺はひねくれているのだろうか。  金髪の男とならんで館の奥へ歩きながら俺は自問する。の人生の経験値の影響もあるし、この世界での俺の生まれ育ちのせいもある。それにもうひとつ――俺にはどうしても振り切れない、外からの因果への干渉としか考えられない、何かの力のためかもしれない。  館の上階は広間とちがい煌々と照らされてはいなかった。暗がりに早々としけこんでいる連中もいるようだが、人のことはいえない。俺は金髪の男の腕をつかみ、サンダルを脱ぎ捨てる。ベッドの天蓋から薄布が垂れさがっている。男の唇が正面から近づくのをかわすと、なぜか笑われた。 「おやおや。竜人のキスは貴重品らしいな」  俺は肩をすくめる。幻の翼がシーツの上で曲がり、折れる。 「上と下、どっちがいい?」 「急ぐのは好みじゃなくてね」  男はまた笑った。「狩りの夜は長いよ」

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