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第1話
ホワイトボードに大きく書かれた売上結果、『名取』と書かれた場所にあらかじめ手に持っていたマグネットをペタリと張りつける。きっと今月も彼が売上ナンバーワンになるのだろうと思いながら、優月は他の場所にもマグネットを貼っていく。
都内某所にある、中堅のデザイン会社。そこが優月のバイト先だ。
就職難なこの時代、手堅く職にありつけるには簿記や経理が必要だろうと思い、簿記関係が学べる経営の専門学校に入り、そろそろ就職活動の声が聞こえ始めた頃、担任から臨時バイトをしないかと声をかけられたのがこの会社だった。
インターン先がそのまま就職に繋がることも多いし、名の知れたところに入れるのなら自分の経歴の箔もつく。そう思ってすぐ担任に紹介状を書いてほしいとお願いしに行った。
バイトとはいえ、大事な仕事を一介の学生にさせるわけではなく、会議用の資料の作成や雑用と地味なものばかりだったけれど、あまり人と話さない淡々とした作業が性にあっている優月としては有り難い仕事内容だった。。
バイト期間は二週間という短い期間だったが、地味にコツコツと片付けをしていたのが総務の偉い人に気に入れられたらしく、そのまま働かないかと声をかけられた。
早く就職先を決めたかった優月には願ってもない申し出で、即決に近い形で返事を出した。
そして猫の手も借りたいほど総務に人がいないということで、そのまま卒業まではアルバイトとして会社の一員となったわけだが、あくまでもアルバイトで正社員としてではないので、臨時バイトの時と同じような雑用がメインだが、顧客管理や発注に関しての書類の作成の手伝いというものも少しずつ任されるようになり、たまに人手がなければ展示会の手伝いや撮影のアシスタントなどにも駆り出されている。
なるべく若い優月にデザインの現場の楽しい空気を経験させてあげたいという優しさからの仕事内容なのだが、出来れば外には出たくないので人があまりやりたがらない、地味な仕事を請け負っていたいというのが優月の本音だ。
基本、プライベートでもパソコンの前にいることが多い優月はどちらかと言えば『コミュ障』とか『陰キャ』な性格で、出来れば人とあまり話したくない人間なのだ。
だったら経理関係ではなく、プログラミングの方でもいいのでは? と周りには言われたけれど、英語があまり得意ではないのであのプログラミングの羅列を延々と見ていられる自身がないので自分の中から却下した。
ゆくゆくは税理士の資格が取れるくらいの実力とスキルを見に付けるのが今の優月のささやかな夢なのだが、コミュ障を直さないと難しいだろと専門学校の教師にまで言われているので在宅で出来るような経理の仕事はないかと模索するくらい対面が苦手だ。
その引っ込み事案な性格は本人の身なりにも現れている。
前髪は顔を隠す様に長く、さらに表情を悟られないようにバリアー代わりの黒ぶちの眼鏡。そして性格を表すような猫背ときたら、人が離れていくのは当たり前で。
バイト当初は与えられた仕事をひとりで黙々と仕事をしている優月に気を使って、ランチに誘ってくれたり話しかけてくれていた社員たちも、だんだんと好きでひとりでいることに気付いてくれ、正式採用された今でば殆どの人間が必要事項以外は声をかけてきてくれなくなった。
――そう、ただひとりを除いて。
「はぁ……だから、なんで僕なんですか?」
面倒臭いというオーラを隠しもせずに、優月の目の前にいる男を見上げる。
名取虎次郎という、名前だけ見れば格闘技でもやっていそうな強そうな名前だが、その名前に反して甘いマスクとすらりとした均整の取れた身体付き。間違いなくイケメンと言われる類に入るだろうし、デザインという華やかな業界に似合う華やかな容貌をしていて、本人に直接聞いたわけではないが、噂では昔モデルをしていた関係でそっち方面に顔がきくというような話も聞いた。
実際、彼が取って来る仕事は芸能関係からのものが多いらしく、どうしても勝ちとりたい大きいコンペのチームにも必ず彼は入っている。
ラフな服装からスーツまで、どんな服も着こなす様はモデルかと見間違われるほどだし、細やかな配慮もできるので女性社員からの信頼も厚い。
モテ要素満載なのに、そんな名取が内部の女性社員からは恋人対象として見られていないのには、原因がある。
「だって、あんたが一番こういう仕事に興味がなさそうだから丁度いいのよぉ。あと、目上の者に対してその口の利き方はないって何回教えれば覚えるのかしら!」
こめかみの辺りに拳骨でグリグリとされ、慌てて身を引く。
「いたたたたたっ! パワハラ反対……っ!」
「犬と一緒で口で言って分からないのなら、体に教えるしかないでしょう?」
そう、このオネエ口調と態度。
この歯に衣着せぬ物言いは裏表がなくていいのだが、なまじ綺麗な顔で辛辣な言葉を言われると堪えて倍ぐらい心に刺さると専らの評判だし、観賞用や友人としては良いけれど、恋人となると自分よりも女子力が高い男は面倒くさいと判断されているようだ。
もちろん、営業ではこの本性を全力で隠し、会社の利益となる為に最大限に自分の魅力を生かしているため、得意先の女性社員の中には彼のファンがとても多いらしい。
本気を出せば相手は男でも女でもよりどりみどりな名取なのに、臨時バイトで初めて顔を合わせてからあまり接点もないのに、ここのところなぜかこうして優月にちょっかいをかけてくる。
理由を聞いたことがあるのだが、『あんたはアタシに興味がなさそうだから』と言われた。
顔もよくて自信に満ち溢れている人間の考えていることは理解できないけれど、顔が良い人は顔が良い人なりの苦労があるのだろう。けれど、新人でしかもバイトの優月でなく他にも名取に興味がない人間は社内にいるはずなのに、何故に白羽の矢が立ったのかやはり分からない。
そう思いながらも仕事だから従うしかなく、名取の後ろを俯きがちでついていくと、いつの間にか歩幅を合わせて隣を歩いている男に背中を思い切り叩かれた。
「アタシより若いんだから、もっとシャンとしなさい! そのダサい格好は人それぞれポリシーもあるだろうしまだ学生だからとやかく言わないけど、猫背は健康に良くない、ダメ絶対!」
「……オカンかよ」
思わず口からこぼれた言葉に、名取がにっこりと良い笑顔になる。
「うふふ、アタシをオカンと言うほど慕ってくれているってことかしら? だったら、もーっと厳しくしても文句は言わないわよね。まずは服を全部燃やすところから始めてみる?」
「す、すみませんっ! 直します、猫背、直しますっ!」
この人ならば本気で優月の部屋に来て服を燃やしかねない。逆らえないオーラに負け、背筋を伸ばしてしまった。
「うんうん、そうやって姿勢が良ければ少しはマシに見えるわ。本当はその長ーい前髪とかも切りたいんだけど……」
「こ、これは……」
前髪に注がれた視線をシャットダウンするように手で隠す。
これを切られたら、きっと外を歩けない。きっと今の長さに戻るまで家から出なくなる気がする。
そんな必死な態度に何かを感じたのか、名取は肩をすくめた。
「隠されると余計に見たくなっちゃうけど……今からの仕事でポカやられたら困るし止めておくわ」
「あの……今日の現場ってそんなに大変なクライアントなんですか?」
「大変も大変、アタシが全身全力で勝ち取った新規のクライアント。今回の出来によって今後の付き合いがあるかどうかそれが今日にかかってるの」
「ひっ……何を考えてるんですか? そ、そんな大切な仕事に素人同然の僕を同伴させないでください!」
「大丈夫、あんたの活躍なんて期待してないから。この間みたいにアタシに言われた事だけこなしてくれれば問題ないわ」
それも賃金が発生している身として、そんな労働内容でお金をもらっていいのかどうか迷うのだが、上司である名取がいいというのなら良いのだろう。
「ふふ、あんた今酷いブスな顔してるけど、現場に行ったらきっとアタシに感謝するわよ」
意味深な発言をしながら名取は颯爽と街中を歩いて行く。
歩幅の差があるせいで遅れないように必死で足を進める優月は、その意味を考える余裕すらなかった。
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