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第2話

 連れてこられた現場は、何度か優月も連れて行かれたことのある都内のスタジオだった。  顔を見たことがあるカメラマンがいるということは、何かの撮影のようだ。 「優月、こっち」  いつもあんた呼ばわりされているので、名取から名前を呼ばれて知っていたのかと少し驚く。 「……名前、知ってたんですね」 「あんた、アタシの仕事なんだと思ってるの? 営業職をやっていて知り合った人間の名前と顔が一致しなきゃ仕事にならないでしょ」 「それでも、普通名字呼びじゃないですか。なんで名前呼び……」 「小川って言うより、優月って言った方がアタシが楽しいから。良い名前じゃない。アタシなんて虎次郎よ。美しく産んでくれたことは親に感謝しているけど、名前に関しては未だに恨んでるわ」  頬に手を当ててため息を吐く姿を見た女性スタッフが、目をハートマークにしそうな表情で見惚れている。  普段、綺麗な人間なんて見慣れているだろうに、そんな人たちの視線さえ釘づけにしてしまうようだ。  彼の隣にいることに劣等感を感じ、距離を取ろうと横へスライドするように足を動かそうと踏み出すのと同時に、名取が口を開けた。 「そろそろ始まるみたいね」  入口付近が騒がしくなり、大勢の人がスタジオへと入って来る。  さて、今日の仕事の種明かしはどんなものなのだろうと顔を向け、すぐさま口に手をあてて声が出ないようにした自分を褒めてやりたい。 「レオ様……っ! それにモ、モネ……うわ、ゴッホもダリもいる……」  優月がバイト代をつぎ込んでいるソシャゲのキャラクターの推したちが具現して目の前にいる。  塞いだ口から零れた言葉は笑えるくらい震えていた。 「やっぱり……キュレーターだったのね、あんた」 「……っ! な、なんでそれを……」  優月がハマッているソシャゲは絵画に命が宿り、世界を滅ぼす力を持ってしまった世界。主人公であるキュレーターは、絵画の生みの親である画家たちと力を合わせ絵画を元に戻していくという内容だ。  キャラクターである画家たちはとても魅力的で爆発的に人気があがり、その中でも看板的な存在はレオ様こと、レオナルド・ダヴィンチ。舞台で彼を演じる若手俳優も将来有望な実力者で、この役を機に更に注目を浴びるようになっているし、美術館はゲームに登場した絵画を展示する特別展をするようになったり、ゲームの内容を取り入れた彼らを題材にした舞台も、ものすごい倍率のプレミアムチケットとなっている、今一番人気のあるソシャゲだろう。  ただ、その舞台に行く大半は女性が多く、優月のように男性の客は少ないのでゲームはやっていても舞台にまで通っていることは友人にもあまり話してはいない。  バイト先でも話題にすらしたことはないのに、名取はどうして見抜いたのだろうか。 「あんたがいつも使っているボールペン……あれ、モネのモチーフだったでしょ。バイト当日に見て、もしかして……って思ってたんだけど、アタシの予想は当たったようね」  名取に指摘されたボールペンは一輪だけ睡蓮の花が描かれている、どこにでもありそうなシンプルなデザインのボールペン。  睡蓮は言わずと知れたモネのモチーフで、ゴッホはひまわりと言ったように各キャラクターには花のモチーフがあり、それがキャラグッズとして展開されているのだが、男の優月が持っていてもおかしくないデザインなところも気に入っている。 「あ、もしかして……このデザインの仕事もしてたんですか?」  それならば名取が知っているのも納得できる。  けれど、その答えに関しては首を横に振られた。 「今回の仕事、やっと勝ち取ったって話したでしょ。グッズ周りも今回が初めてよ」 「え? それじゃあ何でそんなに詳しい……って、仕事先ですもんね。調べて知ってて当 然……」  そこまで口に出してふと首を傾げる。  ボールペンでファンバレしているのならば、どうして優月を現場へと連れて来たのだろうか。  公私混同されたら困るだろうし、極力外すのが普通のはずだ。 「……優月の推しはモネなの?」  突然の質問に反応が一瞬遅れる。 「え? あ、は、はい……」 「レオ様って言ってたからダヴィンチ推しかと思ったのに。違うのね」 「あー……レオ様はなんかこう孤高の存在って言うか、殿堂入りっていう感じなんで」 「なるほど、一理あるわね。それで? モネ推しなのはキャラクター? それとも俳優推し?」  さっきよりも圧迫感が強まったような視線に、優月は再び名取から一歩横へ移動する。  横並びに並んでいるのに、何故にこんなに近いのか。 「え、ええと……俳優って、映太のことですか? いいですよね、映太。この舞台シリーズで知ってから、他の芝居も観に行くようになったんです」  俗に言う、俳優沼というやつにどっぷり浸かりつつあるのだが、そのお陰で今まで出不精だったのに劇場に行くようにはなったし、その芝居の題材を調べたりするために勉強したりすることは嫌ではない。 「……映太、杉本くんではなく、映太呼び」  美形の真顔は怖い。しかも、いつの間にか撮影が始まっているのでスタジオ内は真っ暗で、うっすらと顔にかかっている光が陰影を作って余計に迫力が出ていて怖さ倍増だ。  俳優を名前呼びしただけで今にも説教されそうな気配なのが優月には理解出来ない。  これはもしや同担拒否的な意味合いなのかとふと思った。 「あの……もしかして、名取さんも映太推し……なんです?」  恐る恐る聞いてみると、名取の切れ長の瞳が大きく見開き、手を握られる。 「ひ……っ!」 「まさか職場に同志がいるとは思わなかったわ……」 「す、すみません! 名取さんが同担拒否なら一切喋りませんから!」 「あら? アタシはそんな心の狭い人間じゃないわよ、むしろ逆! 同担ウエルカム!」 「え……?」  じゃあ、あの鬼気迫るような空気はなんだったのだろうか。 「モネのボールペンを持っていたけれど、キャラが好きで役者も好きかは分からなかったし。もし、レオ様役の望月くん推しとかだったら役者推しっていうよりは、ドルオタになるでしょ? 話が合わないかもとか心配してたの」  ダヴィンチ役の望月は有名なアイドルグループの一員で、この舞台がプレミアチケットになっている原因のひとつでもある。  傍から見ればドルオタも俳優オタも同じオタクくくりかもしれないが、当事者から言わせてもらえば全く違うもので、話が微妙にかみ合わないのだ。 「でも僕、完全な俳優沼っていうよりはゲームからの派生なんで……話してもそんなに面白くないと思いますんで……」 「いいのよ、無理に話そうとしなくても。アタシのこの心に満タンになっている映太への萌えを聞いてくれる人が欲しいだけだから!」 「ソウデスカ……」  思わず無機質な返事になるくらい、呆れてしまった。 「ずっと欲しかったのよね、同担で萌えを聞いて欲しい時にすぐ聞いてくれる人! ほんとアンタがうちにバイトに来てくれてラッキー。ふふ、これからはプライベートでも仲良くしましょうね」 両手で包まれるように手を握りしめられ、思わず肩が跳ねあがる。  絶対に逃がさないと伝わってくる名取の手の熱さに横目で撮影待ちをしている役者たちを見ながら、『助けてモネ様』と心の中で呟いた。
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