2 / 3

Shower of Kisses

  食器を洗う音が好きだ。 まだ眠たい時間にガチャガチャと洗い物が始まる。水の音と食器を重ねていく音。そして食器棚に片付けられていく音。その音の中に確かに一路は存在している事を目を開けなくても確かめられる。  眠りに就くのも、朝目覚めるのも落ち着かなくなったのは3年前から…。自分が眠っている間に隣にあったはずの温もりが消えてしまうのでは無いかと気が気ではなくなった。一路のか弱い心臓はいつ止まってしまうか分からない。些細な刺激で失われてしまいそうで、Aidanはいつしか一路以上に神経を巡らすようになっていった。  素直に、一路のことを愛しいと思う。自分の秘密を曝け出した状態でここまで人と関わったのは両親以外には居ない。一路はAidanが人の生き血を吸う化物だと知っても接し方に変化を見せず、ただの一度もその事で軽蔑したことなど無かった。無防備すぎる程、当たり前のように人として接してくれている。Aidanはそれがとても有難かった。一路と居る時だけは本当の意味でありのままで居られる。渇きの症状が出て取り乱した時も一路は冷静でいてくれた。自分の体を巡る薬の成分を気にしながら、飢えたヴァンパイアの為に、自らの掌を裂いた一路の姿を忘れる事はない。  一路は素っ気なく愛想もない。口も悪くて憎まれ口ばかり叩いてくる。人に好かれやすい性格のAidanにとって、他人にそのように扱われるのは、稀なことだった。けれど言葉と行動は常に裏腹で、一路はAidanを甘やかして尽くしてばかりいる。突き放しているようで、とても愛情深い。 一路は特別顔が良いわけでもない。身体は病のせいでいつも窶れている。そして薬の匂いを常にまとっている。なぜこんなに惹かれるのか不思議に思うこともある。然し、一路の隠された儚い色気はAidanを誘惑し欲求を煽ってくるのだ。Aidanにとって一路は、最高のパートナーだと今なら胸を張って言える。  一路の命の期限が短い事は分かっている。 なのに、こんなにも愛しく大切だった。迫ってくる別れの時が恐ろしくて仕方がない。いつまで側にいられるのかAidanはそればかりが気掛かりになった。出来る事ならいつまでもこうして幸せな時間を一路と送っていきたい。そう切に願うようになっていた。 「一路、少し休んだほうがいい。何時から起きてた?今日は定休日だろ?」  シャワーを浴びて寝室に戻ってきた一路の腕を掴んで、Aidanはベッドに引き戻す。 「さっき起きたばかりだ…もう十分眠っただろう。どれだけ寝腐ってるつもりだ…」  ウザったそうに息を吐く一路に構わずタオル一枚隔てた体を毛布の中に抱き込んでいく。 「薬は?」 「飲んだ」  何かの合図のようにいつものやり取りを交わす。風呂上がりの白い首が、無防備のまま目の前をちらつく。堪える気もなくむしゃぶりついたAidanの頭を、一路が片手で乱す。 「よく飽きないな…」  この呆れた物言いもいつもの事だ。そう言いながら一路はベッドの上の戯れを嫌がった事が無い。  初めてAidanが一路に触れたのはクリスマスの日だった。とにかくお互いとても忙しい日で寒い寒い朝方にようやく帰宅した。ケーキもチキンもプレゼントもない。冷えた身体を温めるのに何とか風呂に浸かって、湯冷ましのミネラルウォーターを二人で分け合った。言葉も交わさずただそれだけ…のはずだったが、気が付くとAidanは一路をソファに押し倒していた。何気なく一路の濡れた黒髪に触れたくなった。ほんのり上気した頬の温度を探りたくなった。しっとりと倦怠感が全身を満ちていて、なんとも言えず火照っていた。冷え込む中で風呂に入ったせいなのか、内から湧いた熱だったのか分からないまま、Aidanは一路の細い首に顔を埋めたのだった。一路は何も言わなかった。拒絶もせずじっとしていた。Aidanの昂りを知ってもうっすら笑むだけでゆっくりと瞼を閉じた。今も変わらない。  一路の心臓に負担にならないようにAidanは慎重に一路の身体を愛撫する。加減がとても難しい。焦らし過ぎても一路を疲れさせてしまうし、急に刺激し過ぎても、高ぶり過ぎて苦しくさせてしまう。一路の呼吸に合わせて敏感な部分を優しく撫でていく。患っているとは言え一路はまだ20代でとても若い。反応は素直ですぐ熟す。乱してしまわないように気を付けながら、一路の深い所を探っていく。薄く開いた唇から微かに漏れる一路の声が好きでAidanはいつもついつい口付けたくなる。幻惑作用のあるヴァンパイアの体液が一路の身体に入ったら、心臓にどんな負担がかかるか分からない。それ故にAidanは一路とキスをしたことがない。セックスもいつも薄いゴムの膜で互いを隔てている。ゆっくりと重なり合って、深く繋がり合う。それだけでも満たされてしまう。一路の身体の中が、Aidanの熱を求めてビクビクと震えているのが、ごく微かにAidanの中心に伝わってくる。それが堪らない。一路に激しく性欲をぶつける事は出来ない。嵐のような快感を求める事も。荒らげぬように緩やかに感覚を擦り合わせる静かな交わりが一路との愛し合い方だった。  Aidanの緩慢な揺さぶりに一路が応じて、包むように愛しいヴァンパイアを四肢で抱き締める。興奮から冴えるAidanの赤い瞳を一路がじっと見つめる。一路から浴びせられる拙いキスを顔に受け、Aidanはこの上ない幸福感に苛まれるのだった。  外には雪が降っている。 思えばその日は朝からとても冷えていた。一人で冷え切った外を歩いていた一路は苦しくはなかっただろうか…。Aidanはそんな事を思い返す。 自宅のベッドの上で共に帰宅した一路をぼんやりと眺めていた。  クリスマスが近い。ケーキもチキンもプレゼントも、実は予約してある。カレンダーには明後日の一路の通院の予定が書き込まれていた。姿が変わり果ててしまった一路は、あれからも全く目覚めない。病院から引きずってきたチューブを一つずつ全て外してやる。一路の細くて白い首元にも無惨な青アザが滲んでいる。Aidanはそこに顔を埋めた。一路は何も言わずじっとしている。ただ、瞼を閉じたまま呼吸すらしていない…。すっかり冷たくなった一路の身体を毛布の中に抱き込みながら、Aidanは風呂が湧くのを待っていた。二人で温まったら、また一緒に冷たいミネラルウォーターを飲もう。  Aidanは真っ青な一路の顔にキスを落としていく。Aidanの固まった血液で汚された唇にも…。 寝室の向こう側で給湯器の電子音が鳴る。止まないキスを浴びせられながら一路の四肢がようやく愛しいヴァンパイアの体をゆっくりと抱き締めた。 shower of kisses END

ともだちにシェアしよう!