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朝生【受け】
俺をベビーベッドに乗せて、便器を抱えるようにして吐き続けるバカを見る。
こうなっているのは自業自得だ。
αとして傲慢な立ち振る舞いを続けていた俺は、最近になってしっぺ返しを食らった。
順調で普通な大学生活だと思ったのにまさかの状況だ。
俺をぬいぐるみに入れて、どこにでも一緒に移動するバカ。
気が狂っている片梨 のことをずっと地味なβだと思い込んでいた。それこそが、全ての間違いだった。
そこそこ体格も良いので荷物持ちとして遠出するときに便利に使っていた。
αにとってかわいいβを性欲処理の穴だと思うのは普通のことだ。
聞き分けの良いβを自分の駒のように使うこともαにとっては常識だ。
少なくとも俺以外のαは当たり前に人を使っている。それを権利だと思っていた。学園のある地域がαを特別優遇している風土だということもある。自分は土地のルールに順応している、その驕りから、好き放題していた。片梨という人間を見ていなかった。危機感が足りなかった。
Ωと違って万が一にも孕んだりしないβ。
俺たちαからすると性欲を処理する相手として最適だ。
とくに下半身がゆるいβ女子は一定数キープしているのはαとして当然だった。
飲み会もバーベキューも興味はない。
けれど、下半身ゆる子がもっとゆるゆるになるので、積極的に参加していた。
人並みに性欲はあるので、食べられるときは食べておこうと思っていた。
片梨はその際にいつもセッティングを任せていた。
他の奴らがそうしているように股ゆるβ女子のおこぼれに預かるのかと思えば、そうじゃない。片梨は頼んだことをきちんとやりきるだけの裏方の作業スタッフだった。潔癖なのか性欲に溺れる男女に混じったりしない。
何の得があって俺と一緒に居るのか分からないヤツだ。
これが最初の違和感だったのかもしれない。
必要以上に無欲な人間は腹にイチモツ抱えている。そう構えておくべきだ。
なんでもやってくれる片梨とつるんでいるのが楽になって、俺は女遊びから距離を取った。
ヤるための穴とはいえ表面上は、βを見下すことなんてしていませんという顔をする。
君が魅力的だからつまみ食いをするという合意の雰囲気を作り出すのは、面白いゲームだと感じるときもあれば億劫になる日もある。
性欲が控えめな時にすら求められて煩わしいこともあるので、総合的に片梨と二人でいるのが一番気楽だった。
αとしての妙なプライドから、俺は堂々とβである片梨と遊んでいるのが楽しいとは言い難くかった。上下関係のようなものが出来ていたので、今更、友情や親愛などを伝えても嘘くさいと思った。他人に片梨と一緒に居るところを見られたくないと思った。すると、地方に二人で旅行することが自然と増える。
日帰りでも無理な日程でも片梨は付き合ってくれた。
結局は俺に甘い。
そんなところが気に入っていた。
俺の父親はβだ。
そのせいか大学にいるα至上主義のαたちとは馴染めない。
俺の周りにいるβは片梨以外は子分気質が多かった。
αなら俺じゃなくても構わないという本音が透けているβ。
片梨のように俺を利用することのない相手は珍しかった。
一方的に友情を感じていたのかもしれない。今まで深く人と付き合っていなかったので、上手く距離がつめられない。自覚がありながら、他人の目がある場所で片梨と会話をすることを避けての旅行。
認めてしまうと恋愛感情はともかく親愛の情を俺は片梨に持っていた。
手足を奪われ、当たり前のように尻を犯されるまで、俺は片梨ならずっと一緒に居られる友達になれると思っていた。
片梨の言い分では俺は番だからΩだという。
頭がおかしくなっている人間の言い分を聞く必要はないのだが、取り乱すあいつが哀れで無視できなかった。
失敗らしい失敗は、片梨の家に行ったことだ。
あいつの父親がβであることは知っていた。
俺の父親だってβなので、何も気にしていなかった。
それが悪かったのは間違いない。
俺の顔を見て片梨の父親は俺の父親の名前を聞いてきた。
どうも、俺たちの父親は小中高と一緒に過ごしていたらしい。
これに関しては偶然だと信じたい。あるいは、片梨だけ、何も知らない。片梨はただ俺のことを好きなだけだろ。そこに嘘はないのは信じられる。手足がない人間を投げ出すことなく面倒を見続けている。三日で飽きたり手に負えなくなり、宅配便で病院か警察に届けられると思っていたので意外だ。
ぬいぐるみの綿をマシュマロに変えるとかいうバカげたことをしたが、俺が嫌がったらやめてくれた。
ぬいぐるみに話しかける奇行を気味悪がられても、一切気にしない。
周りが「うわ、こいつヤベー」と当たり前のことを大声で言っている声がぬいぐるみの中で聞いていたが、そんなことで片梨は傷つかない。あいつが傷つくことは、きっと現実を知ることだ。
まるで夢の中にいるかのように熱に浮かされ狂った言葉を繰り返す。
現実が見えていない片梨に同情するしかない。
手足の手術後に痛みで泣いたり叫んだり情緒不安定になった俺をひたすら抱きしめて慰めた片梨。
片梨のせいなので、マッチポンプだ。
火をつけて消火している自作自演の一人芝居。
俺は日常生活もままならず最低最悪の状況に落とされた。
憎んで嫌ってしまえばいいのだが、傷の痛みが引くと片梨を哀れんでしまう。
短気を起こしたバカは、バカなりに責任を取って俺の面倒を一生見ようとするのだろう。
脳内に刻まれた番 論を盲信して、自分の父親の言葉を受け入れることもなく、俺との絶対的な絆を求める。
片梨の父は俺が五体不満足になった姿を俺の父に見せた。
妹と母が死んだことも教えられた。
父親たちは幼なじみで恋人関係であったという。
βの男同士という非生産的な関係だが、俺がαでありながら使う機会のなさそうなペニス持ちなのでツッコミは入れられない。
父の修羅場などこの世で一番見たくないし、見ないでいいものだと持ったが、俺の眼前で父は股を開いた。
βだと思い込んでいた父親はΩだった。
ローションもなく濡れている秘所を見せつけられると理解してしまう。
片梨の父は俺が誰とも知れないαの子だと口にした。
βである母ではなく、Ωである父が俺を産んだ。
相手の分からない望まぬ妊娠。それも生まれたのがαであったことで、俺を育てると国から補助金が出る。その上、働き口を紹介してもらえたという。αの不始末はαがとるのは、よくある話だ。
父の失踪で片梨の父は富豪の娘と結婚して片梨を産ませた。
一方、新しい職場でβの母と知り合い結婚する父。
俺のことは二人の子供として育ててくれた。
両親に感謝の気持ちが強まると改めて片梨が置かれている状況が哀れだった。
片梨の母親は片梨を産んでしばらくして亡くなったらしい。
ずっとずっとさびしかったのだと手足がなくなって発狂しそうな俺に自分の生い立ちを話す片梨。
自分がつらい時に聞かされたところで「うるせー、死ね」以外の言葉を返せなかったが、俺を人質にして父と復縁をしたがる片梨の父親の酷さを思うと同情するしかなかった。
はるか昔に終わっているべき恋を未練たらしく引きずって、愛を理由にして全てを台無しにしている。
これは、片梨にも言えることだが、手足の痛みがおさまると責め立てたい気持ちも消えてしまっていた。
『俺のΩが番になってくれない。きっと俺がβなせいだ。ずっと、そう思ってきた』
片梨の父親はそう言った。
俺は同じ言葉を片梨からも聞いていた。
そこでやっと本当の答えに辿り着いた気がした。
片梨はずっと父親から本当に愛しているΩがいると聞いていたのだろう。
亡くなった母のことを父が愛していなかった事実は片梨を傷つけたはずだ。
さみしいと泣きじゃくっていた片梨のことを父親は知らないのか、知っているから俺をこの姿にすることに力を貸したのか。
片梨は俺がこの姿になった時に飛び跳ねて喜んでいた。
頭に血が上って片梨を恨んで罵っていたが、思い返すと父親が自分のために行動してくれたことが嬉しかったのだろう。
真実は息子のためではなく自分の欲望のためだ。片梨の父親は俺の父親を脅すために俺の悲惨な姿を見せつける必要があった。会社を大きくしたのはαに股を開いて媚を売ったからだろと責めていたのを覚えている。
片梨の父は愛情と憎しみが一体化して膨らみ続けていた。
こんな怪物が父なら片梨も頭がおかしくなって仕方がない。
片梨を責めたところで、俺の状況がよくなるわけでもない。
愛されたいだけの大きな子供だ。
『俺のΩが番になってくれない。きっと俺がβなせいだ』
俺を犯しながら、片梨はそう口にしていた。
ときおり、泣きながら「僕を許して」と言っていた。
現実は何重にも優しくない。
散々吐いた後に片梨は薬を取り出す。
抑制剤だ。発情期をおさえる薬はβには必要のないものだ。
決められた量よりも多く飲んでいる片梨は完全にΩとしてのフェロモンを感じないが、Ωだ。
Ωだと感じたのは薬を飲んでいるからという理由じゃない。
俺が両手足を奪われて、犯されて、支配されるというαとしての尊厳すべてを打ち砕かれてもなお、片梨を嫌い切れないことだ。同情して、バカさ加減に愛おしさすら覚える。現実の見えてなさを軽蔑するよりも哀れみたくなる。
抑制剤の飲み過ぎは判断力を落としてしまう。
普通ならしない行動をする。
脳は欲望を抑えきれない。
抑制剤の大量摂取による脳の誤作動からくる犯罪は一生病院から出て来れないが無罪になる。
片梨の父親はわかっていて自分の息子を壊し続けたのだろう。
自分の番と認めた相手を奪ったαを嫌うだけではなく、Ωという性別も嫌った。
自分の息子にΩの影を見ることがないように過剰に薬を飲むように圧力 をかけていたはずだ。
そうじゃなかったら、自分はβだとあんなに必死に訴えたりしない。
自分がΩではないと主張するためにαである俺をΩに見立てて犯す。
泣きながら「僕を許して」と口にする弱さ。
あいつの本当の一人称は「僕」なのかもしれない。
父の言い分、父の思想、そういったものに染まりきった「俺」の中に見える「僕」が哀れで救えない。
嫌うしかない。嫌って当たり前のことをされているのに嫌い切れない絆。
「待たせて、ごめんね」
片梨が薬でΩの本能をおさえこんだところで、俺の好悪が真実を引き当てている。
αである俺が嫌い切れないことこそが、片梨がΩである最大の証明だ。
両手足を奪われて、犯されて、支配される屈辱を忘れていないのに復讐心よりも大きなものがある。
俺の片梨に向ける感情はαの本能だ。
今の状況では手も足も出ないので、犯して孕ませることなどできないが、気持ちは自由だ。
他のαがΩを愛さずにはいられないように俺もまた同じ気持ちになっている。
俺が番にしてやると言ったところで、あいつは理解しないだろう。
誰よりも俺を愛しているくせに徹底的にΩであることを否定された状態で生きてきた片梨にこの愛を認めさせることは難しい。
「番になれたら幸せになれる。はやくふたりで幸せにならないとね」
俺をウサギのぬいぐるみの中に入れ込んで抱き上げる。
耳栓がないので、くぐもっているが外の音が聞こえる。
「俺だけを愛して、永遠に俺と一緒に居る。αはそうして、Ωを支配するズルい生き物だ。βをのけ者にして、自分たちだけの世界を作る。絶対に許せないって父は言っていた」
番になりたいと言いながら、バカな片梨は、俺のΩは、番になってくれない。きっと自分をβだと思い込んでいるせいだ。
この際、肉体的な立場が逆転したままでも許してやるから、うなじだけでも噛ませて欲しい。
番になれば片梨は薬を必要としなくなる。
だが、それは自分がΩであると認めることにもなる。
βであるという前提で生きていて、愛する者イコールΩという価値観を壊せずにいる哀れな片梨。
手も足もない俺は頭を使ってこの状況を切り抜けるしかない。
優秀なαとしてβである片梨の父を出し抜くことなど簡単に出来るはずだと心の中で繰り返す。
出会った瞬間に相手のことを分かって、放っておけない理由をすぐに自覚して、素直になれていたら俺たちはここまで落ちることはなかった。
それが分かっているので、後は這い上がるだけだ。
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