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櫻の森の満開の下~朱緋桜と花守の謡・前~
――『朱緋桜』。
それは、不思議な色の花を咲かせるソメイヨシノの変種の桜。
その桜はソメイヨシノの季節を外れて咲き、その花の色はまるで緋のように朱い。
――いつからそこに在ったのか、いったい誰が植えたのか、誰も知らない、誰も分からない。
この桜は、古より続く花守一族が先祖代々より受け継ぎ、護り続けられている。
その使命の真実すらも分からぬまま、自宅よりも遠く離れたこの場所に、花守薫(はなもりかおる)は足を運んでいた。
「…あれまあ…今年はまた一段と鮮やかだな……。」
この桜は毎年咲き方が変わるようで、今回のように多くの花をつける事もあれば、逆に全く咲かない年もあるという。
しかしながら、その桜が満開となった時の美しさは原種ソメイヨシノの数倍ともいわれ、また年によって咲き方も変わるため、いわば天然記念物級の珍しさなのだが、この桜は他人の目に触れることなく、花守一族によって長きにわたり護り続けられている。
花守薫は、その名が示す通り花守一族の末裔にあたる存在だが、実は今の彼には身寄りというものが存在しない。以前起きた大きな天災のさなかに巻き込まれ、彼の家族は皆帰らぬ人となってしまった。
――たまたま彼だけがその時に実家を離れていて、偶然にも被災を免れていたのだ。
そのため、彼は必然的にこの朱緋桜を『護り続けなければならない』唯一の存在となり、毎月1回は必ずこの場所を訪れ、その桜を写真に収めるという生活を数年間ずっと続けている。
それが『写真家』という職業に就いて生活をしている彼自身の、最も自分らしいこの朱緋桜との向き合い方だろうと考えていた。
――だが今回に限っては、そうとも言えないようだ。
いつものように車と電車を乗り継いで、この朱緋桜が植えられているという閑静な斎場公苑の奥にやってきた彼は、その場所に見慣れない少年が居るのを見つけた。
「…これはこれは…。珍しいこともあるもんだな。…ねえ君、此処は初めてかい?」
相手を驚かせないように少し遠めから声を掛け、彼はその少年に優しく笑いかけた。
「……っ!……すみません、すぐ帰ります」
「ああ、気にしないで。別に構わないよ。…俺は花守薫。君は?」
彼がそう声を掛けると、視線の先の相手は少し控えめな声で答えた。
「…蘭世、雪叶(らんぜゆきと)……」
「へえ、蘭世君。…珍しい名前だね。…芸名か何かかな?」
「……いえ、本名…です…。」
「そうなの?…随分変わった本名なんだね。ハーフとか?」
「…それは、無いです…。僕は日本生まれの日本育ちで……。」
「そうなんだ。…あっ、そんなに怖がらなくていいんだよ?俺は別にヤクザとかそういう感じじゃないから安心して。…見た目はこんなんだけど」
もしかしたらこの外見のせいで、相手を怖がらせてしまっているのかも知れない。
そう思った彼は、ジャケットの内ポケットから名刺を取り出し、蘭世雪叶と名乗ったその少年にその名刺を手渡した。
「はい、これ。要らなかったら捨ててもいいよ」
「…いえ、ありがとうございます。……花守、さんは…写真家の方、なんですか…?」
「ああ、薫って呼んでくれてもいいよ。俺もその方が慣れてるしね。…写真家とはいってもまだ独立したばかりで、全然有名ではないけどね。…蘭世君は高校生?」
「…いえ…20歳です。…大学2年です」
「あ、そうだったのか。ごめんごめん、綺麗な顔をしてるからまだそのくらいなのかと…」
「…それは多分…僕が特異体質なんだからだと思います。…実は僕……」
「いや、無理に言わなくていいよ。俺は全然気にしてないし、君の事を詮索するつもりもないから。……でも蘭世君。君、よく此処を知ってたね?…俺のSNSとか見た事あるの?」
「……いえ、それは無いんですけど…気が付いたら此処に居て。…何て言うのかな…呼ばれたような気がしたんです…」
「……呼ばれたって、誰に?」
「…それは分からないんです…。でも何故か此処に来なければいけないような気がして…そのまま気が付いたら此処に」
「……なるほど、そういう事か」
「……?」
蘭世少年が不思議な顔で花守青年を見ていると、彼はこんな言葉で会話を繋いだ。
「この桜はね、『朱緋桜』っていうんだよ。見ての通りいわゆる一般的なソメイヨシノと同じ品種なんだけど、この木だけ花が赤いだろ?…恐らくただの変種なんだろうと思うんだけど、実はこの桜にはそっち系の怪しい噂みたいなものがあってね」
「…桜の木の下には死体が埋まってるとかそういう感じですか?」
「おや。…蘭世君はオカルト系とか信じるタイプ?…だったら話が早いな。この朱緋桜って、人の生き血を吸いながら成長してるって言われてるんだよね。だからこんなに花が赤いの。俺はあまりそういう話は真に受けない質だけど、実はそういうオカルト的な噂もない訳じゃないんだよね。悲しいことに」
「…そうなんですか」
「うん。…まあ俺としては、そんな怪しい噂は無しにして、もっとこの朱緋桜の事を知って欲しいと思ってるから、こうして毎月此処へ来て写真を撮ってるんだけど…。」
「他に何かあるんですか…?」
「……うん。…護らなくちゃいけないんだ、この桜を。さっき俺、自己紹介したでしょ?花守薫って名前だって。その名前が示す通り、俺は花守って一族の血を受け継いでいてね。…この桜はその花守一族がずっと大切にしてきた桜だから、これからもずっと残していかなくちゃいけないんだ」
「花守一族…?……何か聞いた事ある…。」
「え……!?」
今度は逆に花守青年の方が驚いたようだった。
目の前にいる少年が、自分たちの事を知っている。…それは何故だ?
花守一族は、長きにわたり世間から離れてひっそりと生活してきた。彼ら一族には昔からの言い伝えで、とある家系の影贄としての役目も背負っていたという話もある。その役目に関連して、この朱緋桜を護り続ける事を花守一族に託されたのではないかとも言われている。
この朱緋桜は、そんな影贄としての役目を与えられていた花守一族が護っていた家系の屋敷にあったものを、その家系が断絶した後に一族の誰かが此処へ移してきたものではないかとも教えられていたが、それも結局は真相が分からないままだ。
「…蘭世君と言ったっけ。…君はどこの出身?」
「……あれ?僕、今変なこと言いました?」
「……えっ?だって今…」
「ごめんなさい。…何でもないです」
「……?」
先ほど、自分たちの事を知っている…と答えた蘭世少年の顔はどこか物憂げな表情を見せていたが、改めてその少年を見てみると、今は普通に笑顔の美しい少年の顔だった。
「…あー居た居た!こら、雪叶!!」
突然聞こえてきたその声は、二人の間に流れる不穏な空気を一気に取り払った。
それぞれが顔を上げてその声の聞こえてきた方向を見つめていると、そこには花守青年と同世代くらいのスーツ姿の男性が立っていた。
「……与那覇、さん……。」
「……おい、雪叶!…お前はまた黙って勝手に……」
「…すみません」
「……今度は一体何を思って……」
「えーと…あんた、この子の何?」
花守青年がその男性に声を掛け、蘭世少年の前に庇うようにして立つ。
与那覇と呼ばれたその男性を見ている蘭世少年の表情が、ほんの少しだけ怯えているように見えたからだ。
「……君は?」
「俺は花守薫。…いきなりで悪いんだけど、あんた少し離れてくれないか?…この子が怯えてるだろ?」
「……あの、花守さん……。」
「…ああ、気にしなくていいよ。…君を怖がらせたりはしないから。……あんた、この子の知り合いか?…だとしたらその態度は少し頂けないね。もう少し人との付き合い方というものを勉強した方がいい。そんな顔で詰め寄って、相手を怯えさせてどうする?」
「…あの、そうじゃなくて…。この人は僕のバイト先の社長で…」
「……ん?そうなのか?」
「…はい。与那覇さんと言って、僕がお世話になっている会社の社長さんなんです」
「……これは失礼。花守君と言ったか、俺は与那覇利苑(よなはりおん)と言う。……雪叶…今、君が庇っているその子の仕事先の経営をしている者だ。……これは俺の名刺」
そう言って、与那覇は花守青年に名刺を渡した。
花守青年は手渡された名刺の名前とその立場がどのようなものであるのかを確認して、目の前に立つ青年の顔をもう一度見直した。
「ほう。モデル派遣業の社長とは…また随分と華やかなお立場なんだな。…その割には態度悪そうだけど」
「…申し訳ないがこれが俺の素でね。君のような人間には分からんだろう」
「ああ、分からんね。ま、分かりたくもないけどな。…それよりも蘭世君。此処が気に入ったのなら、いつでもおいで。俺は毎月この時期には必ず此処に居るから、その時にでも今日の話の続きをしよう」
「…と、言う事だそうだ。…帰るぞ、雪叶」
「……はい」
小さな声でそう答えると、蘭世少年は与那覇に連れられ、斎場公苑を後にしていく。
そんな二人の後ろ姿を、花守青年はただ黙って見送った。
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