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櫻の森の満開の下~朱緋桜と花守の謡・後~
――それは、激しい炎に包まれたどこかの屋敷の中。
その視線の先には、その炎の中でもがき苦しむ人の姿が見える。
『蕾……、蕾……!……』
『……蘭……早…く……。お前は、逃げるんだ…!』
『……嫌……嫌だよ……私は……!!』
『…どのみち、ここもそんなに長くは持たない……。だから、お前だけでも逃げろ……。逃げて……生き延びるんだ……。絶対に!!』
『…どうして…。私とお前は一心同体……いつもお前が言っていた事ではないか…』
『…だからだ。…生きていれば、いつでも会える。…お前がここからちゃんと出られた事を確認したら、俺もお前の後を追う。……だから逃げろ。…そして生きろ、蘭!!』
『……分かった。……私はお前を待っている。……約束する。……だから、お前も私との約束を守れ。……絶対に生きて私の元に来い、蕾!!』
『……ああ。約束…だ……。』
『蘭』と呼ばれたその誰かは、『蕾』と呼ばれた人物を名残惜しそうに見つめながら、ゆっくりとその場所から駆け出して行った。
燃え盛る炎の中の『蕾』と呼ばれたその人物は、『蘭』の姿を見送りながらその場で静かに頽れていった。
『…蘭…。お前は、生きろ……俺の分まで。……俺は、お前の影贄……お前の命を守る為……その為だけに、この世に生まれた存在……。』
――その言葉を最後に、一気に燃え広がった炎は屋敷も人も全てを飲み込んで真っ赤に染め上げ、暗闇の中を煌々と照らし続けていった――。
「……!!」
「何かが……見えましたかな?」
「……屋敷と…炎と……人…」
「……花守の坊ちゃま。…貴方様は、ご自分の果たすべき役目をよくお分かりになっていらっしゃる。…だがそれ故、今後は貴方様自身が苦しむ事も多々あるでしょう。……それでも、貴方様は番をお求めになりますか?」
「番…?」
「貴方様が今日出会われた方は、今後…貴方様自身の番となり得る存在となる…。『α』の素質を持つ貴方様に対して、良くも悪くも相性のある『Ω』の素質を持たれている方なのです。…貴方様にとっては、一族の血を絶やさない為の大切な番となれますが、『Ω』の素質を持つ者のうち、男性は特に生命力が弱く…例え子孫は残せたとしても、そのまま命を落としてしまう危険性もある…。影贄の一族とも呼ばれる貴方様にとっては、最も大変な立場の番となり得るかも知れません。…ですが、一度この者を番と認め、パートナーにする事が出来れば、貴方様に課せられた過去の柵も、背負い続けてきた宿命も…その全てを解放できるようになるでしょう。…それほどに、彼の者の秘めたる力は強い」
「……そうなのか」
「……さあ、戻られよ。…自分の在るべき場所に」
その声が耳元で囁かれると、花守青年は瞬時に弾かれ、夢の中へ飛ばされていた魂は、その視線の先にある己自身の体へと戻されて、そのまま現実の意識を取り戻した。
「…お疲れさまでした、花守の坊ちゃま。…どうでしたかな、久しぶりの魂飛ばしを経験された感想は…。」
「いや、感想も何も……。相変わらず慣れないねぇ、この感覚だけは…。けど、いいきっかけにはなったよ。いつもありがとう、婆様」
「……そうですか。それは良うございましたな。何か、掴めましたかね?」
「…うん、そうだね。…次に彼と会った時には、もう少し詳しく話を聞いてみるよ」
「…左様でございますか。……この婆でも貴方様のお役に立てる事があれば、何なりと」
「もちろん。今の時代にこんな事が出来るのは、藤原の婆様くらいだからね」
「…では、お気をつけて」
「ああ、ありがとう」
そう言って、花守青年はその屋敷から外へ出た。
この場所は、彼が自分の心の悩みに戸惑いを感じた時によく訪れる場所だ。
この屋敷の主は代々続く霊媒師の家系の者で、彼ら花守一族もかなり以前からずっと交流のある家の一つであった。
現在の当主は80代前後の女性であるが、やはりその歳と時代の波には逆らえないようで、代替わりの話も持ち上がっているらしいのだが、その次期当主となるべき立場の人間が家を離れている為に継承が整わず、この女性が今も屋敷を守っているのだという。
「…火災のせいか、それとも…。『蕾』と『蘭』…。屋敷と、炎と、人……俺が夢の中で見たあの光景は、一体何を意味する……?」
自分の衣服の袖をたくし上げ、その下から現れた花の蕾のような形をした赤い痣を見つめながら、花守青年はぽつりと呟いた。
その痣は彼が幼い頃からずっとそこに在り、どこかで火傷でもしたのかと今は亡き両親にも聞いた事があるのだが、そのような記憶はないと言われた。
火傷の痕でないとすれば、ならばこれは一体何なのかとずっと不思議に思っていたが、先ほど婆様から話を聞いて、その謎がやっと解けたような気がしたのだった。
恐らくこの痣には、自分でも知らないような何か重要な秘密が隠されている。…そして、その秘密を探る鍵となるのは、先日あの桜の木の前で会った少年……『蘭世雪叶』。
「……明日も、通ってみるか……。」
そう呟いて、彼は再びゆっくりと歩き出した。
◇ ◆ ◇
――翌日。
花守青年は心の中に淡い期待を乗せて、『朱緋桜』の咲く斎場公苑へと足を運んでいた。
そしていつものように機材を取り出して写真を撮っていると、その視線の先から一人の少年の姿が見えた。…それはもちろん、先日ここで会った蘭世少年だった。
「……蘭世君。…やっぱり、今日も来てくれたんだね。…すれ違いにならなくて良かった」
「…花守さん…。昨日は、ごめんなさい。あの……。」
「そんな事は気にしなくていいんだよ。…俺も、君ともう少し話をしたかったんだ。…君は、この桜を見るのは昨日が初めて?」
「…そう、ですね…。そのはずなんですけど…。」
「何か気になる事がある?」
「……昨日、花守さんに初めて会った時に、僕…この桜に呼ばれたような気がした、って言いましたよね?…どうしてなんだろうって、あれから少し考えてみたんですけど…」
「…うん」
「この桜、昨日初めて見たはずなのに、僕は何故か懐かしいな…って思ったんです。…そしたら急にこの腕が熱くなって……」
そう言いながら、蘭世少年は自分の右腕の衣服の袖を引き上げた。
そこに見えたものを目にした花守青年は、信じられないというような表情を見せた。
「……蘭世君。…これは…!?」
「…実は、僕にも分かりません。…今まで全然気にしてなかったんですけど…。まさかこんなものが自分の体にあったなんて」
「…花の形の、痣……。では、やはり君は……」
「……?」
「……蘭世君。すまないけど、これを見てもらってもいいかな?」
花守青年は、蘭世少年と同じように自分の左腕の衣服の袖をたくし上げ、そこにある烙印のようなものを彼に見せた。
「…えっ?…これって……。」
「…そうなんだ。…実は俺の腕にも、君と同じような形の痣がある。……これは火傷の痕とかではなくて、元々この場所にあったものだ。俺の知り合いの婆様が言うには、この痣には何か特別な意味合いがあるらしいんだけど……。君は、『蕾』と『蘭』というこの2つの言葉に何か心当たりはある?」
「…いえ、特には……。」
「では、少し話の観点を変えてみよう。……俺の頭の中には、自分でも知らない記憶がある。この火傷の痕のような痣もその一つで、何故この場所にこんなものがあるのか、いつからあったものなのか、全く分からない。ただ、俺が見る夢の中には、必ず『蕾』と『蘭』というこの2つの言葉が現れる。…そして今、君のその痣と、俺の腕にあるこの痣がその言葉の意味を示した。俺の痣は蕾(つぼみ)の形、つまり『蕾(らい)』を表しているんだと思う。そして、蘭世君の持つその痣が花の形…形は少し違うみたいだけど、それが『蘭(らん)』の花を表しているとしたら……俺と君は出会うべくして出会った存在なのかも知れないという事だ。……まあ、これはあくまでも俺の中の仮説に過ぎないんだけど。……蘭世君。君はどうだろう?」
「それが本当なのかどうかは分かりませんけど……だから僕は、昨日初めて見たはずのこの桜を見て懐かしいと思ったんでしょうか?…それとも……。」
「……それはつまり、君が『Ω』の素質を持っている人間だから?」
「……!!!!」
「ああ、ごめん。…実はこれも婆様からの話で、俺は『α』の素質を持っている人間らしいという事なんだ。『α』の素質を持っている俺には『Ω』の素質を持っている番の存在が絶対的に必要で、その番を自分のパートナーにする事で、俺はこれからも子孫を残していく事が出来るんだって」
「……それはどういう…?」
「実は俺は、この桜を護る為に生まれた『花守一族』の末裔で……今は俺の他に、この『朱緋桜』を護れる後継者が居ない。……今後もこの桜を護っていくには、俺と直接血縁関係のある後継者が必要なんだ」
「……それが出来るのが僕だと?」
「もし本当に君が『Ω』の素質を持っているのなら、俺には君以外の番を求める事は考えられない。……この俺の『蕾』の痣が、『蘭』の花の痣を持つ君が残してくれる後継者ならいいと……そう言ってくれているような気がする」
「…そんな事、急に言われても……。」
「……確かに。…だけど、俺ももう若くないしね。……もちろん、答えはすぐに出さなくてもいい。……少しでも君が俺の事を考えてくれるなら……また、此処へ来て。……この木の下で、再び会おう。……約束だよ?」
そう言って、花守青年は蘭世少年の手を取りながらそのまま自分の懐に引き寄せ、強く抱きしめた。
――「……待ってるから。ずっと……俺の『蘭』。……俺の為だけに咲いてくれる、俺だけの為の花……」――。
『櫻の森の満開の下~朱緋桜と花守の謡~』【蘭と蕾の系譜/プロローグ編 終幕】
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