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第1話 落下

 落ちた、落ちていった、何処までも。俺の目の前で、一瞬笑う。俺かお前か、嘲笑うようで、幸せそうな。そのまま、消えた、世界は、途切れた。終わったんだ、と空虚に頭から堕ちていった、はずだった。  ピッピッ、と規則正しいリズムで音が鳴っている。瞼がやたらと重いけれど、眉間に皺を寄せながら抉じ開ける。刺すような鋭い痛みが目から頭を貫くように通り過ぎていく。強い光が消えた後も、引き続き白が見える。白、白い天井、と理解する。  次はここは何処か、ということに意識を向ける。俺は寝転がっている。ベッドの上のようだ。左手を持ち上げると、腕の関節部分にチューブのようなものが刺さっている。包帯が巻かれている。顔には口の部分を覆うようにマスクのようなものがくっ付いている。  邪魔なそれを自由な右手で外し体を起こそうと力を入れると、腹の当たりがずきんと痛んだ。強く打ったりしたのだろうか。痛みを堪え、腹、足元へと視線を動かす。薄水色の服を着ている。右足は足を包む何かと包帯でぐるぐる巻きになっていた。 「良生(りょうき)……!」  声のする方を見ると、部屋の出入り口にスーツに身を包んだ母親が立っていた。目が合うと、母親は俺を見据えたままベッドの横にずかずかと早足で歩み寄る。 「母さ――」  衝撃。言葉を言い切る前に母嫌は俺の頬を力一杯平手打ちした。あまりのことに俺は何も考えられない。驚いているばかりで言葉にならない。 「あんた達のせいで、母さんどれだけ恥を掻いたと思ってるの! さっきも学校に話をしに行ったり、よく分からない新聞の記者に色々聞かれたりしたのよ? 何で……何で自殺なんかしたの!」  ――自殺?  途端記憶が蘇る。ああ、そうだ。俺は、俺達は自殺をしたんだ、と。  そこで一気に血の気が引くのが分かった。世界が途切れる瞬間、俺は一人じゃなかった。そうだ、あいつは―― 「友生(ゆうき)は! 友生は何処?」  不快感を顔中に表したまま、母親は顎で隣のベッドを示す。そこには痛々しいほど包帯を巻かれた友生が横たわっていた。  慌てて駆け寄ろうとするも、どうやら折れてギプスで固定されたらしい右足が上手く扱えない上、腹部に激痛が走りベッドの上で蹲る。 「友生は、起きないかもしれないわ」 「え……?」 「頭を強く打ったらしいの。手術は成功したんだけど、血液が脳を圧迫して、脳の一部が損傷したかもしれないって」  頭に包帯を巻いた弟は、俺が付けていたのと同じ酸素マスクを装着され、緩やかな呼吸をただ繰り返していた。  気付いたら泣いていた。そして、拳をベッドマットに何度も振り下ろして、頭を抱える。俺の脳裏に、あの時のことが思い起こされ、後悔と憤りに苛まれていた。  俺達は自殺した。学校の教室から飛び降りたんだ。二人一緒に。 死ぬんだと思った。死にたかったわけじゃなかった。少なくとも俺は。逃げたかっただけだった。 「私は先生にあんたが起きたって報告してくるわ。無理して悪化させるんじゃないわよ。迷惑だから」  母親はそう言い残して部屋を後にした。迷惑、というのは本音だろう。一度だってまともに「母親」をしたことのない人だったから、俺達はお荷物でしかなかったと思う。  呆然と横たわる友生を見遣る。白い肌は一段と白く見え、長い睫はぴくりともせず伏せられている。まるで彫刻のように美しい横顔だ。しかしもう、あの瞼の下の綺麗な薄茶の瞳は光を見ることはないのだろうか。  ――絶望。  真っ暗な海に一人放り出された気分だった。自分がどこにいるのか、どこに行けばいいのか、どうしたらいいのか。全く考えられない。ただ黒い海の中で溺れないように両腕をバタつかせることしかできない。  何時から、歯車は狂いだしたんだろう。俺達が、何処までも先の見えない無限回廊に堕ちたのは、何時からだったんだろう。  俺は一定のリズムで呼吸を繰り返すだけの友生を見詰めながら、彼の色々な表情を思い出していた。

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