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『不惑にして惑わず。』
そんなことを言える人間が実際にはどれくらい存在するのだろうか。いくつになっても悩み惑うことを辞められないことを実感した身には、あまりに遠い悟りの言葉に感じる。
家具が減ったわけではない。それなのに、随分部屋がガランとしている。テーブルの上に無造作に置かれていたスマートフォン。読みかけの本と灰皿。たったそれだけの物が消えただけでテーブルが大きく見える。
寝室にいけば箪笥の中もクローゼットの中身も目減りしているだろうし、浴室や洗面台も同じ様子だろう。
2年ほどつきあった4歳年下の男は、俺のことを昨日見限った。
いつまでたっても心の底から自分を見つめることをしない男と一緒にいても楽しいはずがない。
いくら言葉で「好きだ。」を重ねても、そこにある視線が曇っていれば言葉が言葉なだけに残酷に響くだけだ。
それを充分理解しているというのに、何度も同じことを繰り返している自分は相当に頭が悪いのだろうか?
いや・・・違う。
もう気が済んだ、そう何度も納得した。彼女ができた時、歩きながら視線をすれ違う女に向けるとき。
そして結婚した時・・・。
もう潮時だ、これ以上は疲れてしまって想い続けることはできない。そう納得したから新たな恋に取り組む一歩を踏み出した。
新しい恋は平穏無事でこれといって争いもないまま続いていく。一緒に食事をして週末を過ごし、近場に泊まりがけで出かけたりもした。映画もみたし、酒を酌み交わして自分達の事を話して満足したこともある。普通の恋人同士の日常を淡々と過ごし、時に熱情にかられ激しく求めたりもする。
だが、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、見過ごせない何かが二人の上に覆いかぶさるのだ。その重さが徐々に息苦しさを生み、疑念が確信になったとき・・・俺は捨てられる。
それを何回繰り返しただろうか。
年上でも年下でも結果は同じ。自分と同じくしっかり働くサラリーマンであっても、学生でも、フリーターでも結果はつねに変わらない。
年に数回しか顔をみない相手。
忘れたころに電話をかけてくる相手。
出掛けた先から帰ってきた俺の態度がいつもと違うらしい。
切れた電話を置いたあとの俺は翳っているらしい。
最後の別れ際に恋人に指摘される。最初は仕事が詰まっているのだろう、疲れているから元気が無いに違いない。そんな風に気にも留めていなかった俺の態度が、やがて疑念にかわっていく事を。
そんな風に塞いだようになるのは「昔からの友人だよ。」という相手に逢ってきた時。
「昔からの友人だよ。」そういって電話を置いた時。
いつも同じ「昔からの友人」を相手にしたあとは「らしくない。」状態になるそうだ。自分では普通にしているつもりだというのに。
「昔からの友人はすでに結婚して幸せな家庭を持っている。俺達とは別の所にいる奴だよ。」
安心させるために重ねた言葉は余計に頭に残るらしい、違和感とともに。
「昔からの友人」が結婚して女と幸せに暮らしていたとしても関係ないのだ。自分の恋人には想いを残している男がいる、忘れられない男を心の中にしまいこんでいる。
その現実は二人の間に少しずつ隔たりを作り、わずかな亀裂がやがて大きな溝になる。
「最後まで正享の一番になれなかったよ。」
諦めたように言い恋人は俺の元から去って行く。
翌日仕事から帰宅すれば、投げ入れられた合鍵がドアポストの底で扉の動きと一緒に音をたてる。
チャリン・・・カチャン
大幅に変わったわけではないのに、どこか寒々しい自分の部屋を眺め、また同じことを繰り返したと現実を噛みしめる。
自分の納得や諦めは機能していないことを認めないわけにはいかない。
いい加減同じことを繰り返すのはやめよう、そう思うのだ、何回も。
次こそちゃんとうまくできる、そう考えるのだ、何回も。
今度こそ削ぎ落として綺麗な心になれる、そう願うのだ、何回も。
そしてどれも実行されないまま、中途半端に新しい恋を求める。
俺は10年近くこんな生活をしている大馬鹿者だ。
自分の未練がましさに嫌気がさす。
完全に忘れることができたなら、今よりずっと幸せになれるだろうに。
初めていつもと違うことを願った。
忘れたい・・・忘れてほしい・・・すべてを。
『不惑』という年齢になったら迷わないで生きていかれるだろうか。その時期はもうすぐ先に迫ってきているというのに、出来る自信がない。
だから・・・忘れてしまいたい。
忘れてほしい・・・俺のことを。
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