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人殺しの訪問

この世界には理不尽なことばかりで、大切なものほどこの両手からは溢れでて零れ落ちていくし、いらないものほど、偉そうに町中を闊歩している。 人を殺すと、警察に逮捕されて裁判にかけられて、罪を償う。これは、世の中の常識で、人々はある程度の社会のルールを守って生きている。罪を犯せば、罰を与えられる。法に触れなければ、なにも、なく、普通に、そのまま。なにかを失った気分になっている。 でも、俺の日常からはとくに零れ落ちることなく、俺にとってなにかが足りない世界にいた。 「特に異常は見られませんね、もう帰っていいですよ」 目の前には、無精髭を生やし、くたくたの白衣を着た医師がめんどくさそうに言った。俺の方は見ようとせず、カルテを見つめて言われてしまえば、大した怪我ではないものの、もう少し丁寧に接してくれたっていいじゃないか、と愚痴を言いたくなる。 どうやら俺は、交通事故に会ってしばらく入院していたようだった。だった、というのは目を覚ましたのは昨日でそこから検査で一日を終わってしまったために、己の身になにが起きたかわかっていないのだ。追い出されるようにして病院から出てきて、あまり動かない関節を無理矢理動かして自宅に帰ってきた。 どうやら、今回の事故について信号待ちをしていた俺は、体調が悪かったのか、こけたのかは定かではないが赤信号の交差点に足を踏み入れ、軽トラックに撥ねられた、というのが事実であるそう。 交通事故前の自分がなにを思っていたのか、自分の調子がどんなものであったのか、どうにもあやふやだ。 いや、それよりもなにかを忘れているような、そんな感覚にも襲われる。記憶に靄がかかってどうにも不思議な感覚であった。 すると、ふとうなじのところに違和感を感じてそこに手をやると、激痛が走る。 「いって…んだよ、これ…」 急いで洗面所に向かい、鏡で確認すると歯形のような傷跡。犬歯にあたるであろうところが一番深く傷つけられている。 …ちょっと待て、俺に番なんかできていないのに…それじゃあ誰が… しかし、その傷跡は、噛み跡というにはあまりに深く、どちらかというと噛み跡を更に刃物で抉ったような傷に思えるのだ。 不思議に思った俺は、惰性でテレビをつけてソファに転がった。 病院でもらった、小学生が読むような冊子には「第二の性について」と書かれている。 意味もなく、かわいらしいフォントで書かれているものをパラパラと開いてく。 この世には、男と女という性別だけではなく「第二の性」というものが存在する。α・β・Ωに分けられ、Ωが子を産みαは子を産ませ、という世の中。βが世の中の大半を占めており、Ωやαは希少種だ。それなのに、Ωは孕ませるための道具という昔からの概念が消えずに、差別対象になることが多い。 俺、月影佐助(つきかげ さすけ)はこの世のピラミッドの底辺、Ωだ。 諸悪の根源、風紀を乱す淫売。そんな風に蔑まれて、ぞんざいに扱われる。Ωには発情期というものがあり、その期間はおよそ一週間程。その期間にはΩ性のフェロモンが周囲の人間を誘惑し、種が欲しいと強請るのだ。 俺たちの前に横たわる、この世界に用意された運命はまるで大きな倒木だ。繋がる先が制限され、自由に歩いていくことが叶わない。 発情期の救済としてあるのは、「抑制剤」と「番制度」であろうか。抑制剤はある程度の発情を抑えることができるが、人によっては薬の合う合わないがあるし、特に俺はそういった問題はなかったけれど飲まない方が良いことには変わりない。 一番は、番のαに慰めてもらうこと。つまり、セックスだ。 自分の状況が明らかにおかしい。俺には番がいたという記憶が無いのにも関わらず、うなじには証が大きく染み付いている。しかも、その噛み跡はどこか異常だ。故意に抉られた跡がある。 事故前の記憶が、どことなくあやふやというのも不思議だ。カレンダーを見るとおおよそ一年。なにかが抜けている。 あのヤブ医者め、なにが異常はありません、だ。 舌打ちを一つ床に落とすと、インターホンが鳴った。この昼下がりに誰だ、俺は友達も少ないし宅配だって頼んでないぞ。 「はい、今行きます」 俺は、そっと鍵を開け玄関の戸を開く。 そこには異常なほどの美丈夫がニコニコとしながら、立っていた。 「どちら様で……?」 「僕、人を殺したんです。しばらくの間ここに置いてくれませんか。」 はい……? 俺は無言で扉を閉めた。

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