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マザーグース
余白時間を持て余した富裕層たちの集う夜のセント・ジェイムズ公園は、ゲイたちの社交場としても有名だ。赤々と燃えるガス灯のランプに照らされる樫の木々を眺めながら、暗い公園のすみを歩くルカはスケッチ帳に木炭を走らせる。
暗がりでむつみ合う悪魔の子供たちを彼はじっと見つめ、スケッチしているのだ。樫の木々に隠れるようにジェストコールを纏った上流階級の男たちが、襤褸のシャツを纏った少年たちを抱きしめている。
ソドムの都も夜はこんな風に愛らしい少年たちを慰み者にしていたのかもしれないと、ルカはスケッチをしながらほくそ笑んでいた。自分と同じ悪魔の子がこんなにいるなんて、頼もしい限りだ。
ふと、少年たちを抱きしめていた男たちの顔があがる。彼らの視線は、樫の木々を縫うようにして通された石畳の通路へと向けられていた。
青い、レースのついたペチコートを優美に翻し、その少女は石畳の上をサテンの靴で踏んでいく。手には天使の刺繍された扇子が握られ、青いドレスの胸元には真っ白なカメオのブローチがあしらわれている。
なにより目を引いたのが、彼女の髪色だ。細い絹糸を夜空に散りばめたかのように美しい金髪。その金髪を翻しながら、少女は歌を口づさむ。
それは、パブリックスクールで習ったラテン語の響きとも違う、奇妙な言語でできた歌でった。ジェストコールを纏った男の一人が、相手をしていた少年を放し彼女のもとへと駆けていく。彼は何かを彼女に話していたが、彼女は首を振りそのまま彼を残して道を歩き出した。
「君は一体、何語を喋っているんだ。どうやったらその言葉が分かる?」
男が叫ぶ。
どうやら、彼女と喋るには彼女の言葉を理解する必要があるらしい。ルカは耳を澄ませて魅せる。それが何かの歌だということは分かるが、意味までは理解できない。
「マザーグースか……」
そんなルカの耳に、聴きなれた声がかけられた。ルカは驚いて自分の後方へと顔を向ける。コートを纏ったダラスが、ブラウンの眼で石畳を歩く妖精を見つめているではないか。
「ダラスっ」
「よ、俺も妖精とやらに会いたくてな」
「それより、彼女の言葉が分かるんですか」
「ああ、シェイクスピアだよ。古い時代の英語だ。俺たちのご先祖様の言葉で、妖精は歌をうたってる」
そっとルカの頭をなでながら、ダラスは妖精へと顔を向ける。彼は静かに口を開いた。
「London Bridge is falling down, falling down, falling down, London Bridge is falling down My fair lady」
ぴたりと側まで迫っていた妖精の足が止まる。彼女は大きな青い相貌で、ルカとダラスを見つめてきた。
「やあ、Lady。今宵はどこまで行かれるのですか?」
優しく笑うダラスを見つめながら、妖精は驚いた様子で眼を見開く。そっと彼女はルカたちに向き直り、口を開いた。
「ロンドン橋落ちる。よく分かったね、お兄さん」
「ああ、君のことは噂で知っていたからね、レディ・エドワルダ。その歳で、客をとるなんて大したタマだ」
「僕はただの案内人だよ。妖精の国への案内人。でも、その妖精の言葉が分かった人は、本当に久しぶりだ」
そっとレディ・エドワルダはペチコートの裾を両手で持ち、優美にお辞儀をしてみせた。
「お初にお目にかかります、お客様方。僕はエドワルダ。モリーハウス、駒鳥亭の案内人です」
「モリーハウス……」
聞きなれない言葉に、ルカは眼を顰める。モリーとは女装を好む同性愛者たちを示す言葉だ。そのモリーたちが集う場所が、このロンドンのどこかにあるというのだろうか。
「モリーハウスは妖精の国なのか?」
ルカの言葉にエドワルダはそっと掴んだペチコートの裾をおろす。彼女はルカを見つめながら、妖艶なる笑みをその顔に刻んでみせたのだ。
コーヒハウス、シェイクスピア。そのシェイクスピアの本棚に隠された通路の先に、その場所はあった。
モリーハウス、駒鳥亭。
ルカ自身が妖精の国と形容したその場所は、現実とはかけ離れた場所だった。吹き抜けの天井には大きな鳥籠がいくつも吊るされ、その鳥籠の中で背の高い女たちが低いアルトで歌をうたっていた。二階のテラスからその様子を眺めていたルカは、一階の大広間へと顔を向ける。大広間にはテーブルがいくつも並べられ、そこには美味しそうな菓子パンやプティングが皿に盛られていた。
その菓子を、紅茶を啜る着飾った女たちが食している。楽しそうに談笑を交わす彼女たちの肩は張っていて、その背は高い。よくよく見ると、その女たちはすべて、女装した男だった。
モリーたちだ。
「モリーハウスか。前から興味はあったが、来てみると凄いな……」
ぎょっとルカが眼を見開いていると、隣にいるダラスが楽しそうに口を開く。ルカはそんなダラスを見あげていた。
「ここはモリーたちが集う隠れ家の一つだよ。特にこの駒鳥亭は学のあるモリーたちしか通えないことで有名だ。案内人のエドワルダでよくわかったろ」
ブラウンの眼を細め、ダラスが得意げに笑う。何だか面白くなくて、ルカは頬を膨らませていた。
「あなたは、ここに来たくて僕を利用したんですか?」
「俺こそ、こんなまじかにお前みたいな同胞がいたとは思わなかったよ」
くしゃりとダラスがルカの緩やかな銀髪をなでてくれる。ルカは何だか恥ずかしくなって、そっと顔を伏せていた。
「あなたに罪を犯させたのは僕ですよ。そのうえこんなところに来て、後悔しないんですか」
僕と寝てみませんか、そう言ってダラスを誘惑したことをルカは思い出す。ちょっとした冗談のつもりだった。自分をはねのけると思っていた彼は、意外にもルカを受け入れてのだ。
そしてルカは、ダラスと一緒に罪を犯した。砂糖菓子のように甘い罪を。
「俺は安心したよ。悪魔の子が俺の他にもいるって分かったからな」
ダラスの声にルカは顔をあげる。彼は優しい笑みを浮かべ、ルカを見つめていた。ああ、その笑顔を辞めてほしいとルカは思う。彼の優しさにつけ込んで、ルカは彼をソドムの民にした。そんなルカを、彼は優しく受け止めてくれるのだ。
「お客さん、むつみ合うのはプライベートルームにしていただけませんか?」
女の声がする。驚いて、ルカはそちらへと顔を向けていた。テラスの欄干を背景に、尼服に身を包んだ長身の女がこちらを見つめている。切れ長の眼を細めて、彼女は得意げに笑ってみせた。
「お初にお目にかかります。この駒鳥亭のオーナー、マダムと申します。以後お見知りおきを」
そっとマダムが腰を折り挨拶をする。ルカは彼女に体を向け、軽く会釈をしていた。そんな彼女にダラスが声をかける。
「俺たちもここの妖精になる必要がありますか?」
「ええ、それがここのルールですから。モリーたちの結束はなによりも固い。だからこそ、私たちはこの愛の巣を守ることができているのです。どうぞ、ご理解を。エドワルダ。お客様たちを案内して」
そっとマダムの後ろから、小さなエドワルダが顔を覗かせる。彼女はマダムの腰に手を回し、ぎゅっと彼女にしがみついていた。
「その、ママ……」
「私の店を手伝ってくれるんだろう? 大丈夫だ、彼らはすぐに、モリーなる。恐いことなんてないよ」
あやすようにマダムは怯えるエドワルダの髪をなででやる。エドワルダはそんなマダムに笑顔を見せ、そっと彼女から離れた。
「どうぞお客様。こちらへ」
マダムの前へと進み出たエドワルダは、ペチコートの両裾をつまみそっとお辞儀をする。その青い眼に妖しい光が宿るのをルカは見逃さなかった。
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