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堕天の翼
ルカ・アンダーソンはその日を境に、モリ―ハウスの信者となった。彼は毎日のようにダラスと寮を抜け出しては、エドワードに会いに来るようになったのだ。
そして何を思ったのか、マダムはその日を境に当分のあいだ駒鳥亭を閉めると言い出したのだ。
「風紀改善協会の連中が、最近家に出入りしてる。ルカがシェイクスピアに放ったゴロツキ共の逮捕で何か勘づいたみたいだ」
モリーたちのいない閑散とした駒鳥亭のホールで、マダムは腕を組みながら言葉を放つ。青いドレスに身を包んでいたエドワルダは、不満そうに口をとがらせカウチソファに座っていた。
「じゃあ、しばらくみんなに会えないの?」
ぷくっと頬を膨らませ、エドワルダは保護者であるマダムを睨みつける。マダムは苦笑しながら、そんなエドワルダに言葉を返していた。
「また、引越ししたいか?」
苦笑するマダムから顔を逸らし、エドワルダは両膝をカウチソファの上で抱えてみせる。
膝に顔を埋め、エドワルダはもう一度マダムを見つめた。風紀改善協会に勘づかれるたび、マダムは運営しているモリ―ハウスを閉め、地方へと身を隠すことを繰り返してきた。
「ママは、本当にあんな奴を信頼するの? あいつ、ママの体を……」
「そうだね、お前が傷ものにされそうになったのは本当に許せないが、あれもモリーだ。私たちの仲間なんだよ」
「僕たちの仲間……」
そっとエドワルダは靴を脱いで絹の靴下に包まれた自分の足を見つめる。その足に口づけたルカの唇の感触を思い出して、エドワルダは体を抱きしめていた。
足から唇を放した彼は、君は素晴らしいと満面の笑顔をエドワルダに向けてきたのだ。そのときの気持ちを、どう表現していいのかエドワルダは分からない。
一言でいえば、困惑だろうか。
「ああ、僕の堕天使たちっ!」
じっと物思いに沈んでいるエドワルダの耳に、聴きたくない人物の声が聴こえてくる。銀の髪を翻したルカが、ダラスと共に本棚の隠し扉からこちらへと歩いてくるではないか。
うんざりとした眼差しをルカにやり、エドワルダはカウチソファから立ちあがっていた。
「どこに行くの? 僕のモリー」
「誰が君のモリーだって……」
マダムに抱きつくルカを睨みつけ、エドワルダは彼へと近づいていく。エドワルダは青い眼で彼を睨みつけ、言葉をはっした。
「マダムが君を仲間と認めているから、僕は君がここに来ることを我慢してるだけだ。じゃなきゃ、とっくに判事に突き出してる」
「モリーハウスを経営する君たちが、それを言うか?」
ルカの顔に嘲笑が広がる。彼はそっとマダムを放し、エドワルダへと近づいて来た。エドワルダは後ずさるが彼に片手を掴まれてしまう。彼に腰を引き寄せられ、エドワルダは彼に低く唸っていた。
「恐い。獣みたい。ねえ、そんな獣みたいな君の顔を描いていい?」
うっとりとルカは眼を潤ませてエドワルダを見つめてくる。そんなルカの肩にマダムが手を置いた。
「ルカ。お前はこの駒鳥亭を美しくしてくれるんだろう?」
萌黄色の眼に得意げな表情を浮かべ、マダムはルカに問う。ルカはそっとエドワルダを放し、そんなマダムに抱きついていた。
「もちろんだよマダムっ! 君たちを怒らせたお詫びに、こんな素敵な罰を与えられるなんて、僕は何て幸福なんだっ!」
「ママ、彼と何を話したのっ?」
嫌な予感がして、エドワルダはマダムに詰め寄っていた。怯えるようにマダムに縋るルカを抱き寄せ、マダムは得意げに笑ってみせる。
「ルカがこの駒鳥亭の壁一面に、お前の絵を描いてくれるそうだ」
「はっ……」
マダムの言葉にエドワルダは固まる。そんなエドワルダにルカは熱っぽい眼差しを送るのだった。
マダム以外の人間に自身の裸体を見せることほど、エドワードが嫌がることはない。けれど、これは母であるマダムの命令であった。
ルカが駒鳥亭の壁にエドワードの絵を描きあげるまで、駒鳥亭は休業する。マダムが何を考えているのか分からないが、絵を描いているときのルカが狂喜と幸福に包まれていることはたしかだ。
彼は今も木炭を一心不乱にスケッチブックに走らせ、エドワードの裸体を描いているのだから。それも傷ついた性器ばかりを丹念に眺めてくる。
「変な気起こしたら、拳銃でぶち殺すからね」
寝台に寝そべる裸のエドワードは、寝台の側の椅子に腰かけるルカに鋭い言葉を浴びせる。
「大丈夫、俺がさせないよ」
得意げな男の声が聴こえて、エドワードは顔を顰めていた。自分を後方から抱きしめる彼は、うっとりとした眼差しを恋人のルカに送っている。
「ああ、やっぱりあいつは絵を描いてるときが一番輝いてる……」
うっとりと一心不乱に木炭を走らせるルカを見つめながら、ダラスはエドワードの腹部でそっと両手を組んでみせた。そのままエドワードを抱き寄せ、彼は金髪に顔を埋めてみせる。
「ちょ、何するんだよ……」
「お前って、もとは男なのに女みたいな匂いがするんだな。マダムがいなかったら、本当にこの場で襲ってるのに……」
「銃で頭、ぶち抜かれたいんだったらどうぞ……」
「うそ、僕にも嗅がせて……」
ルカがスケッチブックを放り投げ、寝台へと駆け寄ってくる。彼は寝台へとのぼり、エドワードの金髪の一房をそっと掌に広げてみせた。
「ああ、毒の香りだ。鈴蘭の香りがする……」
「マダムがくれた香水の香りだよ……。毒性はないから安心して……」
「この香りに溺れて死ねたら、どんなに幸福だろう……」
掌に散らばる金髪に唇を寄せ、うっとりとルカは言葉を紡ぐ。エドワードはそんなルカを見て眉を顰めていた。
「死ぬんなら、勝手に死んでくれ。僕たちを巻き込まないで」
「冷たいな。お姫様は……」
ダラスの声がエドワードの耳に聞こえる。彼を見あげてやる。顔に苦笑を浮かべたダラスは、そっとエドワードの頬に唇を落としていた。
「ちょっ!」
「本当はお前の唇を吸いたいんだけど、それしたらマダムに殺されるしな」
「ああ、ずるい。僕のエドワードになにするんですか。僕だって、マダムが邪魔しなければエドワードと」
「やめろっ!」
冷たいエドワードの声が彼らを制する。びくりとダラスとルカはエドワードを見つめ、口を閉ざした。
「ダラス……。エドワードをうつ伏せにしてくれますか?」
しばし沈黙が続いた後、ルカがにっといたずらっぽい笑みを浮かべてダラスを見つめる。ダラスもいたずらっぽい笑みを浮かべ、抱いているエドワードの体を寝台に押し倒した。
「ちょっ、なに……」
「変なことはしないよ。ただ、君に翼を描いてあげようと思て……」
「ひやぅ!」
冷たい感触が背中に広がって、エドワードは体を震わせていた。ルカが冷たい何かをエドワードの背中に塗りたくっている。その感触が消えると同時に、自分を押さえつけていたダラスがシーツごとエドワードを横抱きにした。
「ちょ、何もしないってっ!」
「何もしてないよさ、背中に落書きした以外にはっ!」
ダラスは部屋にある姿見の前へとエドワードを抱いて向かう。そこに映る自分の姿に、エドワードは言葉を失った。
自分の背中に翼が生じていたからだ。よく見ると、それは赤い紅で描かれた翼の絵だった。臨場感のあるその翼は、まるでエドワードの背中から生えているように見える。
「これ……」
「言ったでしょう。君に堕天使の翼をあげるって。その約束を守っただけだよ」
そっとルカがこちらへと近づいてくる。鏡に映る彼は、そっとエドワードの背中に指を這わせていた。
「あっ……」
ルカの尖った爪がエドワードの背に描かれた翼を優しくなぞる。エドワードは熱っぽい声を発し、潤んだ眼を鏡に映るルカへと向けていた。
「君は僕を堕落させる天使……。いつかきっと、君のその体も僕のものにしてみせるよ。君を僕の恋人にしてみせる。愛しいエドワード……。もちろん、マダムともともね……」
ルカの銀の眼が蠱惑的な光を帯びる。彼はその眼を笑みの形にゆがめ、エドワードの背に唇を落とした。
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