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俺が運命の番を嫌うわけ

 兄は清廉潔白を絵に書いたような人だった。  容姿端麗、品行方正、成績優秀。正義感に溢れ、清潔感漂うアルファの中のアルファ。  俺は子どものころから兄を尊敬し、大きくなったら兄のようなアルファになるんだと、心に誓っていた。  しかし俺の第二性はオメガで、発覚した当初は正直、どうしようもなく落ち込んでしまった。  何日も食事が喉を通らない日が続いたが、兄の懸命の励ましによりなんとか復活。  その後は兄のようなアルファに相応しい、素晴らしいオメガになるべく努力を積み重ねてきた。  その甲斐あって俺たち兄弟は近所ではもちろん、学校でもすこぶる評判がよかった。 『うちの子に、久住兄弟の爪の垢を煎じて飲ませたいわぁ』  なんてことを言う近所のオバサンがいるほど、俺たち兄弟は傍目から見ても優秀なアルファとオメガだったのだ。 それなのに。 「ちょりーっす!」  兄が突然連れ帰ったオメガに、俺たち家族は愕然とした。  見るからに痛んだ金髪に緑のカラコン、ピアスは口に一個、耳にはいくつぶら下がっているんだろう。  服装だって、ダボダボのトレーナーに下はジャージ。素足にサンダル。  隣に立つ兄とはあまりにも対照的すぎて、見ているだけで目眩がする思いだ。  しかも、ちょりーっすってなんだ?  初対面の人間に対してまともな挨拶もできない、この派手な男は何者なんだ!?  俺たちがドン引きしていることに、オメガの男はもとより、兄も全く気付いていない様子で 「こいつと番になったから」  頬を赤らめながら言う兄の髪やスーツには、枯れ草や木の枝が付着していた。  なんでも、会社帰りに近所の公園の前を歩いていたら、突然フェロモンの芳香を感じたのだと言う。ハッとして園内を見回すと、目を見開いて兄を凝視するオメガがそこにいた。 ――運命だ……。  そのオメガを一目見た瞬間そう理解した兄は、すぐさま彼に駆け寄ると草むらに引き込んでその場でセックスしたらしい。 「もちろん同意だったぞ」 「いやそう言う問題じゃなくて……」  激情のまま体を重ねた二人は、勢いのまま番となってイマココ。 「そ、それでそちらの方のお名前は……?」  震え声で問う母に、兄は一瞬ポカンとした表情を浮かべて 「名前……ゴメン、君名前はなんて言うの?」  その一言に兄とその番を除いた全員が恐慌状態に陥った。  だって、あの兄がだぞ?  品行方正、清廉潔白を絵に描いたような兄が!  正義感の塊だった兄が!!  名前も知らない初対面の男を押し倒してセックスをし、あまつさえそのまま番になるなんて!! 「なぁなぁ。なんでここんちの人みんな、面白ぇ顔してんの?」  兄の隣に立つオメガが、さも愉快そうに兄に聞く。  見たところ年は俺と同じくらい(後で聞いたら俺の六個上。当時二十一歳だった)。 「なんか知らねーけど、番っちゃったんでぇ。よろしくぅー」 「よろしくして堪るかぁっ!!」  ちゃぶ台ならぬダイニングテーブルをひっくり返そうとするも、重すぎて持ち上がらなかったため、ランチョンマット一枚をひっくり返して、俺は自室に駆け込んだ。  内鍵を掛けて誰も入れないようにしてベッドに潜り込むと、激しいノックの音と共に心配そうな兄の声が聞こえた。 「みーくん! 突然どうしたんだ? ここを開けなさい!」 「絶対に嫌だっ!!」 「何、おとーとくんどうしたの? せーり?」 「男に生理があるかぁっ!!」  どこまでもふざけた調子の兄の番。  兄にはあんなオメガじゃなく、もっともっと相応しい人がいるはずなのに。  なんでよりにもよって、あんなオメガなんかと番になったんだよ!!  疑問とやるせなさと怒りが爆発した俺は、頭から布団を被って一晩号泣し続けたのだった。  その後兄は少しずつ番に感化されていった。  美しい容貌をさらに理知的に見せていた黒縁眼鏡をやめてコンタクトにし、真っ黒だった髪を光の加減で金髪に見えるほどに染め、家の中でだってワイシャツを着崩さなかった人が今ではキャラクターが描かれたトレーナーを着るように……。  周囲からは「明るくなった」「話しやすくなった」と評判らしいが、あんなの俺の兄じゃない。  全てはあのオメガが元凶。  あいつと会わなければ、兄はずっと俺の理想の兄だったのに。  それがたかだか運命の番に会っただけで、あぁも変わってしまうなんて。  そう考えて俺はゾッとした。  俺も運命に出会ったら、兄のように変わってしまうんだろうか。  今まで積み上げて来たもの全てをなくして、新しい俺になってしまう? ――そんなの嫌だ。  俺は俺。  今の自分のままでいたい。  違う自分になってしまうなんて、考えただけで怖気が走る! 「そうだ……」  運命の番に会わなければいいんじゃないか?  そうしたら俺はずっとこのまま変わらずにいられる。 「そうだ! そうだよ!! なんていいアイディアなんだ!」  俺は絶対に運命とは出会わない。  もしも会ったとしても、逃げて逃げて逃げまくってやるっ!! 「……んで、今もその誓いを守って、合コンにも出ないと」 「出会いの場を広げてどうするんだよ。合コンなんか行って運命に出会ったら最悪だ」 「あのなぁ……お前もそろそろ兄離れしたら? お兄さんが番を見つけたの、何年前だって?」 「四年前だけど」 「そんな長い間拗らせてんのかよ! いい加減大人になれば?」 「俺はもう充分大人だ! あともうちょっとで二十歳だし」  全然大人じゃねぇよ……と、悪友の酒々井(しすい)が言う。 「とにかく今日の合コンには絶対来てもらうからな。運命と出会う確率なんて、何万分の一とか何十万分の一って知ってるだろ? お前のお兄さんがたまたま番を見つけたから、簡単に出会えると思ってるんだろうがな、現実はそう甘くないんだって」 「でも俺は合コン自体興味な」 「はいはい、いいから行くぞ」  現実は甘くない――酒々井はたしかにそう言った。  なのに。 「……見つけたっ! 俺の運命の番っ!!」 「うげぇっ!?」  まさか合コンで本当に、運命の番に出会ってしまうなんて……一体なんの悪夢なんだ!?

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