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「また会えたね、ハニー!」
翌日、上機嫌のまま大学に行った俺は、ブスッくれた表情の酒々井から激しい叱責を受ける羽目になった。
常に巨大なネコを被っている酒々井にしては珍しく、不機嫌のオーラを隠そうともしていない。
……これは本気で怒っているようだ。
「あの後、本気で大変だったんだからな!!」
俺が突然ヒートになってしまったせいで、一気にパニック状態に陥った合コン会場。
発情フェロモンにあてられて急にソワソワしだしたアルファたちと、最高の雄 を我がものにしようと狙いを定めるオメガたち。
和やかだった空気は一点、食うか食われるかの狩り場と化したそうだ。
「……すまん。酒々井は大丈夫だったのか?」
「俺は事前に抑制剤を飲んでたからな」
酒々井と同じく、万一に備えてラット抑制剤を服用していたアルファがその場を統率したおかげで、悲惨な目に遭うオメガはいなかったらしいが。
「でも俺ともう一人のアルファ以外の全員が、本能剥き出しだろ? 一色即発の危険な状態だったわけよ。それで合コンが終わった後は、俺以外のオメガが全員お持ち帰りされて」
「おぉぅ……」
「一応気になったから、朝になって全員に連絡取ってみたんだけどさ。案の定全員ヤっちゃってた」
「そ、それは申し訳ないことを……」
「いや、皆幸せそうだったから、それは問題ないと思う。ただし一人だけ、未だに連絡が付かないヤツがいてな」
「え、それってもしかして」
「勢いで番になって、アルファに離してもらえない可能性も高い」
蜜月中のアルファの執着は異常だって言うからな……酒々井は遠い目をしてそう呟いた。
――お、俺はなんてことをしてしまったんだっ!
双方同意のうえならともかく、ただ勢いで番ったとしたらどうしよう! 完全に俺のせいだろ!?
でも俺だって、まさかあんなところで発情するなんて思わなかったんだよ!
いや、そんなこと言ってももう遅い。
あああああ、俺はなんてことをしてしまったんだっ!!
「んで、お前はどうなんだよ」
狼狽える俺に、酒々井は冷ややかな視線を投げかけた。
「どうって?」
「あの後どうなったのかって聞いてるんだよ。あれ、お前の『運命の番』なんだろ?」
「なぜ……それを……」
「普段からヒートが激軽 のお前が、突然あんな状態になるなんてあり得ない。第一、ヒートはまだ当分先だろ?」
「あと、二ヶ月後くらい?」
「それがいきなり、あんな大量のフェロモンぶちまけるなんて、『運命の番』に出会ったことくらいしか考えられねーだろ? んで、番ったのか?」
「まさか! 冗談言うなよ」
「番ってない……だと?」
酒々井は信じられないものを見るような目で俺を見た。
どうでもいいけど、そんなに目を見開いたら、大きな目が零れ落ちるんじゃないかと心配になる。
「あの状態で、なんで番ってないんだよ!」
「いやさ、暴れた拍子にみぞおちに足がめり込んで」
「うっわー、暴力沙汰かよ」
「偶然だ!」
「それでまんまと逃げおおせたと」
「おうよ」
「しっかし、なんで逃げるかねぇ」
酒々井はほとほと呆れた顔をする。
何万分の一、何十万分の一の確立でしか出会えないという『運命の番』に憧れるオメガは多い。酒々井も口では「『運命』となんて出会えっこないって」と言っているけど、実は密かに『運命の番』に憧れていることを、俺は知っている。
そんな酒々井から見たら、俺がやったことはオメガの常識から外れているんだろうけど。
でも俺はやっぱり、『運命』に翻弄されたくない。
――だって、俺は俺だから。
今まで自分が作り上げてきた、『俺』と言う存在。
それをポッと出の『運命』によって、壊されると思うと恐ろしくて仕方ない。
「そんなに嫌なもんかねぇ、『運命の番』が」
「当たり前だ。俺の兄を見ろよ!」
番を得て、人生が百八十度変わってしまった兄さん。
ここ最近はまた落ち着きを取り戻してきたけど、それでもやっぱり以前の兄とはまるで違う。
「俺の好きだった兄は、もうどこにもいない……こんな悲しい結末を迎えるくらいなら、俺は一生、番なんていらない」
「んな大袈裟な。いい加減目を醒ませよ、ブラコン野郎」
「誰がブラコンだ、ゴルァ!」
酒々井と舌戦を繰り広げながら歩みを進めていると……ふと、ベルガモットの香りが鼻腔を擽った。
――あれ、この匂い……。
嫌な予感がする。
脳を直接揺さぶるような芳香……これは……まさか……。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
まずい。これは激しくまずいぞ。
今すぐ逃げなくては……!
「酒々井、悪い。俺ちょっと急ぐから」
「おい、久住。どうしたんだよ」
「理由は後で!」
訝しむ酒々井を残して、颯爽とその場を後にした俺だったが。
ガシッ。
走りかけた瞬間、その腕を掴まれてしまった。
逃げ出すことも叶わない、強い力。
ベルガモットの芳香が、俺の全身を包み込む。
「あ……う……」
逃げられない……そう悟った瞬間、全身に冷や汗がブワッと浮かんだ。
全身を震わせる俺の耳元で「やあ!」と耳障りのいいテノールボイスが聞こえた。
「また会えたね、ハニー!」
「俺はハニーなんて名前じゃねえっ!!」
その手を振りほどこうと全力で藻掻くも、振りほどくことはできない。
「は、な、せ、よっ!!」
「それはできない相談だな」
次の瞬間、俺は男の胸の中に囚われていた。
刹那、周囲から沸き上がる黄色いどよめき。
「第一なんでこんなところにいるんだよ!!」
昨日の合コン相手は皆、別の大学の奴らと聞いた。
だからこの男がここにいる理由がわからない!!
「そりゃ大学名は、合コン前に伝え聞いていたからだよ、久住雅 くん」
「え……なんで、俺の名前……?」
「今朝オメガの幹事くんに連絡して、教えてもらったんだ」
なんだとっ!?
「俺らが『運命の番』って言ったら、快く教えてくれたよ」
人の個人情報をなんだと思ってやがるっ!!
「とにかく離せよ!」
「全く元気な仔猫ちゃんだ。でも昨日みたいに逃がさないからね?」
俺をまっすぐに見つめた男の目は、獲物を狙う猛禽類のそれと同じものだった。
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