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試読1
「さあみんな集まって。有留蘇のおばあちゃんが昔語りをしてくれるわよ!」
若い娘のその声に、木の枝を剣に見立てて打ち合う少年たちは駆け出し、粘土の塊を人形に見立てて向かい合う少女たちは歓声を上げた。この数十年を経て整った街並みの中、孫娘に体を支えられた老婆が、広場の椅子へ腰かける。途端にその周りは子供らに溢れ、爽やかな騒がしさに包まれた。
「有留蘇おばあちゃん、今日はなにを話してくれるの?」
誰かがそう呼びかけると、有留蘇と名を冠した老婆はそのしわくちゃの頬を揺らしながら口を開いた。声は見た目ほど老いてはおらず、聞き取りやすいものだ。だからこそ子供らは、かの老婆の話を飽きずに聞くのだった。
「そうねえ。じゃあ……男の子たち、いま髪の毛はどうしてる?」
「頭の上!」
「結ってるー!」
有留蘇が問いかければ、五、六歳程度の少年たちは口々にそう叫ぶ。彼らの若くつややかな髪は、馬の尻尾のように結われていたり、あるいは葛巾に包んでまとめ上げられていた。
「そう。そうね。それじゃ、どうしてみんなは髪の毛を結んでいるのかしら」
「結ばなきゃいけないんだってー」
「父さんも毎朝そうしてるわ」
今度は少女たちも加わって、好き好きに声を発した。少年に対して、少女らの髪型は比較的に自由であった。ませた子なんかは、耳元に桔梗の花を挿している。
「うん、うん。どんなことにも、理由っていうものがあるのよ」
今日は、そのお話──……かくして老婆は、静かに語り始めた。
それは遠い遠いむかし、まだこの国が建つより、遥かむかしのこと。とある岩崖を住処にする恐ろしい大蛇があった。それは鰐龍と呼ばれ、口を鰐のように大きく開いて赤子を一飲みし、尾を龍のようにしならせ成人をなぎ倒すことから、その名が付いていた。
鰐龍に怯え暮らす人々であったが、ある時、一筋の光明が差す。雄々しく、そして凛々しい青年が立ち上がったのだ。自慢の黒く豊かな長い髪を、旗のようになびかせる姿は神々しさすら感じられ、彼を英雄と誉めそやした。
やがて訪れる決戦──行く末は、英雄の勝利であった。しかしその自慢の黒髪に、あろうことか大蛇の牙が引っ掛かってしまったのだ。絶命し、崖を落ちていく大蛇の重さに逆らえず、英雄もろとも消えた。
この事から、現在も『黒髪岩崖』と伝わる場所が国の各地に在る。
こうした所以から、男性が髪を下ろすことは好ましくない、恥ずかしいこととされた。転じて、気を許した相手の前でのみ許される行為となったのだった。下髪の仲、といえば、この国では妻と同等に親しい友人、恋人とされるのだ。
このように、悪い意味だけではないが、それでも外を出歩く際に、髪を遊ばせる男はいない。いるとしたら罪人か、よほどの変わり者かである。
「いいかい? だからね、むやみに髪を下ろしてはいけないよ」
有留蘇は言い聞かせるように子供らを見渡した。世にも恐ろしい大蛇の話を聞いて、半数以上の少年少女は息をのんで怯えている。きっと今夜は、母親の寝床に潜りこんで、一緒に眠ることだろう。
「有留蘇のおばあさま」
ついと、子供の塊の中から、白い手が真っ直ぐに上げられた。そのいで立ちには少年の育ちの良さがうかがえる。
「なんだい、坊や」
「それを、変えることはできないのですか?」
まったく疑問なく、それを口にしたのは利発そうな少年であった。少年の後頭部で結われた滑らかな黒髪がふらりと揺れる。周囲の子供たちは、少年の言葉に首を傾げたり、あるいはくすくすと笑ったり……一切の同調の様子もない。
「おやおや、ずいぶんと聡い目をした子だこと。うーん、そうねえ……いまのところは難しいだろうね」
老婆の言葉に、矢張り、と子供たちは頷きかけたが、彼女の答えはまだ終わってはいなかった。
「けれどまた、新たな英雄が現れて……髪を下ろしていたら、変わるかもしれないよ」
「髪を下ろした、新たな英雄……」
「そう。それを目指してみるのも、未来があっていいかもしれないねえ……」
有留蘇はそう言うと、子供らの深い海のような、可能性を秘めた瞳を一粒ずつ見渡す。柔かい老婆の微笑みに、孫娘も、少年少女らも釣られて笑うのだった。
「坊や、名前は?」
「はい。僕は──」
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