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息を吸うことを意識しないように

 息を吸うことを意識しないように、そんな感じで俺はギターを弾いていた。決められた曲目を毎日黙々と弾く。ギターをBGMにするBARなんて珍しい。珍しいのかな。分からない。  黒いマスクをして髪は重めのミディアムマッシュ。そしたら顔があんまり見えないから。誰も俺の演奏なんか聴いちゃいない。たまに「あ、この曲知ってる」って声が聞こえる時もあるけれど、それは俺の演奏に耳が行ったんじゃなくてメロディーに耳が行っただけだから。 『交際のきっかけは?』  今朝なんとなくみてしまったゴシップ誌の記事を思い出す。 『打ち上げの席で知り合いました。』  嘘。生まれた時から決まっていた女だ、それは。だろ。俺も300回くらい一緒に遊んだ。いや知らんけどね。彼女は由緒正しきαで、お前も由緒正しきαで、生まれてくる子も由緒正しきαが望まれている。いい女だよ。優しい人だ。野心家でストイックだ。彼女は周りに望まれるがままの立派な女優になった。  そしてお前も、引かれたレールを期待された五倍も六倍も速いスピードで駆け抜けている。はず。伯母さんは随分鼻が高いに違いない。 『婚約のご予定は?』 (一同笑)。 『それはまだ、これからのことですから。』  これからのことですから。嘘。23になったら婚約するんだろ。知ってる。言わないけどな。  あと半年もない。  αの世界って嘘ばっかりだ。あれも嘘、これも嘘、どれもこれも嘘。マシュマロをチョコレエトでコーティングするみたいに、嘘で包むと話が三つ四つ、二つ三つぐらい美味しくなるから。  でも俺に向けられた失望と悲しみと、遺憾と、諦めと、侮蔑は本当だったな。  そこにいる時はあたり前だと思っていた世界でも、改めて外から見て見るとすごく華やかでやっぱりβには眩しい。ちょっとしたαはその世界を目指して頑張ることができる権利と才能がある程度で、βにはなかなか難しい世界だ。あちらでもこちらでも羨望が湯水のように沸いてくる。したくなくてもそういう話題になる。    嫌でも付いて回る。お前が。呪いみたいに。 ……あなたって、歌手の(がく)に雰囲気似てるよね。  こんな廃れた地下のBARで、マスクと髪で顔を覆っているのに頻繁に言われる。相手にとってはこの上ないくらいの褒め言葉でも、俺にとっては古傷を抉るような妖刀みたい。  俺は黙って首を傾げて笑うだけ。

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