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音に集中する

 音に集中する。旋律を弾くと言うよりはむしろ紡ぐ感じで。いい感じ。そうすると自分が弾いているのに自分が弾いている感じがしなくなる。指は勝手に弦を押さえて弾き、弾いては押さえ、心はメロディーの中に流されてすり潰される。脳髄は思考を停止する。ちょっとしたトリップ。いいね。そう思う自分がどこか遠くで旋律を聞いている。  この瞬間だけ俺は自由だ。自分に囚われないでどこまでも泳いでいける。どこまでもどこまでも。まるで太海を毅然と、悠然と、狼藉と、優雅に泳ぐくじらみたいに。  胸が苦しくなった。  萼の横顔を思い出す。自分とよく似た彼の横顔を認めると、彼の隣にいるのが自分であることを誇りに思わせてくれた。  あの頃のギターは今よりずっと大きく感じた。弦を押さえる指は死ぬほど痛くなって絆創膏を貼った。手も小さくてFもBもなにもかも押さえられなくて二人でなんとか押さえたっけ。すごく歪な音がしたけど、楽しかった。楽しいって、その気持ちだけで、それだけで最早音楽だった。  萼は……当時からもうずっとαの中のαだった。なにをやらせても上手に求められる以上にそれをこなした。顔付きもあどけない中に精悍さと他者の追随を許さないオーラがあった。皆はそれを畏怖した。そして痛切に憧れた。  俺はよく比べられた。比べられて責められもした。萼と並べそして越えろ、と、母にまじないのように浴びせられた。  まあ分かるよ。従兄弟だしな。  俺の母と萼の母は双子なんだ。俺の母は妹で、自分もよく姉と比べられたんだろう。知らないけど。双子ってどんな感じなんだろう。俺と萼の関係とは違うのかな。家族だもんな。萼と家族になれたらいいのに。自分に負い目のない母から生まれて同じ環境で育っていたら、俺だって萼みたいに少しは輝けたのか。すぐ隣で萼を支えられたのか。萼を越えろ、越えろ、と母の声が耳の奥にこびりつくこともないのかな。  容姿も歳も血液型も同じなのに、萼にあって俺にないものは星の数ほどあった。 『また誰かになにかを言われた?』  放課後、学校で一人残ってギターを弾いていたらいつの間にか萼が隣にいた。あれは高3の冬だったな。大学受験も終わって暇を持て余していた。デートなんかしたい放題できたけど許嫁にはすっかり嫌悪されてこの歳ですでに破談していた。随分いいところのお嬢さんだったから、母は俺を責めに責めたね。うん。彼女を作る元気もなかった。  この頃には僅かだった俺と彼の差は誰にでも歴然なほどになっていた。  身長も体格も彼の方が逞しかったし、人徳も成績も才能ももはや努力で追いつくことのできる距離を圧倒的に凌駕していた。俺は学校の中では落ちこぼれだったし、彼は学校外でも超がつくほどの有名人だった。  学部は違うけど萼と同じ大学に入ることができたから、俺の自尊心も他者からの評価も首の皮一枚繋がっている感じだった。  こんなにスペックに差があるのに、雰囲気はやっぱり似ていた。それが嬉しくもあったし、辛くもあった。  手を止めて萼を見る。窓から西日に照らされた彼は眩しい。ただでさえ眩しいのに。 『毎日なにかしら言われてるから。多方面から。それも全部芳しくないやつ』  ずっと声を出さなかったから、少し枯れていた。 『どんな、』 『「αの恥」「ヘタクソ」「馬鹿」「なんだ(あざみ)かよ」「萼のなりそこない」』  自分で言うと、なかなか嫌な気分になるな。

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