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ついため息が

 言われた時のことを思い出したらついついため息がこぼれてしまった。幸せが逃げるタイプのため息だ。俺がため息を漏らしたタイミングと、萼がため息を漏らしたタイミングは謀ったようにピッタリだった。  机の上に座っていた俺の隣に、萼が当たり前のように座る。辺りには誰もいない。萼のスイッチがoffになったことに俺は気づいた。 『そいつらみんなボコボコにしてやろうか』  まあ野蛮。みんなの知っている萼からは信じられないような言葉だ。  こいつは普段わりと猫を被っている。周囲から望まれるような優等生を装っている。本人もそれは自覚していると思う。案外子どもっぽいところもあるし、歯の浮くような言葉もさらりと言っちゃうくらいにはロマンチストっぽいところもある。  猫を被っていようがいまいが、彼がαであることは間違いようのない事実だった。  声は普段より少し低めで、しぼんだ風船のように気だるげで、目つきもすっかり穏やかだ。 彼曰く、こういう無防備な姿を見せるのは俺だけらしい。もっと見せた方がいい相手なんか星の数ほどいそうなものだけど。 『一体あーちゃんのなにが分かるんだよ。赦せない。首席権限で痛い目に遭わせてやる」  お前といると色んな人から比べられるし、自分も辛いし、すごく妬ましいから、大っ嫌いって逆ギレしてもいいんだけどね。どうもそういう気が起きない。嫌いになれない。なんで、って言われたとしても萼だから、としか言いようがない。  逆に。俺がこれだけ落ちこぼれだと圧倒的大多数から思われているならば、反比例して萼はもっと輝くんじゃないかなって、思ってしまうんだ。  それは、いいことじゃないか。 『あーちゃんって言うのやめろって言ったろ』  幼い頃から萼は少しも変わらない。 『いいじゃん2人だけなんだから』 『……まあそう言われればそうだけど』  ふふ、と萼は笑う。眠りから目覚めた優美な猫のような姿だった。  こんなに無防備で少しも見栄を張っていないのに、それでも彼はやっぱりαだった。しかもただのαじゃない。とんでもなくαなのだ。  俺はもう一度深い溜め息を吐く。 『俺、最近自分がβなんじゃないかって思うよ』  わりと本気の不安だった。高校も2年生を過ぎて、萼との体格差が歴然になってきた頃からじわじわと考えていたことだった。  本音だった。  なんで俺には萼にはある人を支配するような荘厳な迫力がないんだろうって。  そんな不安を萼は簡単に一蹴する。 『ないない。有り得ない、あーちゃんがβだなんて』  正直言って、俺は彼のその言葉を期待していた。 『その自信はどこから湧いてくるんだよ』  俺はいよいよ呆れたふうを装いながらも、心の中でもすごくすごく安心したんだ。 『だって光ってるよ、あーちゃんは。痛切に惹き寄せられるなにかがある。βには絶対にない』  いつも思うけど、そういうふうに俺を評価するのは萼だけだからな、とは言わない。一人でもそう言って慰めてくれる人がいるっていうのは、否定していいことじゃないししたくない。  

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