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案外
『案外Ωだったりして』
俺は大概かまってちゃんだ。
萼は俺が望むような反応をしてくれる。笑ってないない、と首を横に振るのだ。
『βより有り得ない。Ωって女性の個体ですら少ないのに、男性個体のΩって三毛猫のオスよりずっとずっと少ないんだよ』
俺は会ったことない、と萼は最後にどうでもいいことのように呟いた。頭で分かってるよ、と俺は暗い気持ちで言う。
でも、ゼロではないんだ。
スルスルと俺の腕からアコースティックギターが抜ける。
萼は俺のギターをぽろぽろと弾き始めた。大して高いギターでもないのに、彼が弾くとギターも空気も息を吹き返すように震える。
俺の好きな歌手の曲だった。俺も好きだということは萼も好きだということだ。だいぶギターに慣れ親しんでいても押さえるのが難しいコードで、随分苦労した。今でも若干上手に押さえられない部分もあるのに、萼の大きい手と長い指は別の生き物のように器用に押さえる。なんだよA♭M7って。ぱっと見分かんねえよ。♭だの♯だのがつくと取りあえず顔が不細工になる。
俺の手は小さくて結構苦労するんだ。上手くもないしな。
『ほら、あーちゃん、歌って、サビから』
思いがけない言葉に顔をしかめた。萼は俺よりずっと歌が上手い。父親の血をちゃんと受け継いでいる。
『自分で歌いなよ』
『俺には高くて歌えないよ』
『出るだろ。ミックスかファルセットで。それかピッチを下げればいいじゃん』
『それじゃだめなんだ、あーちゃんの声じゃないといやだ』
我儘かよ。
『……あーちゃん、』
萼は悲しそうに眉を傾げて首を傾げて俺を見上げる。
負けた。頭を掻いて口を開く。
声変わりらしい声変わりが来ていない俺の声には容易い。掠れないソプラノ。馬鹿にされるからいつの頃からか声を出すことをやめた。少年よりは低いかもしれないけれど、同世代と比べたらずっとか細くてひ弱で嫌いだった。
萼の前でしか喋ろうとすら思わない。どうしても喋らなければならない時は声があまり分からないように小さな声で囁いた。
俺の歌うメロディーに合わせて彼の声がユニゾンする。結局歌うんかい。
『あーちゃんの声、本当に癒される』
噛み締めるようにそんなこと言わないで欲しい。
自分が嫌いだと思っている自分を好きだと言わないで欲しい。
泣きたくなってしまうから。
心は複雑で、変な気持ちになりそうだった。窓を見たら夕暮れのオレンジと宵闇の群青がカクテルみたいに合わさって綺麗。煌めく星はクラッシュアイス。
馬鹿か。
『なあ萼、俺が仮にΩだったらどうする?』
メロディーが終わったあと、ポツリと俺は問いかける。
ええ、と萼は信じられないくらい間の抜けた声を出した。しばらくの間の後、俺の顔を俺とよく似ている彼の顔が覗き込む。
『ちょっと困るかな』
ちょっと困るかな。
頭の中で反芻する。
彼をちょっと困らせる俺は。
いない方がいい。……イエス。
いない方が。
俺なんかいない方がいいのです。
「……っ……!」
どきりとした。
我に返ったら、まばらにでもいたはずの客は誰一人いなくなっていた。
指が止まると空間は死んだように静かになる。全身から汗が吹き出ていた。
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