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第1話 双子の兄

 体育館の入口から、目つきの悪い大柄な男がポケットに手を突っ込んで出て行く。隣のクラスの矢島だ。すれ違いざま、俺を見てぎょっとしたように眉を上げた。いましがた別れた相手と同じ顔だから、驚いたのだろう。  俺は軽く会釈をして、板張りの体育館に足を踏み入れる。 「相沢の弟のほうか。……紛らわしい面(つら)しやがって」  舌打ちと共に吐き出された言葉を聞かない振りをして、俺は双子の兄がいるだろう体育倉庫へと足を向けた。  予想通り、マットに寝転がりネクタイで手足を縛られている兄を自由にしてやると、手首には赤い痕がくっきりと残っていた。 「……ありがと、かずは」  はにかむように微笑む兄は、自分を縛れと要求をするような男には見えない。成長の早い俺より五センチ低く華奢で、大人しい優等生という印象がする。 「兄貴も毎回懲りないな。クズばっかり。あんな奴のどこがいいんだ?」 「俺の要求を聞いてくれるところ、かな」  悪びれない兄を見下ろし、俺はため息を落とす。  兄がこうなったのには、原因がある。二年前、付き合っていた男に縛られたまま真夏の密室に放置されたのだ。  なんでもそうすることが恋人への忍耐を試すための試練で、長く耐えられれば、兄からの愛が本物であると証明出来るというのが男の持論だったそうだ。  ばかばかしいとは思うが、恋人からの言葉を真に受けた兄は、放っておかれたことを恨んだりしなかった。  それどころか、その男に完全に捨てられてから、兄は少し壊れたようで、似たような「試練」を新しく付き合う男たちにも要求した。そのたびに「変な奴」「イカレている」と言われ、面白がって縛るところまでは皆やってくれるが、その後身動きの取れない兄に飽きて放置されてしまうのが常になっている。 「兄貴を捨てた男も、ここまで忠実に試練とやらを守ってくれるとは思わなかっただろうな」  埃くさい体育倉庫で、ネクタイを緩め赤くなった手首をさする兄を見下ろす。 「俺がもっと耐えられたら。……愛情が本物だって証明出来たら、皆も信じてくれる」  服装を整えながらうわごとのようにつぶやく瞳には、なにかを心から確信する者独特の光が宿っている。哀れだ、という気持ちと、俺ならこんなことをさせたりしないのに、という気持ちがないまぜになって腹の底から湧いてくる。  俺は幼い頃から、兄のことが好きだ。兄は自然に親しみ、特に変わってゆく雲の風景や川の流れなどを見るのが趣味で、何時間でも見ていられる。年齢以上に純粋な男だと思う。  成績は上位だが、人一倍優しく闘争心に欠けるせいか、幼い頃はよく同じ歳の奴らからもいじめられた。そのたび、対等な喧嘩なら負け知らずの俺が助けていたものだった。 「かずは、どうしたんだ?」  考え込んでいた俺の顔を、兄が座り込んだまま不思議そうにのぞき込む。 「もうここから出ようぜ。そろそろ運動部のやつらが部活をはじめる時間だ」  ほら、と手を差し出すと、彼はホッとしたように微笑んだ。 「かずはだけだよ。俺を見捨てないのは」 「……双子だもんな。家も同じだし、兄貴がこんなになった経緯も知ってるし、見捨てられねぇよ」  立ち上がった兄のクシャクシャになった髪を手櫛で梳いてやる。ちゃんとした櫛じゃないから細かな毛束が浮いているが、なにもしないよりはマシだろう。  教室から持ってきた鞄を渡し、家路に着く。グラウンドを横切って裏門から出ると、俺たちの家に近い。少し先を歩く俺より華奢なブレザー姿を眺めていると、抑えきれない気持ちが湧いてくる。 (……俺なら兄貴を、あんな目に遭わせたりしない)  縛れと要求されるならするけれど、すぐに拘束を解いて抱きしめてやる。  幼い頃から、喧嘩の弱い兄を俺は守りながら成長してきた。今も面倒を見ているあたり、あまり変わりはないように思う。  ただ、他人の言うことを鵜呑みにしてしまうような純粋さを持つ彼が、俺にはたまらなく愛しい。  皆、知らないのだ。 「試練」を乗り越えたら愛が本物になると信じる、愚直なまでの彼の一途さを。 「相沢」という表札が架けられた門をくぐり、俺たちはそれぞれの部屋に入る。両親は共働きで、夜七時頃にならないと帰ってこない。  夕飯は、菓子や冷凍のものを適当に食べたりしているうちに、母親が帰ってきてちゃんとしたものを作ってくれる。年頃の男子高校生なんてこんなものだ。  どうしても腹が減ったときは、俺がパスタやチャーハンを作って兄に振る舞ったりする。ほとんど茹でたり炒めたりするだけなのに、いつも兄は嬉しそうに俺の作る飯が上手いと言ってくれる。その笑顔を見ると、疲れも吹っ飛ぶ。  深夜、二段ベッドの上で眠る兄の健やかな寝息を聞きながら、俺は下肢に手を伸ばす。昼間、体育倉庫で見た兄の頼りなげな笑顔を思い浮かべ、息を殺して自分を慰める。いったい、何度こんな夜を過ごしただろう。  俺は、気持ちを表沙汰にするつもりはない。  血の繋がった兄弟、しかも男同士だ。世間的に認められることなどないだろう。それに、なによりも俺を信じ切ってくれている兄の気持ちを裏切るのが恐ろしい。  兄にだけは、嫌われたくない。

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