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第2話 真実

 翌朝、寝不足のぼうっとした頭で教室に入ろうとした。  すると昨日体育館で会った矢島が、肩をそびやかして数人を引き連れ、こちらに向かって歩いてくるのが目に入った。取り巻きどもは皆、制服を着崩した柄の悪そうな奴らばかりだ。 「相沢がよぉ……」  体が大きいと声もでかいのか、俺たちの名字がはっきりと耳に飛び込んできた。 「自分を縛ってくれって言うんだよな。俺にはそんな趣味はねぇけど、挿れてもいいって言うから二つ返事で縛ってやった」  ざわ、と取り巻き達がどよめき立つ。 「すげぇ、そんな奴いるんだな」 「マジかよ、どうだった? 男だけどよかったか?」  下品なほどあけすけに尋ねる声が廊下に響く。 「ああ、男と思えないほど気持ちよかったぜ」  ヒヒヒ、とひきつれたような下卑た矢島の笑い声がする。瞬時に頭が熱くなってゆくのを感じた。 (縛るだけじゃなくて、体まで……!? 嘘だ、なにかの間違いだ!)  矢島たちの集団が、どんどん俺に近づいてくる。通り過ぎる瞬間目が合った。明らかに馬鹿にした顔つきをした矢島が、周りに聞こえるような大声で言い放つ。 「お前らも、今度こいつの兄貴にやらせてもらえよ」 「……っ!」  次の瞬間体が勝手に動き、矢島の襟首を掴んでいた。 「なんだ、兄貴をやるにはお前の許可が必要なのか? んなわけねぇよな、あいつは自分から俺を誘ったんだぜ」  その言葉に着火された俺は、自分よりも体の大きな矢島の顔に目がけて拳を振りかぶった。歯に当たったせいか殴る側のこちらの手が傷ついたが、そんなことに構う暇はなかった。  二発、三発。矢島に蹴りを入れられても、俺は奴を殴り続けた。  気づいた時には取り巻き達や教員に取り押さえられて職員室にいた。耳の遠くから教員の声が聞こえてくる。 『きみがこんなことをするなんて残念だ。今まで暴力問題など起こしたことのない生徒だったのに……』  そんな言葉が耳鳴りのようにするけれど、俺の頭の中は矢島に犯される兄の姿で一杯だった。 「かずは、迎えに来たよ。謹慎処分になっちゃったんだって?」 「兄貴……」  両親が働いているせいか、教師の説教が終わった昼頃職員室に姿を現したのは、喧嘩の遠因となった兄だった。 「先生、弟がお騒がせしてすみませんでした」  優等生らしく職員室の出入り口で頭を下げ、呆然とする俺の手を引いてくれる。家の玄関を合い鍵で開けた辺りで振り向き、眉を下げ気遣うような表情になった。 「もしかして、今日の喧嘩は俺のせいなのかな。昨日、矢島に縛られたから怒ってくれたの?」  その名を聞くと同時に、矢島の腰に下肢を絡める兄の姿が浮かんできて、再び頭が沸騰しそうになる。 「縛ってもらったのは兄貴の意志だろ。俺がショックだったのは、兄貴が矢島に、矢島なんかにいいようにされてたって知ったからだ……っ」  俺はどこにぶつけたらいいのか分からない怒りに支配され、繋がれた手にぎゅうっと力を込めた。  純粋で綺麗な兄があの野蛮な矢島に。いや、矢島だけじゃない。きっと最初に契約を持ちかけた男とも関係していた。  俺が好きで一途に守ってきたのは兄だけなのに、兄は色んな男たちに足を開いていた──。 「かずは、痛い……っ」  きつく握りすぎた手を振りほどかれ、ハッと我に返る。  気付くと今いるのは家の玄関で、兄はまだ靴を履いたまま一歩後退っていた。そのとき、まだ正午にもなっていない明るい陽光が玄関の明かり取りを通して兄の顔に降り注いだ。 (──ああ、俺とほとんど同じ遺伝子で構成されているのに、心は違うんだ。こんなに兄貴を好きな俺がいるのに、他人にやすやすと体を明け渡すんだ)  兄を照らした光のせいだろうか、俺の心に今まで考えもしなかったことが浮かんでくる。 「俺達の部屋に行こう。兄貴がいつも他の男たちにしていた要求、俺が全部聞いてやるよ」  俺より少しちいさな手を取り、自分たちの部屋がある二階へとゆっくり連れてゆく。 「……かずは?」 「この家にロープってあったかな? 紐でもいいよね、とにかく縛れれば」 「かずは、なに言ってるの?」 「兄貴の望むようにしてあげる。縛って好きなことをして、気持ちよくしてあげる。ずっと黙っていたけど、俺は小さい頃から兄貴の優しくて純粋なところが好きだったんだ」  言い終えて階段を登りきると、生まれて初めて理解出来ないものを見たという顔をした兄がいた。 「かずはが俺を? 今まで一度も、そんな素振りさえしなかったのに」 「兄貴に嫌われたくなかったから。同じ男で兄弟だから拒絶されるのが怖かった。だけど、矢島みたいな奴よりは俺のほうがましなはずだよ。俺じゃ兄貴の恋人になれない?」  兄の眉がクシャッと真中に寄り、駄々をこねるような声が聞こえてくる。 「だってそんなこと、考えたことなかった……っ。お前はいつも俺の味方で、俺を無条件で助けてくれて」 「好きだから。だからなにがあっても、兄貴のことを見捨てたり出来なかったんだ」  まだ怯えているような兄の肩に手を添え、抱きしめ背を撫でてやる。 「怖がらないで。大事にするよ。望むことをなんでもしてあげる。傷跡が付かないように綺麗に縛って、好きなだけ試練を与えてあげる。セックスが終わっても俺は絶対に兄貴から離れない。……だって俺たち、双子だろ?」 「かず、は……」  抱き合ったままうなじに舌を伸ばすと、兄の体がふるりと震えた。  嫌がっていない。体だって抵抗していない。  耳朶に唇を添わせ、彼にだけ聞こえるように好きだ好きだと何度も囁く。兄が陥落するのに、そう時間はかからなかった。  狭い二段ベッドの下段で、俺達は重なり合った。もちろん兄には手枷を装着したが、足は大きく開けられるように、ことが終わるまで縛ることをやめた。初めて愛した兄の体は水蜜桃のように甘く、もうこれからの人生、彼なしでは生きていけないだろうと思われた。 「……兄貴、寝たの?」  縛られたままの兄に話しかけると、すうすうという寝息が聞こえてくる。いつも通り、びっくりするほど寝付きがいい。  俺は居場所を遠慮しつつ、疲れた頭をのろのろと動かす。  ―自分を縛って犯してくれるならだれでもいいなんて、相手を無視したひどい話だ。  兄は自分に都合のいいご主人様が欲しかっただけなんだ。……それが俺で、いったいなにが悪い? 【了】

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