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俺は伊藤誠(いとうまこと)。 この春、新社会人になったピチピチの1年生だ。まあ、2ヶ月経った今は、ピチピチじゃなくてヘロヘロでヨボヨボという方がいい。 「伊藤くん、これお願いできる?」 「はい、いつまでに何をしますか?」 「明日の昼までに基本検査お願い」 こうして今日も残業が確定する。 定時で帰れたのって、最初のオリエンテーションの時だけだったなあ。他の同期たちは今でもOJTなるローテンション制の研修期間なんてものの最中なのに、俺だけは初日のオリエンテーション以降はすでに配属された。 曰く、その部署に入れたらこの会社ではエリート街道まっしぐらで間違い無いと言われる社長直下の技術部。 実際、今の社長も過去に技術部の部長だったらしいし、各地に点在する支社の偉いさん方も大体は技術部出身。そんなわけで、ここに入れるのはエリートコース間違いなしと言われている。そんなところに俺が配属?とビックリしたし、数回しか顔を合わせていない同期もおめでとうと祝ってくれた。 そうして同期たちとは全く違う新社会人になったが、すでに後悔している。 今は夜の7時。すでに残業中だ。 それなのに明日の昼までの案件が増えた。 キャパシティオーバーも良いところだ。 同期たちはすでに帰っているし、なんなら技術部と一部の営業以外はほとんど帰っているのに俺は帰る目処が立たない。 「伊藤くん、大丈夫?」 「はい、大丈夫です」 「入社してから痩せたよね。ちゃんと食べてる?」 「そういえばあんまり食べてない気がします」 俺の心配をしてくれたのは同じ技術部の鈴木さん。唯一の女の人。技術部のムードメーカーとも言える。 「今日も俺らは残業かあ」 「いつ野田さんに辞表提出しよ……」 「出さないでね」 「そういう野田さんだって辞表は持ってますよね?」 「いつでも辞める覚悟はできるてるって意味でね。伊藤くんはちゃんと書いた?」 「え、ええ。はい。配属したその日に辞表を書けと言われてびっくりしました」 「「「必要だから」」」 そんなみんなしてハモらなくていい。 野田さんは今の技術部の部長。俺の直属の上司に当たる。あともう1人、内村さん。この人は係長なんて役職らしいけど、4人しかいない技術部の中で必要な役職なのかはよく分からない。 配属されて、緊張しながら挨拶した俺に野田さんが言ったのは辞表書いて、だった。 どうやら全員が全員、やめたいと思うほどのオーバーワークらしい。夜が更けて、技術部以外が居なくなると、いつも穏やかで静かな野田さんは叫びながら仕事をしているし、内村さんは娘に会いたい起きてる時間に帰れないと嘆いているし、鈴木さんは笑顔を見せることなく無言で黙々と仕事をしている。 普段からは想像できないけど、そうしたくなるほどにうちの部署は忙しい。 「今年俺の同期って8人居たんですけどなんでもっと技術部に入れないんですか?」 「伊藤くん、入社していきなりそれ渡されて何かわかる?」 「IRの結果ってことくらいしか分かんないです」 「こっちは?」 「これは………成分的にガラスっぽいなってくらいしか分かりません」 「それがすぐに見てわかる人ってそう居ないんだよね。理系だから分かるってものでもないし。その点伊藤くんは偶然にも有機物にも無機物にも強くて、それなりに機器を使ったことがあって頭がいいときた。最低限育てて最大限使おうってことだよ」 「………俺、記憶喪失になりたい」 「「「俺(私)たちが困るからやめて」」」 だよな。4人いてこの仕事量。1人減った時を考えると恐ろしい。メンバーに恵まれたからこそなんとかやっていけてるけど、パワハラ上司とかいたら俺この辞表提出してる。 「後からここに来たりって……」 「1人増やしたいところではあるんだけどね」 「やったぁあ!」 「伊藤くんにはX線かかりきりになって欲しくて、社長に人手くれって言ってるからね」 待って!それ俺激務に変わりないやつ!!! 言われたそれは扱いが難しくて、技術部の中でも俺と野田さんしか使わない。俺がそれを使えるのは、偶然大学でそういう機器を使った研究に参加していたからだ。 「………癒しが欲しい」 「彼女は?」 「激務過ぎて振られました」 「………あと10年も経てば激務だけど給料いいから、ね?」 「うちの初任給の恐ろしさ、知ってますよね」 「「「…………」」」 渋い顔して頷く上司たち。 「この激務で地元にも帰れず、初任給はたったの4万。振られました。………俺、なんかしました!?」 「伊藤くん、10年経って俺と同じ年になればその10倍はあるから、な?」 「4年目の私でも30万とかあるし、ね?」 「伊藤くんならいい子が見つかるよ」 「出会う時間もないのにぃ」 アハハと笑い声が広がったけど、笑うところじゃない。 この激務の中どう出会うと言うのだ。 出会いなんてなくていいから、癒しが欲しい。疲れた体に染み渡るような癒しが欲しい。

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