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第1話 本日は閉店なり

 本日は晴天なり――されども、心中は暗転なり。 「本日は閉店なり、心中はヘトヘトなり……なんちゃって、はぁあ」  昔、中学生の頃に書いた、ちょっと文学かぶれした自分の名文を一つぽつりと口にした。  いや、あれです。名文、だ! って思ったのは、この世に生まれてまだ十といくつくらいの若輩者の中学生だったからなわけで。今、二十九歳、すっかり大人になった自分からしたら、迷文だと自覚できる。  強まる雨脚、分厚くなる雨雲に、午後三時ちょい前、今日は夕方から本降りって言ってたっけ。それなら、そろそろ客脚も引いてくるなと、暖簾を下げようとしてところだった。そんな若輩者の中坊が考えた迷文を呟いたら見知らぬ美少年に聞かれてた。 「……」  しかも、無言なのに「うわぁ……」なんて心の声が聞こえてきそうなくらい、ものすごいしかめっ面をされた。  いや、させた、かな。俺の名文? 迷文? というか、怪文がそういう表情をさせたのだから。 「あー……いらっしゃい」 「……いえ、雨宿りしてるだけなんで」 「あー……あそ」  綺麗な顔をした少年だった。耳にピアスの痕、かな。右の耳朶が一箇所ぽつんと窪んでいて、その周囲が真っ赤に腫れ上がっていて痛そうだ。そして細く、白い首を無用心に思えてしまうほど晒す襟首が大きめの長袖のTシャツ一枚、長ズボンにサンダル。十月でサンダルって寒くないか? いや、十月でロンT一枚って、けっこう風の子火の子元気な子だろ?  雨宿りって、言ってたっけ。 「あー、あのさ、今日夕方から雨本降りらしいけど?」 「……」  いや、俺のせいじゃないしな。そんなしかめっ面の眉間の皺をさらに深くされてもな。 「……そう」  その美少年は、つまらなさそうにそれだけ呟くと、人ひとり分ほどしかない屋根の下から飛び出そうとした。 「ちょっ、ちょちょちょっ」 「……」  そりゃ、ちょっと寒いだろ?  十月だぞ? サンダルで? そんな薄っぺらいロンTで? 傘もなしに飛び出そうとしたらさ。 「……何?」 「あー、えっと、雨、止むまで、中、入れば?」  そりゃ、ちょっと止める、よな? 「適当に座って。今、お茶煎れてやるから。緑茶でいい?」 「……」 「少しあったまっていきな。傘、貸してやるから」  まるで野良猫だなぁと思った。毛色は上質なクリーム色をしてるけれど、なんともとっつきにくい感じが猫っぽい。 「……」 「うち、おにぎり屋、もうこの雨だし、暖簾しまったから、くつろいでていいよ。しばらくしたら少しくらいは雨弱まるかもしれないだろ?」  ついさっき、外に顔を出した時、この美少年が雨宿りに飛び込んできた時は、そうすごい雨でもなかったんだけれど、今はちょっとした豪雨になってる。小さな窓から覗き見れば、手前の車道が激しい雨雫で一面薄っすらと白んでた。 「……けっこう降ってるな」 「……」  こりゃ、この子、サンダルで大丈――。  ――ぐーきゅるるるる  ものすごい鳴き声だった。腹の虫。細くて薄っぺらい身体だけれど、その腹にはどうやらかなり大きくて腹をぺこぺこにした虫がいるらしい。 「っぷ、何か、ご馳走しようか?」 「は?」 「梅干? 鮭? あー、昆布もあるよ。変わりダネもけっこう人気だけど」 「塩にぎりでいいよ」 「……」 「それが一番安上がりだろ」 「……値段、とか気にするんだ」  飛び上がって、真っ赤になって、そりゃするだろう! と怒るところも野良猫そっくりだ。うろちょろしてるから、腹を空かせてるのかなと近づくと、毛をさかなでて怒る野良猫。 「まぁ、飲食店としては、ありがたいけどね。塩にぎりね」  ちょうどそこでお湯が沸いた。やかんから勢い良く湯気が真っ直ぐ飛び出している。 「……はい、お茶ね。美味いよ。うちのお茶、産地直送」 「……」 「塩もけっこうこだわっててさ、岩塩なんだけど、まろやかで美味いんだ」 「……」 「はい。お待ち」 「にぎるの、早」  言葉が少ないところも猫みたいだな。それに声も小さい。 「そりゃ、おにぎり屋ですから」 「……いただきます」 「どうぞ、召し上がれ」  小さな口を開けて、ぱくぱく食べていく姿も猫に似てる。 「……美味い」 「ありがと」  勢い良くがっついてたいらげてくれるところも、やっぱ野良猫っぽくてさ。 「ご馳走様」 「……お粗末様でした」 「……」 「もういっぱいお茶、飲んでく? それ、右耳の腫れてて痛そうだ。うちに、軟膏があるから塗ってみる? すっごい効くんだ。ばーちゃんが愛用しててさ」  美少年が顔を歪ませた。落胆、悲しい、溜め息、なんだろう、なんともいえない寂しい顔をして、カウンターを立ち上がる。 「お礼はたんまり、のほうがいい?」 「?」 「いいよ。別に、俺、けっこうそういうの抵抗ないし」  なんの抵抗だろう。けれど、美少年は抵抗がないというわりには、表情が外の雨雲みたいに曇っていく。 「たんまり、お礼、してあげる」  どんどん曇っていく。 「……ね」  どんどん――。 「ちょ、ちょおおおおおおっと!」 「んぶっ」  びっくりした。カウンターを挟んで向かい合っていたその美少年が急に立ち上がり何かと思ったら、そのまま身を乗り出して、まるでキスでもするみたいに顔を近づけるから。 「あー、えっと、あの、お礼ってもしかして、身体で返す的なの?」  キスされるのかと思ったから。 「いや、お礼いらないよ。っていうか、その、俺……なんて言えばいいのかな。あー、つまり、女性を好きになるっていうか、だからさ」 「!」  野良猫がまた毛を逆立てて、尻尾もぶわりと毛を広げて、飛び上がって立ち退いた。 「っなんだよ! 悪かったな! 気色悪いことして!」 「え、ちょ、は? 待っ、待って」 「だから! なんだよっ!」  そのまま野良猫が慌てて逃げていってしまいそうだから、こっちも慌てて手を掴んだんだ。  いや、なんだよって言われてもさ。  十月だぞ? サンダルで? そんな薄っぺらいロンTで? 「あー、ちょっとだけ、待ってて」  そりゃ、ちょっと止めるだろ?

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